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卒業生のみなさんへ(法学部長 中山竜一)

卒業生のみなさんへ 

 本日は、ご卒業おめでとうございます。新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、対面での卒業式関連行事の全てを中止せざるを得なかった昨年度とは異なり、今年度は、大阪城ホールを会場として、大阪大学の全学としての卒業式を挙行することができました。ただ、新型コロナ以前の世界であれば、その後は豊中キャンパスへと会場を移し、学部での学位授与式典が続いていたところですが、移動時の感染リスクを考慮し、これについては断念せざるを得ませんでした。ですので、今年度もウェブサイトを通じて、皆さんの卒業を心からお祝いし、餞(はなむけ)の言葉を送ることにしたいと思います。

 皆さんが送った大学生活のうち、最後の1年間は、これまでにないものとなりました。大学構内への立ち入りが制限され、オンラインでの授業、課題提出、そして試験といった具合に、皆さんも、私たち教員も、新たな状況に対応し、そして適応することが求められました。それだけでなく、課外活動や海外留学など、学生生活の総仕上げとして思い描いてきたことの断念や変更を余儀なくされ、悔しい思いをした人たちもいることでしょう。また、一連の感染対策の結果としてもたらされた経済的苦境のなかで、学業を継続し、就職活動に取り組むなど、コロナ禍の前には思いもしなかったような辛い経験をした諸君も少なくないのではないかと思います。そうしたなかで、一人の教員としてまず皆さんに伝えたいことは、何にもまして「よくがんばった」という一言に尽きます。

 ただ、本日はそれに加え、次の二つのことも皆さんに話しておきたいと思います。一つは新型コロナ以前の世界でも、それ以降の世界でも決して変わらないこと、そして、もう一つはコロナ後の世界に関わることです。

 まず、変わらないことの方は、(皆さんの多くが受講したと思われる1年次科目「法学の基礎」のなかでも話したことですが)法学を学んだ者が社会において果たす役割についてです。皆さんは本日を境に、法学士(英語では Bachelor of Law、略してLL.B)という学位を保持する人間として、これからの人生を送っていくこととなります。この学位を手にしたことは、とりもなおさず、これまで皆さんが積みあげてきた数々の努力が実を結んだことの証しです。そして、それとともに、皆さんがこれからの人生において、大学で法や政治について学び、それらを修得した人間として、一定の期待を背負いながら生きていくということも同時に意味しています。裁判官や弁護士といった法律の専門家として社会に貢献することも、そうした一つであることは言うまでもありません。しかし、それだけでなく、国や地方の行政機関、経済を動かす民間企業、各種の国際機関、市民社会を支えるNPOやNGO等々といった社会の要所要所で、いわば「制度知」の担い手として力を発揮すること──こうしたことも、法学部で学んだ人間には求められています。明治以降の日本の大学制度にあって法学部に期待されてきたことが、いわゆる「ジェネラリスト」養成であったこと、そして今日でも、日本のみならず多くの国々において、法学部やロースクールの出身者が、政府や行政機関、民間企業、市民社会を支える人材として重責を担い続けていることを考えてみても、それは間違いないと思われます。

 では、「制度知」の担い手としての役割とはどのようなものでしょう。ここからは私見も交えた話となりますが、それは二つに分けて考えられるように思われます。一つは「平時」における役割、もう一つは、(今回の新型コロナウイルスの世界的感染爆発のような)「非日常」的状況における役割です。まず、平時における「制度知」の役割は、各種の制度やシステムがスムーズに回っていくことを支える、つまり、昨日と同じように今日があり、今日と同じように明日があるという人々の期待に応えるということです。いうまでもなく、そのような「確実性」の基盤が予見可能なものとして保証されているからこそ、人は安心して各種の営みを継続することができるからです。次に、「非日常」的状況における「制度知」の役割ですが、それは一言でいえば、様々な「不確実性」の下でも賢明な「決定」や「決断」を行い続けることと表現できるかもしれません。ただ、これについては、私が担当する「法理学」の授業でも「リスク社会」における公共的決定と関連させながら詳しく話しましたし、また、昨年度もこの法学部ウェブサイト上でそのエッセンスを伝えていますので、そちらを参照してもらえればと思います。→ 2019度「卒業生のみなさんへ」

