グローバル化時代の地域研究―特権性の喪失

平野健一郎(早稲田大学政治経済学術院)

私の祖父ジョン・バーナード・フェアバンクは、・・・イリノイ、ミシガン、インディアナ、ミネソタなど・・・で組合派教会の牧師を務めた。・・・それから一世紀ののち、自分が・・・講演をして廻った時には、私は、祖父の足跡を追っているように感じたものだった。・・・私の講演は、われわれが中国、朝鮮、ベトナムでさまざまな失敗をしたのは中国の現実を理解していなかったためであり、無理解が続けばこれからもまた失敗するかもしれない、ということを指摘するのが常だった。・・・祖父の説教は私の話ほど世俗的ではなかっただろう。彼が取り扱ったのは、もっと絶対的で、もっと抽象的なことであったし、講演者よりも後で現場を見てきたという人が突然聴衆の中から立ち上がって、「私は二四時間前に天国の国際空港から飛行機に乗ったのですが、その時の状況は、今あなたがおっしゃったのとは全然違っていました」なとどいうことをいうような、中国専門家がよく遭う危機に直面することもなかっただろう。
(J.K.フェアバンク、平野・蒲地訳『中国回想録』みすず書房、1994年、8-9ページ)

1.特権的学問としての地域研究

地域研究は特権的な学問であったと思う。地域研究が学問として持っていた特権―地域研究者が学者として味わってきた特権―を挙げてみよう。

まず、対象の外にあって、対象を捉まえる、というのは、知的に素晴らしい楽しみであろう。うまく対象を捉まえたと思う時の悦びは何物にも換えがたい。対象からも文句は出ないし、対象の外側にいる他の人々からは感心される。自己満足にひたることができる。戦後の日本では、戦後暫くの間、誰も対象の地域に行くことができなかった。地域研究者が何をいってもチェックはされず―対象の内側からも外側からも―、ひたすらありがたがってもらえた。やがて、地域研究者だけが対象である現地に入れるようになると、その研究はいっそう権威を認められ、ありがたがられた。

第二次世界大戦中から戦後にかけての、アメリカの地域研究(area studies)が代表的にそうであったように、地域研究は国家の戦略にも用いられうる「実学」であり、希望すれば、政治権力につながり、経済利益に貢献する悦びを味わうことも可能であった。そのような「腐敗」には近づかないように気をつけるならば、希望によっては、地域研究は、国家権力の対外政策を権威をもって正面から批判する力を持つことを可能にした。社会に貢献する悦びが地域研究者に特権的に与えられた。戦後日本の地域研究は、戦前・戦中の失敗を反省し、また、アメリカの地域研究を横目に見ながら、それを反面教師にしたから、戦略研究に奉仕する愚を犯すことはなかった。多くの研究者は反政府的な位置を取り、清貧、孤高の中で非「実学」的な研究―研究のための研究―に没頭するという、「特権的な」悦びを追及してきた。

そのような悦びを悦びとすることができるのはなぜであろうか。それは、研究対象の地域が地域研究者にとって「自分だけの地域」になるからであろう。自分以外に誰も知らない対象を、今はじめて自分が明らかにしているという満足感である。対象独占がもたらす、この悦びは、厳密には、地域研究の対象が国単位である時には、やがて失われよう。同じ国を地域研究の対象にする研究者は次々に現れるからである。代わりに、同じ国を研究対象とする者同士の間には仲間意識―競争意識を含めた、広い意味の仲間意識―が生まれる。地域研究者社会の独特な仲間意識はそのようなものであろう。地域研究者の間の、このような仲間意識の根底にある、「自分だけの地域」を自分が明らかにする、という悦びは、これからも必要な地域研究の要件であり続けると思う。

地域研究の本質は、なによりも、対象の全体を捉える楽しみにある。対象をとことん理解したいという知的好奇心を満足させるのが地域研究である。にもかかわらず、地域研究を勧める先輩の中には、地域研究には「三重苦」や「五重苦」があると警告する人々がいた。具体的に「苦」として挙げるものは人により少しずつ異なるが、対象地域のことばの習得、分析言語としての英独仏語の習得、社会科学理論の習得、欧米先進国の地域研究の追跡、研究対象の現地での生活、などの「苦労」の重なりは、先進国出来合いの学問を志す者はしなくて済む苦労だというのである。確かに、地域研究を志す若者に覚悟を促すのは正しいであろう。しかし、この地域研究「三重苦」・「五重苦」説は、志を激励するよりも、諦めさせる方向に作用するのであれば、間違っていると思う。どんな学問を志すのも、苦しいといえば苦しい。しかし、知的探求は苦しいものというイメージを与えるのはおかしい。とりわけ地域研究には知的好奇心を刺激してやまない楽しみが含まれている。しかも、それは、「理論」とか「モデル」とか称する他人の粕のような生産物を拳拳服膺する「つまらなさ」には及びもつかない、実証による独創の楽しみである。逆に実証研究の究極には、理論を創造する可能性が待っていることさえある。確かに、地域研究の対象である地域は激しく移ろう。なかなか捉えにくい。しかし、それだけに、好奇心でとことん追いかける楽しみがある。

