「中国」地域研究に関するいくつかの問題

田 中 仁

大阪外国語大学・2005年度特別研究(2)プロジェクト「現代“中国”の社会変容と東アジアの新環境」は,変容しつつある現代「中国」の実態とそのイメージを東アジア(ここでは東南アジアと東北アジアを合わせて「東アジア」とする)の新環境との関連において多面的に検討することによって,日本は「中国」とどう向き合うべきかについて,いくつかの有効な処方を提示することを目的として企画されたものであり,その特色は,a.「中国」を中華人民共和国と等値せず,“多元的多民族社会と華人社会”という空間的拡がり,および“近現代の軌跡,前近代からの逆照射”という歴史的射程から捉えること;b.東西冷戦構造の解体から新国際秩序の模索の過程において顕在化した「中国」のインパクトを,競争・共生・共同あるいは摩擦・対立・対決というような日本のとるべき立場と態度との緊張関係を意識しつつさまざまなディシプリンを駆使して討究することにおかれた。【プロジェクトの概要】

本稿では,このプロジェクトにおいて得られたいくつかの論点を整理しておきたい。

1.「中国」:その歴史的射程

「中国」は自らをどのようなものとして理解してきたのであろうか? 司馬遷『史記』は,原初から皇帝ないしはそれに相当する唯一の君主のもとの「中国」が存在し,この構造は不変で現在もあり,そして将来も不変で続いていくという「中国」像を提示し,それが以降の中国人が構想する自画像の基本的構図となった。空間的には,モンゴル帝国の「大元」に至って,それまでの「中国」(南)と,北アジア・内陸アジア(北)との双方を併せた姿が自画像として描かれるようになり,明朝を経て「大清」乾隆帝の時代にそれは現実のものになった。現在の中華人民共和国は,空間的に見ると乾隆帝の時代の領域を継承しているが,「南北」を併せた自画像は司馬遷『史記』以来の自画像との違いはかならずしもはっきりと意識されていない。【堤一昭「“中国”の自画像」】

近代中国社会はいかなる特質と構造を有していたのであろうか? 清代前期のおいてすでに商業ルートは全国的にそのネットワークを拡大し,水運はほぼ近代の規模を備え,大商人資本も増加し,長距離販運交易品種も増大した。布が塩に代わって市場の工業品ギルドの商品は大部分長距離販運ルートに乗っていた。しかしながら,食糧と布の大部分は地域内か地方小市場での交換で,農村での「耕織結合」状態が主流であった。また,食糧の長距離販運は主として対象地域の食糧不足が原因で,必ずしも手工業や経済作物という商品生産の拡大を前提にしていたわけではなかった。アヘン戦争後,沿海一帯には通商開港場が出現するとともに,内陸部や辺境は従来の経済状態を保持するという状況にあったが,埠際交易の発展は内陸や辺境の集市市場や地方市場を世界経済と接合する役割を果たした。日中全面戦争前夜においても商品経済の発達という点でなお全国流通国内市場は狭隘であったものの,中国経済の幹線たるかつての長江交易圏が開港場間交易という形をとって20世紀に出現し,さらに中華世界長距離販運交易圏がそれぞれの開港場を拠点として世界経済と直接的に接合されつつあったことを認めざるを得ない。こうして開港場都市間の長距離交易圏は,全体として中華世界交易圏の実体を表象しうるものであり,上海を窓口とする近代世界経済圏とある種の接合をとげた。そうした交易を支えた商人層は,世界経済との接合に重要な役割を果たすとともに,海外華僑商人層との緊密な連携を保持していた。このネットワークが,日中戦争期の海外からの支援体制を支えることになる。【西村成雄「中華ナショナリズムの経済史的文脈」】

1880年代以降の鉄道敷設を中心とする近代交通システムの導入によって,中国社会は質的変容を遂げる。たとえば華北地域では,津浦・京漢・京張・北寧・正太などの鉄道幹線を機軸とする鉄道網の形成は,それまでの物流ルートの形態を変化させ,鉄道運輸はしだいに華北地域における経済貿易市場の再編成の最重要要素となった。また天津・青島などの港湾の運輸を通して華北諸省の貿易市場ネットワークと国際経済は緊密に連関し,地域内後背地の自然経済に対する巨大な衝撃波となり,農業生産物の商品化率を日増しに高め,華北地域経済の構造転換の最も強大な推進力となった。同時にこうした地域経済の構造転換は,華北地域の都市空間・機能の転換と華北地域の都市構造そのものの再編成をもたらすことになった。【江沛「華北における近代交通システムの初歩的形成と都市化の進展」】

