ディスカッサントの提言

許 衛 東

【中国経済の多様性】中国の現指導部は,21世紀の最重要課題=究極の経済近代化の達成と位置づけ,(1)2020年に余裕の持てる途上国へ;(2)2050年に中進国へ;(3)2080年に先進国へ;(4)トップの先進国へ,と粗筋ではあるが息の長い成長段階説という百年の大計を公に掲げています。この控え目ともいえる発言とは正反対に,主に欧米の経済界を中心として,今の中国経済の膨張ペースでいけばあと20年もすれば,中国は日本,EUを凌駕し,アメリカと肩を並べる最強国になるとの見方もあります。

経済予測はもともと外れるのが普通です。ましてや13億(少なくとも16億に達するまで増え続ける)の人口規模を有する国民経済の行方はこれまでの欧米の経験以上に予想外の多数の不確定要因を抱えるからなおさら困難です。しかし,楽観派にしろ,悲観派にしろ,結論を導く方法の根本的違いがあるものの,ともに「革命中国」の最盛期=毛沢東時代以降の過去25年間の改革・開放期の経済成長を類を見ない累積的変革過程であったという事実として論拠にしている共通点は興味深いものです。

(1) [世代の問題] 私は1980年に中国の大学に入学し,後に日本に留学することになって,常に日本と中国の現実を突き合せながら学問の道を歩んできました。「革命中国」を必然の認識環境の前提として「普通の国」「普通の社会」に転換させるために,どのような「経世済民」の策が中国研究に適されるかを考える,いわば改革期世代といえます。

私の専門はもともと経済地理学で,「中国」という固有名詞が付く領域ではありませんが,地域観察や企業・農村などの現地調査を通して ,必然と「中国」と「日本」とではどのような普遍性があり,またどのような差異(個性)があり,それがどのように経済過程や経済行為に影響するのか,を考える習慣が身に付き,その答えを求める思考過程において,「中国研究」ないし「地域研究」の発想が自然と湧き上がることになります。

(2) [私の関心] 現代の経済問題を理解するためには,様々な方法があるが,とりわけ(1)制度=国土の条件;(2)地域性=地理的空間性;(3)地域システム=グローバリゼーションの三つの切り口からアプローチしてみる価値がある。私の現在の研究課題は,中国と日本の近代化局面における上記三つの概念設定からの比較研究です。19世紀後半からのウェスタン・インパクトの時期に遡って,20世紀の通過過程と21世紀の伸長期を射程にいれて,重層的に検討したいと考えています。

(3) [夏井報告について] 半封建・半植民地・官僚資本主義との伝統中国社会の認識を前提に展開された革命必然説を再検討する意味において,どれだけ中国社会に内包する自己変革の基礎的条件が用意されたのか,また世界システムと中国の地域社会の相互規定によって成り立つ中国の近代化の歴史局面をどのように総観的に把握するのか,その解明の糸口となる中国社会の実態分析は必要不可欠です。

(4) [周報告について] 「地域」とともに「民族」も中国の国家的性格・文明形態の形成を考えるうえで重要な基礎概念です。特に,今後の市場経済の過程創出において,中心-周辺関係を構成する民族地域の「変革主体」性の発展的論議は大きな意義を有します。

(5) [沢田報告について] 「革命中国」がもたらしたマイナス遺産の継承的解消のレベルにとどまらず,ITに代表される「新経済」の旋律に踊らされるなか,近代化化=都市化社会の中国的受容過程も,やはり「富」と「分配」の関係規定を受けざるを得ず,国家,社会=地域,家族,個人の機能性及び相関性の再編を必要とします。日本を含め「国家=公平」と「市場=効率」という命題に悩む国と地域が多いなか,中国の実証的究明は,「中国研究」の深化と「中国と世界」を相対化して「地域研究」へも発展させうる興味深い視角の提示に繋がると考えます。

宮 原 曉

1990年代後半における中国の突出した存在感は、楽観的,悲観的を問わず,中国を中心とした文化的ヘゲモニーに対する古くて新たな関心を喚起した。東南アジアの中国系住民(特定の時期に中国の支配下であった地域から移動したとされる人々及びその子孫)を対象とする人類学的研究にとって、こうした中国の文化的ヘゲモニーへの関心は,目前で進行しつつある事象を,「中国」という大きな枠でくくることの是非をめぐる問題でもある。中国市場の膨張と経済のグローバル化は、アジア・太平洋地域を中心とした中国系住民の人口移動と連携を促すとともに、中国系住民と地域社会との関係に少なからぬ変化をもたらした。国民国家の強固な統制力の下で「沈黙せる少数派」であった中国系住民が,かたや「エスニック・リバイバル」と呼ぶべき現象を担うダイアスポラ・チャイニーズとして,かたやグローバル化に抗するクレオールとして,新たなアイデンティティを模索し始めたのである。

