いわゆるコンプライアンス・プログラムが企業活動の実態において、どの程度まで実効性を有しているか、その限界と企業側のコストも踏まえた実証的研究をおこなう。法規制を受ける事業者側の実態にも踏み込んだ検討を進めることで、日本企業の国際競争力からみたコンプライアンスの意義を再検討するとともに、より実効性のある施策を提言する。また、これらの検証を通じて、法務担当者の担うべき役割とそれを反映した会社法務の役割を明らかにして、法務部門を志望する法科大学院生の教育プログラムに反映できるものを示す。

1.コンプライアンス(法令遵守)・プログラムの功罪

 近年、盛んに議論されるコンプライアンス(法令遵守)プログラムの導入は、企業犯罪の抑止手段として有効かつ適切なものとされてきた。例えば、最近の文献として、甲斐克則=田口守一編『企業活動と刑事規制の国際動向』(信山社)、甲斐克則編『企業活動と刑事規制』(日本評論社)、後藤啓二『企業コンプライアンス』(文春新書)などがある。しかし、コンプライアンス・プログラムの導入が、各種の企業不祥事にとって万能の特効薬であるかのように位置づけるのは、明らかな誤解である。実際の企業活動では、日常的業務に従事する生身の人間が法令遵守を担うことになるため、絶対的に有効な予防策はありえないからである。むしろ、最近では、行き過ぎたコンプライアンス優位の思想や、法令遵守だけが声高に論じられる風潮に対する批判が、次第に強くなってきている。例えば、郷原信郎『「法令遵守」が日本を滅ぼす』(新潮新書)など。

2.従来の研究手法と法規制の拡大

 従来、コンプライアンスをめぐる議論は、その多くが大学研究者による文献・調査を中心としたものであった。また、(元)検察官や警察官による論稿が目立つように、大半が企業活動を規制する方からみた問題提起であった。したがって、実際の企業活動や内部組織の不備などを正確に反映しているとはいいがたい。折しも、独禁法規制をめぐって、産業界から課徴金制度の強化に対する反発が強くなった。そこでは、刑事規制の在り方をめぐる「二重処罰の禁止」という、理論上の疑問さえ提起されるに至っている。しかも、こうした指摘が適切かつ妥当であるかは、いまだ十分に検証されるに至っていない。

3.企業活動の現場と法規制の実効性

 従来、会社不祥事を契機とした刑事規制については、違法行為の舞台となった企業や業界の関係者は、当時、国民やメディアの厳しい批判を受けている事情もあり、法規制の在り方に疑問すら提起できないのが実情であった。また、隣接する関連業界からも、刑事規制の拡大に異論を唱えるのが難しい環境にあったと考えられる。しかし、こうした一時的状況の中で、その実効性を検証することもなく、続々と新たな制裁手段や行政処分を導入する場合、それが処罰対象となる企業活動の実態を無視した法規制であれば、実際の適用に際しては、さまざまな副作用をもたらす。また、事件後に相当な時間が経過し、世間を騒がせた不祥事の記憶が風化した頃には、実態から乖離した法規制が、急速に形骸化するおそれさえある。そもそも、企業活動の担い手に不可能を強いる法規制は、将来にわたってその実効性を確保するのが難しい。

4.国際競争力の低下と日本企業の海外流出

 また、国外に目を転じるならば、日本企業を取り巻く環境は極めて厳しいものがあり、コンプライアンス体制を充実するために、どの程度まで人的・物的な資源を割くことができるかも、真摯に考えねばならない。コンプライアンスの意義を過大視するあまり、コストパフォーマンスを無視した「押し付け」的な法規制は、絵に描いた餅に終わる可能性が大きい。また、国際競争力の見地からは、こうした規制強化が、企業にとって必要以上のコストを負わせる点で、その国外流出を加速する結果となる。もちろん、取引相手国が同様な法規制を実施するなど、国内と同種のコンプライアンスが必要となる場合はともかく、そうでない場合には、国際取引において不利な競争を強いられるからである。その意味で、無秩序な法規制により、日本企業がコンプライアンス規制の乏しい国々に流出する懸念が倍加する。その結果として、内国の法規制が実質的に空洞化するだけでなく、日本全体が国際競争から取り残されるおそれさえある。


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