ここまで我々は,19世紀なかばから日中全面戦争勃発(1937)にいたる中国をめぐる国際環境の変化と近代中国社会の明確な質的変容を確認した。それでは,これ以降の中国の軌跡をどのように概括することができるのであろうか? 1937年から49年までの中国は“戦争”の時代であり,さらに1949年から78年までは“革命”の時代であった。私見では,1980年代以降の“改革・開放”政策によって大きな変貌を遂げた中国は,今日,世紀交を始点とする新たな段階に入りつつある。すなわち1998年のアジア経済危機とそうした国際環境のもとで2000年に西部大開発構想を提起した中国は,翌年WTO加盟を果たした。こうして中国は,現在,1980年代以来の輸出指向型工業化の成果を前提として,世界経済を左右するひとつの経済単位として自らを位置づけうる新たな段階が到来したと思われるのである。

2.「中国」像の相対化

このプロジェクトでは,「中国」という空間を中華人民共和国と等値せず,“多元的多民族社会と華人社会”と捉えるという課題設定を行った。この点からすれば華人社会の問題は,「中国」という空間内部の問題としなければならないが,中国文化(あるいは「中国」という文化システム)という視点からすれば,それは「中国」像を相対化しうる周縁からの視点と捉えることができる。

2005年11月5日開催のワークショップでは,東南アジア出身の中国系留学生や若い世代の中国帰国者をインフォーマントとして,グローバリゼーションのもとでの文化システムの交錯とそのもとで顕在化しつつあるマージナルなチャイニーズの主観性とその文化的混血性(ハイブディティー)を確認することによって,「中国」像にかかわる新たな視点を探った。それぞれのアイデンティティーに関して,(1) 中国系インドネシア人として中学生の時に1998年5月の反華騒乱を経験し,18歳で日本に留学したSWさんは,日本ではnativeの人を避けたいという意識はないが帰国したら「どうなるか分からない」と述べ;(2) 中国東北地区に生まれ中学のときに祖母・両親とともに帰国して中国籍のまま日本人の名前を用いているSHさんは,中国人か日本人か「どっちに属するか分からない,あるいははっきりすることができない,このような立場にいるからこそ・文化・習慣・政治の面で日本と中国の両方を理解することができたと思います」と述べる。また (3) マレーシア・チャイニーズと日本人のハイブリッドで日本生まれで「私は中国を自分の母国という意識はありませんが自分のルーツのひとつであると認識」しているHHさんは,これまで「自分のアイデンティティ・ルーツ・考え・バックグラウンドをシェアして他人が興味を持ち,疑問を投げかけてくれる。とても貴重な経験で有意義な時間を過ごせました。このような経験が増えていくたび、機会くれる人々に強く感謝の気落ちを感じ、さらに自分を磨こうと思います」と述べている。【宮原暁「多様化するチャイニーズ・アイデンティティ」】

ここで提示された日本社会で現にいま生活者として共生する若い世代によるチャイニーズ・アイデンティティをめぐる多様性とその異なる位相は,東アジア(東南アジアと東北アジア)の新らたな環境のなかで我々がいかにして「中国」との良好な関係を構想しうるのかを検討するうえで極めて重要な論点であろう。

「中国」地域研究の重要な課題として,その実態の解明とともに他者によって付与させたイメージの検討があるが,それはたんに個々の「中国」イメージを確認することに止まるものではない。なぜなら,両者によって作り上げられた相互のイメージは,両者の関係そのものを規定しうるものであるからにほかならない。

20世紀前半期におけるアメリカの「中国」イメージについて,馬暁華氏は,(1) 20世紀初頭以降さかんになったアメリカ人宣教師による中国伝道はアメリカ文明の優越性に対する確信に裏打ちされたのであり,同時にそれは,諸列強によって分割されようとしている中国に庇護の手をさしのべるというアメリカ外交の自己イメージと表裏の関係にあった;(2) 宣教師の息子として14歳まで中国で育ったメディア王・ルースは,その強力な雑誌メディアを駆使して,蒋介石が「英雄的なキリスト教徒」であり自由と民主主義の中国を建国しようとしている「極東でもっとも偉大な政治家」であるというアメリカ人の中国認識を作り上げることに成功した。蒋介石夫人・宋美齢のアメリカでの活動は,このアメリカにおける中国イメージの定着に対して大きな影響を与えた;(3) このことと第二次世界大戦の勃発はアメリカと中国を特別な関係として結びつけたものの,大戦後,両者の関係はひどく複雑化することになる,と論じている。【馬暁華「20世紀におけるアメリカの“中国体験”」】

