1940年代中国史年表

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解題

 1937年7月の盧溝橋事件を契機として日中戦争は全面的武力衝突の段階に入ったが,すべての抗日勢力を国民政府国防最高委員会のもとに結集して抗戦を堅持するという中国政治の枠組みは,1938年10月の広州・武漢陥落のあと戦線が膠着状態に陥るとともに形成された。この時期の中国社会は,(1)国民政府の統治地域,(2)中国共産党(以下,中共)の統治地域,(3)日本軍占領地域,(4)日本の傀儡国家たる「満州国」の領域とその植民地たる台湾から構成されていた。1941年末のアジア・太平洋戦争の勃発を契機として連合国の重要な一翼を担うこととなった国民政府は,不平等条約の撤廃に成功するとともに,1945年夏の抗日戦争の勝利によって傀儡国家・植民地の主稚回復を実現した。同時期,中共は,中国革命論を確立するとともに解放区を拡大して中国政治を左右する一大勢力に発展した。

 1945年2月の「ヤルタ協定」によってアメリカ・ソ連から中国を代表する政府であることを認知された国民政府は,解放区と中共軍の国家機構への編入をめざした。人々は新生中国の平和的建設を熱望していたが,東西冷戦が具体的姿を表しつつあった1946年夏,蒋介石は中共に対する全面的内戦を発動した。1946年末から1948年春にかけて,彼は「憲政」への移行を強行したものの,それは国民党による中国統治の正当性が流失する過程であった。一方,中共が指導する中国人民解放軍は,1948年秋から翌年初めの3大戦役に勝利して軍事的優位を確立した。1949年10月,中共のリーダーシップのもとで中華人民共和国の樹立が宣言された。これにともない「中華民国」政府は台湾に逃れた。

 1949年10月にいたる中国革命は,中国が近代国民国家として自らを確立するとともに,近代中国におけるもうひとつの課題であった政治的統合を達成したことを意味していた。1950年6月の朝鮮戦争勃発を契機として,中華人民共和国では戦時体制下における社会主義化がめざされた。また,「中華民国」政府が西側陣営に組み込まれた結果,台湾海峡は東西冷戦の最前線を形成した。

 以下,いくつかの表紀上の留意点を記しておく。(1)「満州国」や汪精衛が1940年3月に樹立した南京「国民政府」などに括弧を付したのはそれらが傀儡国家・傀儡政権であるからである。(2)中華民国政府の名称は,1948年5月の蒋介石の総統就任までは「国民政府」を,それ以降は「国府」を使用した。(3)「支那派遣軍」や「北支那方面軍」は,当時,実際に存在していた組織の名称でありそのまま使用した。(4)国民政府時期の中国軍の正式名称は「国民革命軍」である。ただし国共両軍の衝突についての記述では「国民党軍」を使用した。また,「国府」期の軍隊は「国府軍」とした。(5)1949年10月以降の「中華民国」は,中国を代表しうる内実を喪失したことから括弧を付した。

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