 今年度は、以上に加えてもう一つ、コロナ後の世界との関連で、次のことも皆さんに伝えておきたいと思います。世間では、コロナ後の世界を見据えて、「新しい生活習慣」とか、「新たなライフスタイル」とかいった言葉が飛び交っています。ここ大学においても、対面授業とそのオンライン発信を同時に行う「ハイブリッド型」授業への移行が目指されていますし、遅々として前に進まない政府や行政の動きを尻目に、民間企業のなかにはコロナ禍をむしろビジネス・チャンスと捉え、素早い動きを見せているところも少なくありません。しかし、皆さんに考えてもらいたいのは、そうした「短期」の動きではなく、いわば文明史的という言葉で表現してもよいかもしれない「長期」の視点での大きな変化についてです。つい先日、ある学術誌の巻頭言として、特集の「動物の権利」と絡めて次のようなに書かせてもらいました。

 「新型コロナウイルスが世界を覆い尽くしている。2020年を一言で表現するとすれば、この言葉しか思いつかない。しかも、2021年に入っても、感染拡大の状況は収まりそうもない。中国・武漢での感染爆発が報告された当初から、ウイルスの発生源について様々な意見が述べられてきた。コウモリが発生源であるとする見解もその一つである。同じくコロナウイルスを原因とする重症呼吸器感染症としては、2002年から2003年にかけてアジア・カナダを中心とする32か国・地域で流行したSARS、2012年以降、アラビア半島を中心とする各国で感染が報告されたMERSも思い起こされる。前者の感染経路についてはハクビシン、タヌキ、ネズミ等が挙げられているし、後者の発生源はラクダではないかと言われている。人間の利益だけしか考えない乱獲や環境破壊が動物たちの住処と生命を奪い取り、その結果、宿主を失ったウイルスが生存のために人間をターゲットにし始めたのではないかという無視できない見解もある。人間と動物の関係のあり方を根本から見直すことを強いられるような人類史の大きな転換点に来ているのかもしれない。」(『法の理論 39』より)

 長々と引用しましたが、ここで伝えたかったのは次のことです。様々な意味において拡張主義的で、「成長」という強迫観念に囚われた、これまでの世界の在り方は、すでに限界と言えるところにまで来ているのではないか、そして、ここからは文明における一つの転換点がもたらされなければならないのではないか──そのような予感です。もしこのような文脈において捉えられるのでなければ、「新しい生活習慣」や「新たなライフスタイル」といったかけ声も、全く取るに足らない、ほんの些細なエピソードの一つに終わるだけでしょう。

 皆さんが40歳、50歳、60歳となり、社会の中枢を担うようになる頃には、世界は全く違った姿になっているかもしれません。あるいは逆に、そのような大転換など起こらず、現在の延長線上にある世界がただただ続いているのかもしれません。いずれにしても、「長期」のビジョンとそれを思い描くための「想像力」を決して手放さず、そうしたなかで法・政治・経済をめぐる「制度知」を生かし続けていって欲しいと思います。そのような「制度的想像力」を手に入れることこそが、皆さんが法学部で学んだということの意味にほかならないと考えるからです。

 法学(Jurisprudence)という言葉の語源にあるように、皆さんが法学部に籍を置き、法学士の学位を得たということは、少なくとも、公平性としての法(juris)に関する賢明な知恵(prudentia)を学ぶために取り組んできたということです。人生のうちの貴重な一時期を割いて、学問としての法や政治に取り組んだということ、そして、ほかならぬ大阪大学法学部でそれらを学んだことに誇りを持ち、これからの人生を切り開いていって欲しいと願います。

法学部長 中山竜一