まとめれば、地域研究の特権とは、特定の地域の研究に淫する愉悦、対象にのめり込む楽しさ、を地域研究者に味わわせてきたものである。しかし、そうした地域研究の愉しみ、地域研究の特権は喪われつつあるのではないだろうか。

2.特権の喪失

地域研究の特権は1980年代から喪われつつある。1960年代の後半から1970年代の前半にかけて、世界史的な変化が連続した。そして、1980年代までには、地域研究の対象とされることが多かった発展途上の国々にも大きな変化が生じた。その結果、上に挙げたような地域研究の特権の多くが喪われ始めた。

まず、地域研究者が特権的に独占してきた対象地域に、誰もが行けるようになった。この頃からの、国際的な交通・通信手段の急激な発達により、多くの人々が容易に外国の、それも奥地にまで行けるようになった。観光客としてどころか、仕事のために長期間現地に滞在する人々も増えた。地域はもはや地域研究者の独占するところではなくなった。私の恩師・ジョン・フェアバンクの回想録からのエピグラフが、地域研究者の当惑をユーモラスに語っている。ジャーナリズムの現地報道も格段に増え、豊富になった。そうなった場合、地域研究者は現地から珍しい情報を伝えるだけでは済まなくなる。長期的な視点から、現地の人々の生き生きとした様子を、社会全体を見据えて、バランスよく伝え、それによって、現地体験豊富な非専門家を頷かせなければならない。

しかし、この時代、地域研究者は、対象内部からの研究の辛さを体験したように思われる。外国事情研究でよかった牧歌的時代のあと、対象社会内部の細かな襞を見られるようになった時、それをどのように理解するか、それは苦痛に満ちた新しい体験ではなかったかと思われる。世界的に、地域研究は細かくなり、精密になったが、その前の世代の特権的なあり方に比べ、迷路に入りこんだのではないだろうか。とりわけ、その地域の文化・社会のあり方を特殊性において理解するか、普遍的なものとして理解するか、という問題は地域研究者を深く悩ませる問題となった。

この時代、地域研究者には対象地域の内部に深く沈潜することが可能になったし、そうする以外に特徴が出せなくなるという傾向も出てきたが、深く沈潜すればするほど、対象全体を捉えることが難しくなった。現地に入って、可視圏を緻密に調査研究すればするほど、そこ以外に存在する多数の例外を意識せざるをえず、社会全体を見ることは困難になった。まして、その社会全体が外側の社会との関わりを急激に増し、変転極まりなしとなれば、全体を捉えることはさらに難しくなった。対象全体を把握することが地域研究の要諦であったはずであるのに、それが容易ではなくなったのである。

そしてこの頃、かつての地域研究の特権中の特権が喪われることになった。すなわち、かつて対象地域を地域研究として研究するのは、外側の先進国の、一部の「奇特な」地域研究者の独占的な仕事であったはずが、今や、対象地域の中から、自らの社会・文化を研究する研究者が輩出するようになったのである。内部からの地域研究の登場、これが、先進社会の地域研究の特権喪失の最たるものであるといってよいであろう。もはや、対象を外から、全体的に、もっともよく捉えるなどと、恩着せがましいことはいえなくなったのである。

対象社会の中からの地域研究に対して、外の先進社会の地域研究が最初に取った態度は、現地の地域研究者に地域研究の方法や社会科学の研究方法を手ほどきしてやり、彼らを研究の助手として使ったり、研究成果を利用してやる、という傲慢なものであった。現地出身の地域研究者は、訓練が終われば、現地に帰るのがよいとされた。しかし、現地出身の地域研究者はやがて対等の存在となった。現地である出身国には戻らず、先進社会の中で自国研究に優れた成果を挙げる人々も増えるようになった。

このような新しい状況に直面して、これまで、本質的に外から独占的に地域研究を行ってきた地域研究者は、どのように考えているであろうか。『学術月報』2002年4月号の「日本におけるアジア地域研究」特集号では、東南アジア研究の白石隆氏と、インド研究の長崎暢子氏がこのような状況に注意を払い、「外からの研究者」と「内からの研究者」がそれぞれの特徴を活かし、任務分担をして行くことを提案している。当然の提案といえるが、それだけで十分であろうか。従来の地域研究が、随分と内部に入り込むようになったにもかかわらず、結局「外からの研究」に過ぎなかったと認識すること、そのこと自体は健全といえるかもしれない。また、内部からの地域研究の登場を歓迎し、共に手を携えて、対象社会の理解をさらに深めて行くことは望ましい。しかし、そのような新しい状況の中で、「外からの」地域研究はどのような任務を果たすべきであろうか。私見を以下に述べて、結論ないしは提案としたいが、敢えてあらかじめまとめれば、今日の新しい国際社会の状況の中で、地域研究は、「外から」であろうと「内から」であろうとを問わず、同様に、新しい課題に直面しつつある。

