下記は校正前のベータ版ですので、引用、転載等はご遠慮ください。ご理解くださいますようお願い申し上げます。
大阪大学留学生センター研究紀要第3号(1999)
「法学日本語教育について」 大阪大学法学部講師 田中規久雄
abstract
本稿は、主に法律学を学習・研究する留学生に対する専門日本語教育の立場から、法学分野で使用される日本語の特徴と学習者の問題点を分析し、その教育上の対応を提言するものである。
[キー・ワード]
専門日本語教育、法学日本語、法学準備教育、法律文表現、国際高等教育
Some peculiar characteristics of Japanese legal writing shall be explained and causes of learning difficulties experienced by foreign students of law are to be discussed. Then, some suggestions for possible improvement shall be mentioned.
1 はじめに
ハーグの国際司法裁判所の判事でもあった商法学者、故・田中耕太郎氏は、かつて商事(commercial affairs)のグローバルな性格を端緒に「世界法の理論」*1を発想された。ヨーロッパにおけるEUの活動や、今日の国際取引の現状を見るとそれもむべなるかなの感がある。確かに我々の法文化を取り巻く状況は、一層国際化の度を増しており、その意味ではわが国における法学研究も、地域や文化に依存しないグローバルな理科系研究に似た様相をも一部呈し始めている。
しかし、当然のことではあるが、何れの国の法学教育も自国の法を中心に行われており、極めて文化依存性が高い。わが国の法体系も、独仏流の大陸法(civil law)と英米法(Anglo-American law)の双方からの継受(succession)的側面があるとはいえ、法学部の教育においては、国内法曹の養成という使命もあり、日本法がその大半を占めている*2。その意味では、日本的な「法的思考(legal reasoning)」と「法的術語(legal term)」の運用能力の訓練がなされているといって差し支えないであろう。日本法の学習・研究には、高度に特化された専門日本語処理能力が必要とされる所以である。
翻って留学生の動向を見るに、近年、高等教育の国際化に伴い、たとえば大学院を中心に一部アジア諸国の行政担当者や実務家の留学希望なども増加している。実際、彼らが帰国後に果たす重要な役割を考えると、法学日本語に不慣れな留学生に対して高度に特化された専門日本語処理能力を効果的に習得させるための何らかの手立てが講じられる必要があろう。そこで本稿では、法学部における実際の留学生教育を素材に、可能な限り具体的にその手立てと展望を論じてみたい*3。
2 法学日本語教育とは
最初に、留学生への法学日本語教育をどうとらえるかという問題を考える。この点をいわゆる「専門日本語教育」論として一般化することも可能ではあるが*4、ここでは法学教育の立場から述べてみたい。
2・1 「日本事情教育各論」として
まず、法は、殊にその運用面において文化への依存性が高く、国家・民族等による差異が著しい。そのことは、「訴訟社会」といわれる合衆国の法運用とわが国のそれとを比較しても明らかであろう。また、たとえば中国やイスラム社会とわが国の法運用との差異についても同様である。その意味で、日本法の学習・研究にはある程度の日本法文化への理解が必須であり、法学日本語教育は必然的に「日本事情教育各論」としての側面をも有することとなる。
2・2 「日本語教育各論」として
法学の学習・研究の際に最小限理解できなければならない法律関係の文には、条文・判決文・訴状や各種準備書面・行政通達・判例評釈・法学論文などがある。殊に判決文の中にはいわゆる「悪文」*5といわれるものもあるが、それらの読解は法学の学習・研究に必須である。講義の聴解能力なども含め、法学の学習・研究に特化された日本語能力を向上させる教育は、それゆえ「日本語教育各論」として理解され得る。
