Handai Law Letter

第3号 2013年3月1日発行

退職にあたって ご挨拶

法学研究科 中尾 敏充 教授

 1968年大阪大学経済学部に入学、1973年大学院法学研究科に進学し、研究者としての道を歩むことになりました。私たちの学生時代は、大学紛争が起こったときで、阪大も例外ではありませんでした。1980年近畿大学法学部に就職して、教育に従事するとともに、大学運営をめぐる組合活動に参加するという経験をもちました。1992年に大阪大学法学部に移り、学生時代とは異なった立場で、大阪大学に関わることとなりました。学生時代と教員の時代とは同じ大学に所属していても、大学のイメージが随分と違って感じられました。立場の違いから当然といえば当然ですが、社会の変化と自分自身の変化が大きく関連しているのかもしれません。振り返れば、その場その場を何も考えずに、がむしゃらに過ごした学生時代(5年間)、将来の見通しに若干の不安を感じつつ過ごした院生時代(7年間)、理事と事務部の協力体制のなかで教学中心の大学運営を目指して組合活動を展開した近大時代(12年間)及び母校阪大で教員として過ごした21年間、それぞれの時期に希望と失望を繰り返し、悩みながら諦めずに過ごしてきた日々でした。いつも中途半端な自分に嫌悪しつつ、持続させるための方便としての振る舞いでした。今立ち止まって振り返れば、後悔の日々を思い起こしますが、今は前に進むしかないと考えています。ありがとうございました。



法学研究科 河田 潤一 教授

 1998年4月から、15年間在職させて頂きました。
  私は、神戸生まれの神戸育ち。しかし、半ば公然と知れ渡っているように、大阪の色濃い阪神タイガースファンです。隣に居合わせながら、微妙に違う空気をもつ神戸と大阪。私のなかで個別に存在していた2つの地が大学に通うなかで心地よく繋がっていくという、面白い感覚を経験しました。
 キャンパスでは、向学心に燃える学生の指導、留学生と本学生とのコラボのゼミナールなど、充実した教育に携われたと思います。自分自身の研究も、後輩の教員の刺激も大いに受け、この期間に探求できたことも嬉しく思っています。
 法学部のある豊中キャンパスから、私の乗り降りする最寄り駅、阪急石橋へは徒歩で15分ほどです。授業が終わり、帰路ぶらぶら歩くには、私には適した時間でした。授業の内容を思い起こしたり、研究のヒントを思いついたり、今日のタイガースはどうなっているのだろうか?などと想像をしたり・・・・思い出の「道」になりました。
 最後に、大阪大学での職務を恙無く過ごさせて頂いたことに対して、教職員の皆さまに心から感謝申し上げます。



高等司法研究科 棟居 快行 教授

 定年まではまだ少々時間がございますが、国の機関で大学とは少し違う観点から憲法の調査研究をす るため、このたび本学を退職することになりました。2006年10月に着任しましたので、わずか6年半しか在職 しなかったことになります。しかし、阪大には長く勤続したような心地よさがありました。それは、旧帝大の小 講座的な厳しさゆえの個人主義・自己責任の雰囲気が、もともと私に合っていたということもありましょう。とも あれ同僚の教員や事務職員のみなさん、学生のみなさんが、マイペース人間の私に寛容であられたわけ で、感謝の言葉もありません。大勢の外国人教授の来学や、同僚と揃ってベルリン自由大シンポに出かけた ことなど、刺激的な研究環境を満喫しました。また、法科大学院教育も、目の前で学生の反応を引き出せる という点で、楽しい経験でした。自分が研究者にあるまじき怠惰な人間ですので、学生にもなるべく授業の 時間だけでポイントを分からせることに努めました。本学高等司法研究科が、多くの個性的で優秀な修了生を多方面に送り出し続けてこれた ことを、私は誇りに思っています。今度は私が卒業です。お世話になりました。ではまた。