3.グローバリゼーション下の、新しい地域研究

白石隆氏などによれば、米国の地域研究、アジア研究は1990年代に壊滅的な状態になった。大学、学会に研究費が来なくなり、遂にはSSRCが地域研究の部門を廃止するまでにいたった。その理由は、米国にとって「グローバル・イッシュー」が代わって重要になってきたから、というものであった。米国の地域研究が国家の戦略研究から見放されたわけである。それが誤りであったことは、9.11とイラク戦争で白日のもとに明らかとなり、最近、SSRCなどは再び地域研究の必要性を議論するようになっているとか聞く。地域研究の国家的戦略性が見直されることが地域研究そのものにとって幸せかどうか、それは別問題として、最近の状況が地域研究全般に重要な転換を迫っていることは確かである。地域研究が「グローバル・イッシュー」研究に取って代わられようとしたという事実が、地域研究の課題を象徴的に示している。

卑見によれば、今日の学問研究に共通の基本課題は、自然科学から社会科学にいたるまで、「全体と部分」の関係をどう捉えるか、という問題である。全体は部分から成り立つが、部分の総和が即全体ではない。また、ほとんどの場合、全体はより大きな全体の部分であり、部分はより小さな部分からなる全体である。部分と全体が「入れ子状」の構造をなして重なっている。部分が変わったら、全体はどうなるか、逆に全体が変わったら、部分はどうなるか。この関係、この構造を解明することが、学問全体の、最大の知的課題であるように思われる。

もう一つ、今日の地域研究を考える際に考慮すべき重要な変化がある。それは、地域研究の基本的な条件である「境界」が最近大きく変質しつつある、という事実である。そもそも、地域の「域」は境界によって定められるものである。しかし、1970年代から、いわゆる「ヒト・モノ・カネ・情報の国際化(国際移動)」が著しくなり、地理的な境界(国境)は穴あき状態となった(porous borders)。国境だけでなく、地理的単位、社会的単位の間の境界も明確なものではなくなりつつある。地理的な境界だけでなく、学問分野間の境界など、さまざまな境界がぼやけつつある。全体と部分の関係という見方をする必要に、境界の変質という基本条件の変化が加わると、地域研究の対象状況はさらに複雑になるといえよう。

このような大状況の中での地域研究のあり方として、まず提唱したいのは、対象地域を全体として(holistic に)捉える、という地域研究の「全体性」である。先に述べたように、地域研究の醍醐味は、対象である地域を全体として捉えることが可能である、というところにある。それはいつの時代も変わらない地域研究の魅力である。しかし、ある地域を全体として捉えるということは、その地域をただ茫漠と捉えるということを意味しない。その地域を構成する部分を、全体を構成する部分として精密に調査分析し、それらの部分がどのように全体としての地域を構成しているかを明らかにすることがいっそう必要であろう。また、対象地域全体を、それを取り囲むさらに大きな、さまざまな全体の部分として意味づけることも必要である。全体的な地域研究、すなわち、ホリスティックな(あるいは、別の意味での「グローバルな」)地域研究とは、下のレベルの部分と上のレベルの全体との間との関連で地域を捉えること、である。

地域研究の全体性として、今述べたことの中に、今日の地域研究の第二のあり方がすでに述べられている。すなわち、地域研究の「重層性」、地域を取り巻く(あるいは挟み込む)複数のレベルに絡めて対象地域を、重層的に捉える地域研究である。今日では、如何なる地域も「国際社会」の中に位置していることは誰の目にも明らかであるが、その「国際社会」は国家と国家(あるいは、国と国)の平面的な関係から構成されているのではない。1人の個人を取り囲む、ローカル、エスニック、ナショナル、リージョナル、グローバルと、幾層にも重なる社会の重層そのものが国際社会である。多種多様な主体が、これらの多層を越えて関係しあう場が国際社会である。それらのレベルのいずれに存在する地域を対象とするのであれ、この、国際社会全体の重層構造の中にそれを位置づける必要がある。