以上のように、留学生への法学準備教育もまた、留学生教育の制度的枠組みである「日本事情教育」と「日本語教育」の射程にあり、その初等程度の法学教育と法学日本語教育は法学部や法学研究科での専門教育以前になされることが望ましい。
3 学習者の問題点と文化的原因
次に具体的に留学生が直面する問題を取りあげる。
3・1 講義の聴解
学部レベルでの大講義では、教官が口述で講義し、学生はそれを筆記するという形態が基本であるが、その際まず聞き取りが難しく、その結果筆記が進まないという問題がある。留学生本人からの聞き取りや、その筆記ノートの点検などを通じて分かったのであるが、一つは「知らない言葉が多い」、「同音異義語が多い」*6といった点に問題があるようである。
3・2 レポート・論文の執筆
次に、法学的な文章を書くのが難しいという問題がある。学部生ならレポート、大学院生なら学位論文の執筆などに苦慮しているようである。「日本法そのものの理解不足」という原因は本稿の射程ではないので省略し、日本語教育の問題に絞ると次のようなことがいえるものと思われる。
それは、法学関係の文章はそれに特有な「格調」が要求され*7、日常的な口語表現などが極度に嫌われることがあるということである。そこでその「格調」の要素を考えてみると、「文語的」、「漢語の多用」*8、「一文が長い」*9といった点があげられる。
3・3 文章の読解
出身が漢字圏であるか非漢字圏であるかを問わず、読解は以上の二つに比べると容易なようである。ただし、漢字圏出身者の場合かえって誤解を生むこともある。たとえば「経済法」といえば、わが国では独占禁止法など、一般に経済活動を規制する法分野を指すが、中国ではわが国でいう「民法」を指し、実際、日本に来て初めてそのことを知ったという留学生もいる。
3・4 文化的原因
以上のような問題が生じる原因には、わが国に対する「文化的理解の欠如」がまずあげられる。法学教育の立場からいえば、殊に日本の近代史(就中、日本近代法制史と日本近代政治史)への理解不足が指摘され得る*10。
次に、日本の学生にも共通する部分があるが、学習・研究に対する習慣の違いがあげられる。このことは研究姿勢において殊に深刻であり、たとえば、とにかく自分の意見を主張するだけに傾いたり、調査のみを極端に重視したり、実績のある学者の説を丁寧に整理することのみに固執したりすることがある。そうした場合、レポートや論文を書いても認めてもらえないこともあり、極端な場合には研究指導になじまない事例もでてくる。そのような学生には、日本の学術文化をふまえた「論文・レポート執筆法」などの授業が提供されるべきであろう*11。
以上は日本事情教育各論としての法学教育が求められる所以である。
4 法学日本語の特徴
さて日本事情教育各論としての法学教育はまた別の機会に論じるとして、以下、法学日本語の問題に限定してこれを考察したい。
4・1 学習対象
まず、講義など聴解すべきものの他、文字情報で法学固有の対象となるものに条文・判決文・判例評釈などがあり、他方、講義の教科書・体系書・論文など他分野と同様なものもある。
条文については、それほど多くはないとはいえ、明治期に制定され、文語体・カタカナ表記のままの重要法令がある*12。たとえば私法における中心的法規である民法や商法系の法規に見られるし、旧法令でも学習・研究上重要なものは多いので、文語体・カタカナ表記に慣れることは学習・研究上必須となる*13。
条文の例)「法定代理人カ目的ヲ定メテ処分ヲ許シタル財産ハ其目的ノ範囲内ニ於テ未成年者随意ニ之ヲ処分スルコトヲ得目的ヲ定メスシテ処分ヲ許シタル財産ヲ処分スル亦同シ」*14
もちろん判例・論文なども、古くとも重要なものがあり、それを読む場合には文語体がある程度は読める必要がある。
4・2 語彙
次に語彙の問題に移りたいが、本稿では単語・用語レベルの問題を対象とし、旧字体の問題を含む個々の漢字レベルの問題は扱わない*15。
4・2・1 読み
まず、用語の読み方である。これは留学生固有の問題ではないかもしれないが瞥見しておく。基本的には学習効果のあがりやすい問題であり、適切な教材さえ開発されれば容易に対処され得るであろう。
(1)読みにくいもの
最初に、そもそも通常の日本語使用者でも読みにくいものがある。
