私の祖父ジョン・バーナード・フェアバンクは、・・・イリノイ、ミシガン、インディアナ、ミネソタなど・・・で組合派教会の牧師を務めた。・・・それから一世紀ののち、自分が・・・講演をして廻った時には、私は、祖父の足跡を追っているように感じたものだった。・・・私の講演は、われわれが中国、朝鮮、ベトナムでさまざまな失敗をしたのは中国の現実を理解していなかったためであり、無理解が続けばこれからもまた失敗するかもしれない、ということを指摘するのが常だった。・・・祖父の説教は私の話ほど世俗的ではなかっただろう。彼が取り扱ったのは、もっと絶対的で、もっと抽象的なことであったし、講演者よりも後で現場を見てきたという人が突然聴衆の中から立ち上がって、「私は二四時間前に天国の国際空港から飛行機に乗ったのですが、その時の状況は、今あなたがおっしゃったのとは全然違っていました」なとどいうことをいうような、中国専門家がよく遭う危機に直面することもなかっただろう。
(J.K.フェアバンク、平野・蒲地訳『中国回想録』みすず書房、1994年、8-9ページ)