今日の地域研究に求められる第三の要件は、「越境性」であろう。国境をはじめとする境界の多孔化、流動化、曖昧化はすでに述べた。そのような境界の条件の下では、研究対象の地域から、ヒト・モノ・カネ・情報が絶えず流出し、また、その地域に流入する。対象地域を構成する部分(あるいは主体)が越境する以上、地域研究も越境せざるをえないであろう。ある村から外国へ出稼ぎに行き、帰ってくる村人がいれば、彼らを対象から外して、その村を理解することはできないであろう。しかも彼らは村から隣りの村に横滑りするのではない。都会に出、さらにその外へ出る。すなわち、国際社会の重層構造の中を越境するのである。なお、地域研究の越境性には、学問分野間の越境もますます必要になっていることをも含む。

このような越境性がいつの間にかすでに生み出している変化がある。地域研究の対象が、部分的に、「地域(area)」から「地域(region)」に移っていることである。まさにこの研究会のテーマ「現代『中国』の社会変容と東アジアの新環境」に、その変化の認識がいちはやく示されている。中国という「地域(area)」を捉まえるためには、東アジアという「地域(region)」にも目を配らなければならなくなっている。従来のアジア研究が area を研究する場合に、region を見なければならないだけでなく、さらに、region そのものを地域研究の対象にする傾向も現れている。これは、単に、地域統合が進んでいるという現実に応じるだけのことなのではなく、今述べているように、境界の変質と、全体と部分の関係の深化(そして、それを理解する必要)という、地域研究の本質に関わる変化に発する傾向である。さらに、従来の「地域(area)」―たとえば、中国―が、実は、その内部に多数の、異なる社会文化を持った「地域(areas)」を抱え込んだ「地域(region)」である、という認識も強まってきている。実際、「現代中国の社会変容」をのっぺらぼうな中国一国社会の変容として考察することはできないであろう。中国国内の大小さまざまな地方社会の研究が必要となる。すなわち、地域研究の重層性は否定できない、地域研究の変化の方向である。

このような変化から、従来の地域研究(area studies)が実際には一国を対象単位(area)とするものであったことが反省され、さまざまなレベルに位置する地域(area)―それには、「大地域(region)」も含まれる―を対象とする、新しい地域研究が生まれて行くと考えられる。国家単位の地域研究から、真の地域研究へと向かう、進歩である。

さまざまな地域―とりわけ、最少レベルの地方社会―には、それぞれに特色、個別性がある。それらを対象とする地域研究は、個別性を明らかにすることにしかならないのだろうか。その個別性をよく理解しうるのが内部の研究者であるとすると、外からの地域研究は退却するほかないのであろうか。そうではないと思う。今日、基層、「最末端」のレベルに位置する、どんなに小さな地方社会にも、グローバリゼーションが外から及ぶ。グローバリゼーションの外からの影響に、それぞれの地域で人々がどのように対応するか、抵抗するか、これは、地域の違いを問わない、普遍的な問題である。人々は、地域の個別性にもとづいてグローバリゼーションに対応するが、その対応するということ自体は普遍的である。すなわち、今日の地域研究に全体性、重層性、越境性を求める国際社会の構造が、如何なる地域研究をも、個別から普遍に向かわせるのである。付言すれば、地域における個別性から普遍性への弁証法をより鮮明に捉える方法として、異なる地域間の比較が、従来にも増して有効であろう。

境界を越える「外からの影響」に対する「内からの反応」―個別性にもとづく普遍的な反応―の考察が、今日の地域研究のすべてに不可欠である。その点において、「外からの地域研究」と「内からの地域研究」とは一体となる。「外からの」地域研究者も、自らの地域において、グローバリゼーションに対応しなければならない生活者として、「内における」地域研究者と同じ条件、同じ運命を背負っている。「外からの」地域研究者と「内からの」地域研究者は、同士として、共に地域を研究することになる。そして、地域研究は、従来のように、地域を対象、客体として見ることを初めてやめることができるようになる。自国社会を地域研究の対象とはみなさなかった、これまでの高慢な偏向も是正される。かくして、対象地域を、真の共感をもって見つめようとする時、地域研究がこれまで培ってきた精密な研究方法が真価を発揮するであろう。マイクロ・エリア・スタディーズは、新しい時代に意味を失うどころか、むしろより意味のあるものになる。やり方によっては、一番下の、最小点から、いくつもの層を貫通して、一番上を衝く(葦のずいから天井を「突く」)ことができる。その時、共同作業に従事している「外からの」地域研究者と「内からの」地域研究者の、それぞれの長所である「外からの斜め下への視線」と「内からの斜め上への視線」が有効に組み合わさることになっているに違いない。

結局、全体性と重層性と越境性を意識した地域研究こそが、部分と全体の関係を的確に捉え、全体を捉えることができるという、地域研究本来の醍醐味を発揮すると同時に、確実な実証によって社会科学を前進させることになると期待されるのである。地域研究は多くの特権を喪ったかもしれないが、それが本来持ち続けてよい特権は喪っておらず、今後、それを益々発揮することが望まれる。

参考文献