例)嫡出(ちゃくしゅつ):瑕疵(かし):欠缺(けんけつ):責に任ず(せめににんず):羈束(きそく)
(2)通常とは違う読み
次に、日常的な日本語とは読み方の違うものがある
例)遺言(いごん):兄弟姉妹(けいていしまい):競売(けいばい):借地・借家(しゃくち・しゃっか):貨物(かぶつ)
(3)指向性のある読み方
最後に、通常の読み方でもよいが、伝統的に法律分野で好んで用いられる読み方がある。
例)施行(しこう):三権分立(さんけんぶんりゅう):加重(かちょう)
4・2・2 分類
以上のような、法学の学習・研究に必要となる語彙を、どのような種類の辞典*16が見出し語に収録しているかとの関係で簡単に分類すると以下のようになる*17。なお、従来は読みが分からないと辞典が引けないことが多かったが、電子化された辞書を使うと正しい読み方が分からない場合でも漢字で引ける場合がある。
(1)通常一般用語
法律用語としても用いられる一般語は、通常の国語辞典でも調べることができる。ただし、法律用語としての固有の意味がある場合もあるので、厳密には法学辞典などで調べたほうがよい。
例)権限:相続:持分:意思*18
(2)高度な一般用語
また、法律文にはよく用いられるが日常文ではあまり使われないというものでも、一般用語であれば大体は国語辞典に見られる。ただし、法律用語としての固有の意味がある場合があるのは通常一般用語と同様である。
例)祖法:思料
(3)法学固有一般用語
次に、これが最も問題なのであるが、条文でしか使われない用語や判例の中で裁判官が創作した用語がある。これらは法律文では多用されるのだが、一般語であるにもかかわらず、人口に膾炙していないので国語辞典にはない場合が多い。これには後述する省略された複合語も多い。現状では、留学生が自力で調べられないことが多いのは問題であろう。
例)推認:判旨:判示
また、法令名・判例集名・雑誌名・紀要名・裁判所名・判例出典等の略語などもあるが、これには一覧表などもあり*19、教材とすることができる。
例)福岡地大牟田支判(福岡地方裁判所大牟田支部判決)、都計法(都市計画法)、民集(最高裁判所民事判例集)、訟月(訟務月報)
(4)法律専門用語
最後に、本来的な意味での法律専門用語がある。これは法学辞典類にあがっているし、そもそもその語用論(pragmatics)を学ぶのが法律学習でもあるのだから、法学日本語教育の射程にはない。しかし、これを全く無視して法学日本語教育を行うことは難しいものと思われる。
例)事務管理:権原:善意・悪意:使用貸借
(5)複合語
留学生にとって一番難しいのは、この複合語の理解であるようだ。つまり、分解して解釈していい単語かどうかの区別の段階で躓くようである。これにはたとえば以下のようなものがある。
まず、「助詞省略型」がある。
例)不当利得返還請求権:遺産分割時:賃料相当額
次に、「接頭・接尾辞型」もある。
例)右不動産:前訴:本件不動産:原審:本判決:他方配偶者:確定前
また、省略すると同時に複合することも多く、混乱を招くようである。
例)祖法(祖先伝来の法):推認する(推定して認定する):判旨(判決の要旨)
4・3 表現
法律文に特徴的な表現方法として、たとえば以下のようなものがある*20。
4・3・1 体言化
判例評釈の標題などに体言止めが散見される他、文中でも体言化して使用されることが多い。文章表記の経済のためであろうと思われる。
例)〜の推認という理論構成である。
4・3・2 婉曲表現
よく使われる表現に「〜であろう」がある。これは、形式的には推量であるが意味的には断定である。
例)〜と解すべきであろう。:〜といわざるを得ない。
4・3・3 文語的表現
理科系に比べ比較的古い文献を読まなければならないことの多い法律学の学習・研究においては、先の文語体と同様、文語調も読める必要がある。
例)蓋し(けだし)〜*21:夙に(つとに):所以である(ゆえんである)
4・3・4 事実の抽象化