3.地域研究の対象としての「中国」

グローバリゼーション下における地域研究の現状について,平野健一郎氏は,(1)1970年代から,いわゆる「ヒト・モノ・カネ・情報の国際化(国際移動)」が著しくなり,地理的な境界(国境)は穴あき状態となった(porous borders);(2) 国境だけでなく,地理的単位・社会的単位の間の境界も明確なものではなくなりつつある;(3) 地理的な境界だけでなく,学問分野間の境界などさまざまな境界がぼやけつつある;(4) 全体と部分の関係という見方をする必要に境界の変質という基本条件の変化が加わると,地域研究の対象状況はさらに複雑になってきているとした上で,今日,a.全体性,b.重層性,c.越境性の3点に留意しながらわが国における地域研究を再構築することを提唱した。【平野健一郎「グローバル化時代の地域研究」】

グローバリゼーション下における地域研究の課題をめぐっては,同氏を報告者とするセミナーにおいて,「グローバリゼーションとはある意味で権力の意思であり,社会はつねに権力に規制される。しかし,社会自身にも自立性があり,社会の側からはグローバリティの問題も一部でしかない。ここに社会そのものの自立性のもつ意味を,国家との対抗関係のなかにおくことができる。つまり地域には権力とはことなった論理があり,グローバリゼーションのもとにすべてが均質に存在しているわけではない。権力と社会の関係において,権力の側から見た論理としてのグローバリゼーションまたはグローバリティのもつ問題を相対化する地域社会の側の論理をどう組み立てていくのか,という点に地域研究の課題のひとつがあるのではないか」という提起がなされている。【セミナー:グローバル化時代の地域研究「討論要旨」】

最初に述べたように,このプロジェクトは,変容しつつある現代「中国」の実態とそのイメージを東アジアの新環境との関連において多面的に検討することによって日本は「中国」とどう向き合うべきかについていくつかの有効な処方を提示することを目的としているが,我々はこの「多面的検討」を中国地域研究のひとつのあり方を示すものであると理解している。わが国における地域研究の成立とその展開および現状についてここで述べることはしないが,日本における「中国」地域研究が,他の地域におけるそれとは異なる独自性を追究すべきであることは多言を要しないであろう。

このような意味で,「中国の周縁に立つことを自覚しながらも内側から外側を見ている研究者と,日本の周縁もしくは日本と中国の間隙に立っていると感じながら外側から内側を見ている研究者」の共同作業として執筆された紀宝坤・宮原暁「中国の台頭と日中関係」は,作業そのものが日本における中国地域研究の独自性の追究であると言えよう。この論文は,「経済は熱く政治は冷たい」としばしば称される現在の日中関係を「アンビバレントな文化システム」という視角から逆照射することによって両者の関係における政治・経済とは異なる位相を摘出し,従来の一般的な日中関係理解を前提とする処方とは異なる新たな展望の提示を企図している。【紀宝坤・宮原暁「中国の台頭と日中関係」】

また山田康博氏は,国際秩序観に関するアメリカとヨーロッパの視角の相違が近年の「中国の台頭」に対する見方の違いを生み,さらに具体的な対中政策において別個のものとして現れること,そしてこうした論点を知ることがわが国の中国政策さらには「中国」像を吟味するうえで重要な課題であるという正鵠を射た指摘を行っている。【山田康博「21世紀の国際秩序と“中国”」】

たとえば金鑫・徐暁萍『中国問題報告:新世紀の中国が直面する峻厳たる挑戦』(第三版,中国社会科学出版社,2004年7月)が示すように,中国でもグローバリゼーション下における中国の現状とそれをふまえた展望を探る作業が行われている。【田中仁「21世紀の中国:七つの挑戦」】 我々は,こうした現代中国の「自画像」をそれぞれの研究領域に取り込みながら独自の「中国」地域研究を構築していく必要があろう。

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