関西学院大学法学部・社会学部共催特別研究会

2000/7/5(16:40-18:10)

法学部3F中会議室

「情報社会における監視:日常生活の傍受」

David Lyon

Professor, Department of Sociology, Queen's University, Canada

英文レジメの私訳(田中規久雄)

はじめに:電子的な手段による監視は、いわゆる知識ベースな社会における管理の形態として、ますます重要なものとなっている。しかし、私たちはこの新しいプロセスをまだほとんど理解していない。この意味での監視は、個人の詳細に向けられ、データ主体を操作し、あるいは管理しようとする。これは、曖昧なプロセスであり、否定的にのみ考えられるべきではない。日常の利便性、能率、そして安全は監視に依拠しているのである。しかし、それには市民の権利と技術の発達、情報政策、規制と抵抗にまつわる諸問題を提起しているのである。

1. 何が起こっているのか?

 a. 身体の消失

 20世紀を通じて、通信・情報技術が徐々に遠隔まで拡大され、社会組織の態様に大きな変化が起こった。その効果は、統合的な社会関係からの身体の「消失」であった。面と向かった関係の減少は、伝統的な手段を補償する(身分証のような)信頼の兆表を必要とするように思われた。しかし、信頼を維持する手段はまた、個人の日常生活の詳細をなぞる手段でもある。

 b. 見えざる枠組み

 情報インフラはそのような監視がなされる見えざる枠組みをますます増強している。同時に、危機管理、殊に保険会社によって組織された場合、は社会的分類のカテゴリー(誰が適格か、誰が参加していいか、誰が条件を満たすか、等々)を構築する。また、情報インフラは、(たとえば、DNA、生体技術、ビデオやCCTVといった)他の技術が結合する共通基盤を与える。インフラは監視に力を貸すのである。情報社会は監視社会なのである。

 c, 漏れ易い容器

 情報インフラは機関や組織の内部あるいは相互の間での、比類なきデータ共有を可能にする。このことは、そのような監視を最初にはじめた政府機関においてだけではなく、営利組織でもそれは起こる。たとえば、1990年代中期のケベックでは公的データベースより民間のそれの方が個人データの循環が激しかった。相互参照を容易にする同様なデータマッチングや記録結合はすべての部門で増加している。法的あるいは技術的な限界があるとはいえ、データベースが穴だらけであることへの関心が高まっている。

2. 問題があるのか?

 a. 日常生活の規制

 監視はもはや、何らかの機関により「見張られている」特定人物だけの問題ではない(静かに起こっていることなのだ!)。それどころか、すべての取引、通信、やり取りは自動的に記録され、そのデータが検索、処理その他のために蓄積されるといった、たゆまざる、定型的、体系的、浸透的、意図的監視に日常生活は従属しているのである。カテゴリーは社会「秩序」の新しい形式を生み出す。監視による分類の射程は、(たとえば警察による)「カテゴリカルな嫌疑」から、(たとえばデータベースによるマーケティングにおける)「カテゴリー化の誘惑」にまで広がっている。

 b. プライバシーの問題

 「プライバシー」と、より弱いものであるが「データ保護」の議論は、両概念が論争的であるにもかかわらず、この分野においては主要な問題である。プライバシーは文化相対的なものであり、また「情報プライバシー」を意味するものとして再考されねばならない。ある意味では、プライバシーの追求はその逆の場合よりもより監視を生み出す。だが、このことの背後にある問題、すなわち人間の尊厳の問題は重要である。オーウェルの「1984年」の本当のテーマはプライバシーではなく尊厳なのである。ここでは、任意にかつ信頼関係の下においてのみ、他人に自己を開示する個人的欲求が前提とされる。こうして、「公正な情報の諸原則」が世界的に認識されつつある。

 c. 権力の問題

 「プライバシー」、望むらくは尊厳、は社会的価値である。なぜなら、それは監視の社会的プロセス、殊に社会的な秩序づけに結びつくからである。社会的なカテゴリー化は、容易に現存の社会的隔壁を強化し、新しい隔壁をも生み出しがちである。危機管理のためのカテゴリーは抽象的で、モラルを失いがちである。それらは行動、殊に監視が予期し回避しようとするまだ生起していない未来の行動と結びつく。こうしてたとえば、健康保険や住宅保険のための倫理的なガイドが危急に求められる。新しい監視は、Robert MosesがN.Y.の都市インフラについてしたように、人種差別を強化するような電子的方法でなされるのであろうか? 非民主的で、望まれない社会的隔壁が情報インフラに組み込まれるかもしれない。

何をなしうるか?

 ここで論じた問題は、様々な局面で強調されねばならない。立法化の促進は必要ではあるが不十分である。それは、新しい監視の統制的傾向を打ち消すことに配慮するという文化を生み出す助けにはなろうが、十分ではない。監視への配慮は、(たとえばPETsのように)配慮がビルトインされるように情報専門家と計算機科学者の間に広まらねばならない。しかし、技術がますます危機社会における政治的問題となるにしたがって、市民は技術次元に関与することを求めるようになる。ビジネス実務は公正な情報の諸原則を反映せねばならず、それへの関心は(たとえば、データ保護についてのEU指令のように)世界的なものでなければならない。若年からの教育もまた重要であり、いくつかの点では、(CPSRやプライバシーインターナショナルのような)積極的な抵抗が必要である。この問題は社会的、政治的、技術的、倫理的に重要であり、21世紀の情報社会に対する最大の挑戦のひとつを具現しているのである。

 [訳者注]:Lyon氏には、Computers, surveillance, and privacy / David Lyon and Elia Zureik, editors. Minneapolis : University of Minnesota Press, 1996や、The electronic eye : the rise of surveillance society / David Lyon. Cambridge : Polity Press, 1994などの関連著作があります。