具体的な事実(たとえば、人であれば「夫」、物であれば「日本酒」など)があっても、その属性が法律判断の実体である「判決理由(ratio decidendi)」に無関係な場合、可能な限り不必要な属性を捨象して、抽象化された上位概念用語を用いることが多い。また、条文や判決文では、その登場人物の誰の視点や立場もとることが許されず、そのため可能な限りニュートラルな表現をする。これらは法律文を読みにくくしている。同じ法律文でも、著者の観点や特定の登場人物の視点に立つ論文が文章の難度の割には理解しやすいのと対照的である*22。
例)他方配偶者の占有使用を死亡配偶者の相続人に対する関係で〜:特定物の引き渡しにおいては、〜
4・3・5 長文
判決文を中心にして、法律分野では長文が用いられることが多い。これは、文章表記の経済を図ると同時に表現の曖昧さを極力減少させるためであるといわれる*23。しかし、これらは一読しただけでは、通常の日本語使用者であっても、短期記憶の限界を越えてしまうであろう*24。しかし、下記の例のような程度の長文は法学学習・研究上扱えなければならないレベルの長文である。
判例評釈の例)「右判決は、相続により共同相続人の共有となった建物に相続開始前から被相続人の許諾を得て被相続人と同居し、相続開始後これを単独占拠している共同相続人の一人に対し、他の相続人が不法行為又は不当利得を原因として持分に応じた賃料相当額の支払を求めた事案につき、特段の事情のない限り、被相続人と同居相続人との間で、相続開始時を始期とし、遺産分割時を終期とする使用貸借が成立していたと推認されると判示して、不当利得返還請求を認容した原判決を破棄した。」*25
条文の例)「国の機関としての都道府県知事の権限に属する国の事務の管理若しくは執行が法令の規定若しくは主任の各大臣の処分に違反するものがある場合又はその国の事務の管理若しくは執行を怠るものがある場合において、地方自治法第百五十一条の二に規定する措置以外の方法によつてその是正を図ることが困難であり、かつ、それを放置することにより著しく公益を害することが明らかであるときは、主任の各大臣は、同条の規定により、当該違反を是正し、若しくは当該怠る事務の管理若しくは執行を改めるべきことを勧告し、命令し、訴えをもつて裁判所の裁判を請求し、又は当該都道府県知事に代わつて当該命令に係る事項を行うことができる。」*26
5 法学日本語教育の展望
さて、以上のような様々な問題点を留学生が克服するための対応として、如何なる手立てが考えられ得るであろうか。
5・1 教材開発
まずは教材開発である。ここでは、たとえば漢字にルビを振るとか多言語対訳にするとかの技術的な考慮がなされることは前提として、内容的な側面を中心に提言する。
5・1・1 法学日本語テキスト
第一にはなんといっても外国人用の基本テキストの作成であろう。これは、日本近代史(殊に法制史・政治史)と英米・大陸・イスラム・アジアなどとの比較法的視点を考慮し、日本の法文化形成過程の理解と法学基本用語運用能力の習得を図るものである必要があろう。
5・1・2 法学用語集
第二に、通常の国語辞典にないような法学固有一般用語の解説や、用語の対訳なども射程に入れた法学用語集の編集がある。
5・1・3 法律文表現辞典
第三に、法学日本語を学ぶ学習者のための法学表現辞典ないし法律文文型辞典がある。森由紀氏は、文末表現などの文型の問題*27について、「(〜する)ものとする」という法律文に頻出する表現を取りあげて、そうした辞典の必要性を説かれる*28。連帯債務のある場合の「甲と乙は各自XX円支払え」という判決文表現などは、本来的には法学学習の実体に属するものであるが、日本語表現という立場で扱う必要もあるだろう*29。
5・1・4 演習書・問題集
第四に演習書・問題集の作成があげられる。これは実際の条文・判決・論文などからリーディングスを作成し、演習問題を付け、読解力と法学文章作法の習得を図るものである。
5・1・5 講義テープ
第五に講義テープの作成がある。これは、内容的には実際の講義レベルでなくてよいが、上記の留学生用法学日本語テキストレベルの内容を、実際の講義の標準的な速度で講じている必要がある。それは日本の大学で学ぶことが可能かどうかの試金石足り得るものでなくてはならない。ただし、書き起こし文の添付は必須であり、留学生が自習教材として法学日本語能力を高めるために利用できるものでなくてはならない。