1.[世代の問題]1988年に私のフィリピンの中国系住民の研究を始めたのは,フィリピンのエスニック・グループの一つとして中国系住民の認知を求める運動が出だしたときである。1965年から1986年まで続いたマルコス政権下で,中華人民共和国との国交樹立と中国系住民のフィリピン国籍取得手続きの簡便化(ともに1975年)がなされ,フィリピンは多様な文化的バックグラウンドを持つ国民からなる多民族国家となり,中国系住民もフィリピン国民としての一歩を踏み出した。定義のうえで,中国籍を持つ華僑から,現地籍を持つ華人となったのである。

これに対してエスニック・クループとしての認知を求める運動は,政治的アイデンティティのみならず,文化的アイデンティティにおいても,フィリピン国民を構成する一エスニック・グループとなろうとした運動だったと,今にしてみれば思いあたる。当時の私は,こうした言説が現実とかけ離れていると思っていたが,これらの言説を生み出している華僑・華人研究が,エスニック・ポリティクスの実態を色濃く反映したものだとは,エスニック・グループとしての認知を求める運動が,90年代に入って大きく変質していくまで思い至らなかった。90年代前半,かつてエスニック・グループとしての認知を求める運動の担い手たちは,次第にダイアスポラ・チャイニーズとしての文化的アイデンティティを強調するようになっていく。フィリピンから北米などへの再移民が顕著になるのも,こうした時期である。

一方,90年代前半は,中国系住民のフィリピンからの流出とともに,中国大陸からフィリピンへの新たな人口移動が始まった時期でもある。こうした潮流は,2000年代に入って顕著なものとなり,フィリピンからの流出した中国系住民の再移民先での経験とも相まって,旧来の中国系住民と新移民の間の乖離を生み出した。長年,フィリピンに定着してきた中国系住民は,再移民先での他の中国系住民や新移民との間のギャップを自覚することになったのである。

こうした状況は,多かれ少なかれ東南アジアの旧来の移民たちに共通する経験となっている。国際華僑・華人研討学会という90年代の前半に,ダイアスポラ論の潮流にのって組織された学会があるが,新旧移民の対立は,そこでの主導権争いの原因にすらなっているのである。

2.[私の関心]こうした状況下での私の関心は,トランスナショナルとローカルの二つの位相での文化的ヒエラルキーのなかに「土着化」および「クレオール化」のプロセスをたどりつつ,東南アジア諸地域における中国系の人口移動と現地化の新たな潮流を,文化人類学的な現地調査をもとに解明し,従来の華僑・華人像をも包摂する新たな中国系住民の像を提示することにある。

これまでの華僑・華人研究の多くは,華僑(中国籍保持者)と華人(現地籍保持者)の区別に看取できるように,中国系の人口移動を国民国家の枠組みのなかで単一的,本質主義的に表象し,華僑・華人研究の担い手が立脚する文化的ヒエラルキー(中国を中心とするトランスナショナルな位相と,各地域の社会ネットワークに根ざしたローカルな位相を持つ)は捨象されてきた。

こうした反省に立ち,(1)人口移動によって生ずる周縁性を,東南アジア諸地域および中国大陸での現地調査に基づいて記述すること,(2)多様な周縁と中心によって構造化される文化的ヒエラルキーを動態的に把握すること,(3)こうした文化的ヒエラルキーのなかに生ずる民族カテゴリーないしアイデンティティの形成過程を,「土着化」および「クレオール化」のプロセスをたどることで分析すること,(4)上記の点について異なる地域,歴史的段階の間で比較を試み,中国系住民の新たな像を模索するとともに,文化人類学における民族論、クレオール概念について行う再考と新たな「民族」概念の提示することが,今のところの課題である。

3.[夏井先生報告について]旧中国農村における地主-小作関係の実態の解明は,農村から都市へ,あるいは海外への移民を考える上で,一つの要件となるのみならず,「土着化」「現地化」「エスニシティ」といった概念を民俗概念として再考するうえでも重要である。以下に,先生の報告をお聞きする上での,私なりのポイントを列挙しておく。