5・1・6 多言語六法
最後に基本的な日本の法律・政令・省令などを多言語翻訳した学習用六法が必要であろう。これには術語の対訳が示され、留学生が自国の法概念と対応させ、その異同を検討できるものであることが望まれる。
5・2 教育制度
次に、これは法学分野に限らず専門教育一般に共通した問題となろうが、初等専門教育*30ないしは専門準備教育として、どのような制度で行うのが望ましいかを考えてみる。ただしここでは、学部や研究科が行うのか、留学生センターなどが行うのかといった供給側の問題は重要ではあるが等閑に付す。
5・2・1 使用教材
まず、いえることは、教材はすべて専門教育の分野からとるべきであろうということである。上記したような教材が開発されればよいのだが、現状では適当なものは見当たらないので、当該分野の専門家が作成ないしは指定したものを使用すべきであろう。
5・2・2 授業担当者
授業担当者も当該分野の素養が必要とされるであろうが、必ずしも該分野の研究者である必要はないと考える。純粋な日本語教育分野の専門家よりも、純粋な該専門教育分野の専門家の方がよいとは思われるが、後者の場合であっても、ある程度日本語教育の訓練を受け、最低限の教育技術を修得している必要があるように思われる*31。
5・3 授業担当者の養成
では、以上のような教育の可能な担当者をどのように養成すればよいのであろうか。
5・3・1 現職担当者の研修
現状で学部などの専門教育部局に留学生の専門準備教育の担当者がいれば、たとえば国立国語研究所の日本語教育研修コースや日本語教育の大学院に派遣する。あるいは逆に、日本語教育担当者を日本語関係ではない法学その他の専門分野の大学院に派遣した後、専門日本語教育を担当させるといった方法が考えられるであろう。
5・3・2 担当者養成制度の創設
さらに、今後の担当者の養成のための教育制度も考えられてよいだろう*32。ここでは、ひとつの可能性を考えてみる。
これまでに述べてきたことから専門日本語教育の担当者像を想起すると、専門領域に対する幅広い教養があり、同時に日本語教育の基礎技能を有する者ということになるが*33、これを単一の分野を研究する専門大学院研究科のみで養成することは困難であろう。そこで、担当者養成にあたる教授団は、法学などの各専門分野の専門家と日本語教育の専門家が中心になった複合的なものとなろう。
そして、そうした教授団を前提に制度を考えた場合、二つの方向がみえる。第一は、たとえば留学生センターや文学部などの日本語教育や日本(語)学の専門家と、法学部などの各学部・研究科(ならびに、可能なら大学教育研究センターなどの高等教育の専門家)などの協力で、国際高等教育研究科などといった独立研究科を設置し、そこで養成するというものであり、第二は、専門大学院教育の中で、たとえば国際高等教育課程といった、一種の教職課程のようなものを履修可能にして、履修者に一定の資格や評価などを与えるという方向である。
6 おわりに
一般日本語教育と法学専門教育の間をつなぎ、専門の学習・研究の実をあげんとするものが専門準備教育や専門日本語教育であって、留学生の自助努力への期待もさることながら、法学日本語教育も、広くはそうした視座から考慮されていく必要があるだろう。その意味からは、本稿も本来はそのコース・デザインなども提示すべきなのではあるが、未だ実践としてそこまで成熟しておらず、そうした問題は今後の課題としたい。
なお本稿は、平成10年度文部省留学生交流研究協議会教育指導部会における報告を基にしているが、その際三重大学留学生センターの森由紀先生から、三重大学では日本語教育の側からも法学日本語教育にアプローチし、専門教育の実をあげようとする真摯な努力があることをご教示頂いたことに感謝したい。本稿はそれに勇気づけられて執筆したものである。
[付記:本稿で使用した辞書・六法]
・新村出『広辞苑第四版』CD-ROM版(1996)岩波書店
・松村明『大辞林』CD-ROM版(1992)三省堂
・市川孝ほか『現代国語辞典』EB版(1991)三省堂
・藤堂明保ほか『漢字源』EPWING版(1993)学習研究社
・有斐閣『判例六法平成9年度版』EB版(1997)有斐閣
・竹内昭夫ほか『新法律学辞典(第三版)』(1989)有斐閣
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[注]
*1 田中耕太郎『世界法の理論』第1卷−第3卷、岩波書店(1932-1934)、新青出版(1998復刻版)。
*2 ただし、大学院レベルでは欧米の外国法研究が主となる。とはいえ議論や論文などでは原則的に日本語が用いられるし、民法を始めとする日本法の継受を余儀なくされた韓国やR.O.C.(台湾)においては、日本法の研究が直接の効用をもたらす場面もあるようで、留学生自らが日本法研究を希望することが多いようである。
*3 本来は、学部生・研究生・博士前期課程院生・博士後期課程院生等の段階に応じてきめ細かく論じられるべきであろうが、本稿では総論的論述にこれを留め、各論は他日を期したい。
*4 たとえば、専門日本語教育総論として、三牧陽子「『専門日本語』教育−ニーズと位置づけ−」『大阪大学における日本語教育』大阪大学留学生センター(1995.3)参照。
*5 宮地裕氏は、判決文を「悪文のチャンピオン」と呼ぶ。宮地裕「文の切りつなぎ」岩淵悦太郎編著『悪文(第三版)』日本評論社(1979)75頁。
*6 このことが裁判における「弁論」が「書面」でなされる原因であるとの指摘もある。倉田卓次「判決とはどういうものか」『日本語学』第13巻第1号(1994.1)11頁。その点からは口述筆記の講義の際には最低限、間違えやすい同音異義語の板書が必要であろう。
*7 波多野完治氏は、法律文の品位と客観性を担保した上で、それらを可読性とどう調和させるかが問題だとする。波多野完治「法とことば」林大・碧海純一編『法と日本語』有斐閣新書(1981)229頁。なお、判決文に関する「悪文」性と「格調」については、三宅弘人「判決文の簡易化について」前掲『日本語学』76頁参照。
*8 波多野完治氏は、「漢語の抽象性は、現実の世界を全て抽象の世界へ『移行』させる抽象性である。具体的な個々の現実とそれをひとまとめにする抽象性との、双方を自由に行き来する抽象性ではない。」という理解の上で、そうした漢語の使用が、「一種のたとえで、その抽象的な概念をあらわす」日本的な抽象化では対応できない「法律の要求する抽象化」を果たしたとする。前掲波多野論文238-239頁。
*9 一文の平均字数について、一般・新聞の42.34字に対し、法律・判例では96.11文字に達するとの調査報告がある。森由紀「一般日本語と専門日本語の比較分析−新聞(コラム)と法律資料(判決文)の日本語−」『留学生の専門日本語教育充実をめざして−社会科学系の留学生教育支援のために』三重大学(1998)16頁参照。もっとも大久保忠利氏によれば、「三百字四百字は幕下十両級」で、なんと一文「四千余字」のものがあるという。大久保忠利「判決文の『つづり方教室』」『法学セミナー』No.38(1959.5)73頁参照。
*10 もっともこの点は、近年の受験科目の軽減等で日本の学生の場合ですら問題点となり得る。法学専門教育の立場からは、日本史・世界史の区分は無くともよいから、「近代史」という形で高校程度の学習をする機会が全学生に与えられないものかと思う。
*11 教材として、一般準備教育用に、浜田・平尾・由井『論文ワークブック』くろしお出版(1997)が、法学論文について、広中俊雄・五十嵐清編『法律論文の考え方・書き方』有斐閣(1983)がある。
*12 もちろん句読点はないのが本則で、概ね大正15年以前のものには濁点もない。ひらがな口語体になったのは昭和21年頃からであり、法令が完全に新字体になったのは、昭和27年末からだといわれる。有斐閣六法編集室編『六法の使い方・読み方』有斐閣(1998)23-24頁参照。ただし、市販のいわゆる「六法」では旧漢字を新漢字に改めて収録している。
*13 たとえば、刑法は平成7年法律第91号、民事訴訟法は平成8年法律第109号による改正によりひらがな口語体になったが、旧法が適用された判例などが無意味になったわけではなく、結局両方読めなければならないのである。
*14 民法第5条。