  1. 江南地方の地主―小作関係の中に,都市や海外への人口流出を促す要因はどう看取できるか。
  2. とりわけ人口流出の文化的な要因を,地主ー小作関係はどう織り込んでいるか。
  3. 江南地方の地主―小作関係を参照することで,「土着化」「現地化」「エスニシティ」といった概念はどう再考し得るか。
  4. 江南地方と閩南地方の相違点はどこか。

4.[周先生報告について]周辺的エスニック社会としてのモンゴル地域の構造変動・変容の問題は,中国を中心とした文化的ヘゲモニーの問題に直結する問題である。とりわけ生業の構造変動を主題としていることは,エスニシティをめぐる議論がしばしば陥りがちな空虚な言葉の袋小路を逃れ,新たな展望を開く可能性を持っていると考えられる。以下に,先生の報告をお聞きする上での,私なりのポイントを列挙しておく。

  1. 中華世界システムにおける中心と周辺を考えるときに,外向きのベクトルと内向きのベクトルを想定することが可能である。中華文明の「中心」と「周辺」をめぐる周先生の議論の中で,こうした観点にあたるのは,どの部分だろうか。
  2. 今日の中国国内経済の急激な変化は,中華文明のある種歴史的な「中心」と「周辺」モデルのみで語り得るものだろうか。それとも部分的に他のモデルを取り込んでいるのだろうか。
  3. 中心・周辺の「一体化」過程のなかで,中心と周辺の橋渡しをするものは,具体的に何か。
  4. 生業の構造変化や移民の流入と,「中心」「周辺」の構造化が周先生の議論のなかでどのように関連づけられだろうか。

5.[沢田先生報告について]国家と家族をめぐる沢田先生の議論は,周先生の報告における「中心」と「周辺」をめぐる議論の一つの変形と言える。以下に,先生の報告をお聞きする上での,私なりのポイントを列挙しておく。

  1. 歴史的に国家と宗族,家族との間にあった不連続面は,市場主義のなかの社会保障という面でどのように変質し,あるいは温存されているのだろうか。
  2. 社会保険制度の設置はかえって従来型の家族間の相互扶助と財政依存を増大させることになりつつある状況下で,国家の概念はどう再生産されるのだろうか。

田 中 仁

(1)[世代の問題] 私は夏井先生より5歳若く,1973年に大学に入学しました。学部生の時期を私の中国地域研究の「原風景」であるとするとそれが形成されたのは1973-77年です。当時,「革命が中国をどのように変えたのか」ではなく,「中国にとって1949年革命とは何であったのか」を考えなければならないと考えていたように思います。1930年代中共党史で毛沢東のライバルであった王明についての実証研究から始めましたが,その方向は中国の研究者との接点を持ちうる研究の「質」を獲得することであり,彼らに「同意はできないが理解できる」と言ってもらえるような論点の構築であったように思われます。各先生の”原風景”(学部時代)を想起することは,中国地域研究をどのようなものと捉えうるのかを考える上で意味のあることかも知れません。

(2) [私の関心] 私の現在の研究課題は日中全面戦争期・中国政治史研究(当時の政治過程を関連資料によって再構築すること)で,それによって20世紀中国政治の特質とその射程を今日の日中関係を視野にいれつつ検討したいと考えています。

(3) [夏井報告について] 政治過程を「権力と社会」との相互作用と捉えたとき,国民政府の権力であれ,中共あるいは日本や傀儡権力のそれであれ,いずれの場合も社会の側からの規定を受けるものとして考察する必要があると考えます。同時に,中国社会の変革を志向した中共の革命の”質”を吟味しようとすれば,中国社会(とりわけ農村)の実態解明が不可欠であると言わねばなりません。

(4) [周報告について] 「華僑・華人」問題とともに,「民族」問題が中国地域研究を構成する重要な研究領域であることについては多言を要しないと思います。後者についてもさまざまなアプローチが可能ですが,遊牧社会・イスラム世界・チベット高原を包括する政治的共同体をその歴史的射程をふまえたマクロな視野からの検討は,とりわけ有効な接近方法でしょう。日中全面戦争期の中国政治研究においても,「モンゴル要因」をめぐっていくつかの興味深い論点の提示が可能です。

(5) [沢田報告について] 十数年来の中国の「市場化」は世界経済に強烈なインパクトを与えるとともに,中国社会の質的変容をもたらしつつあります。そしてそれは,国家と社会の間に「市場」あるいは「市民社会」と称しうるような「公的空間」の生成から確立に向かう一里塚であるとしなければならないでしょう。こうしたジグザグした過程における行政と家族の役割の顕在化を実証的に確認することは,中国社会の特質解明にかかわる有意義な論点の提示であると考えます。

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