*15 個々の漢字の問題については、村上恵「判決文と新聞コラム記事における漢字使用の実態−法律系日本語教育に向けての基礎調査−」前掲『留学生の専門日本語教育充実をめざして』参照。なお、法律学習上必要な個々の漢字の学習教材としては「難解法令文字の読み方」『ポケット六法付録』有斐閣(各年度版)が適当であろう。ただし、利用に際しては授業担当者の側で重要度に応じてランクづけし、順序よく学習させるのが望ましい。
*16 使用した辞典類は末尾にあげる。
*17 例にあげた語彙の選択については、大阪大学法学部の留学生に簡単な調査を行った。
*18 法律用語としては「意志」という語はほとんど用いられないことに注意。渡辺五三九「『意思』と『意志』の起源」『ジュリスト』No.686(1979.3.15)107頁-参照。
*19 たとえば、法律編集者懇話会「法律文献等の出典の表示方法」日本学会事務センター『法律関係8学会共通・会員名簿1998年版』(1998)や各種法学辞典・体系書・判例評釈集の凡例など。
*20 判決文表現の特徴については、田尾桃二「判決文の語彙」前掲『日本語学』56頁以下参照。ただし、「判決では・・・、語を造成して使うこともまずなされない」(69頁)という見解に対しては、翻訳語を除いたとしても、上述の観点から異議を唱えざるを得ない。
*21 ただし法学界では本来の意味とは異なり、「なぜならば」の意に転用されていることが多いので注意。
*22 前掲波多野論文231-235頁参照。
*23 河上和雄「判決文の文体−刑事−」前掲『日本語学』53頁参照。
*24 大久保忠利氏は、法令文や判決文の「構文上の病気」として、1)長文病、2)修飾語句長すぎ病、3)主述はなれ病、4)省略文素無意識病、5)条件文やたらはさみこみ病を上げている。大久保忠利「法令用語を診断すれば」『法学セミナー』No.35(1959.2)55-57頁参照。だが当時の法制局長官は、これらは必要あってなされているとする。林修三「法文作りの立場」『法学セミナー』No.38(1959.3)68頁-参照。なお、本稿では読みにくい長文の例をあげたが、高橋太郎氏は長文の原因となる「連用形の中止法」や「接続助詞の『が』」といった文中の「中止法」を分析する中で、用法によっては、これらが作る長文であっても必ずしも読みにくいものとは限らないことを示唆している。高橋太郎「文の途中での切り方」前掲『悪文』95-115頁参照。
*25 山下郁夫(最高裁判所調査官)「時の判例」『ジュリスト』No.1134(1998.6.1)118頁。
*26 国家行政組織法第15条第2項。
*27 条文の文末表現(法律効果規定部)については、拙稿「法律効果規定部の意味機能について」『情報処理学会研究報告』第98巻第21号(1998.3)参照。
*28 前掲森論文17頁。なお、現時点では、田島信威著『新版・法令用語の基礎知識』ぎょうせい(1991)や、林修三著『法令用語の常識』日本評論社(1975)などが、語彙だけではなく、法律文表現辞典的な役割を果たしているが、教材とするには授業担当者による整理が必要であろう。
*29 因みにこの場合は、「甲と乙で総計XX円支払えばよい」の意である。なお、法学の実体的内容に入ってしまうが、中野次雄編『判例とその読み方』有斐閣(1986)も有益である。
*30 今村和宏「社会科学系留学生のための日本語教育」『一橋論叢』第110巻第6号(1993)79頁は、殊に大学院留学生が高度の専門教養を有していることから、専門日本語教育に初歩的な専門教育教材を用いることはモーティベーションを喪失させるとするが、それは経済学関係のようなグローバルな領域だからであって、法学分野では自国で日本法の学習をしてくる留学生は大学院レベルでもほぼ皆無であり、初等専門教育にも意義はある。
*31 日本語教育教官が専門教育に踏み込むこと、ならびに専門教育教官が日本語教育に踏み込むことの重要性については、前掲今村論文63-64頁、ならびに70-71頁参照。
*32 前掲今村論文76-77頁は、こうした人材の不足を説くが、それを日本語教育教官と専門教育教官の個人的努力に委ね、養成制度には言及していない。
*33 両方の素養がある教官が望ましいことについて、前掲今村論文74頁参照。