2023年12月1日更新
田中仁先生のご逝去を悼み、心よりご冥福をお祈り申し上げます。
大阪大学中国文化フォーラムの立ち上げと天花阪会議の開催・発展に対し、長年にわたり多大なるご尽力を頂きました田中仁先生(大阪大学名誉教授)が、かねてより病気療養中のところ、去る2023年4月14日にご逝去されました。享年69歳でした。衷心よりご冥福をお祈りするとともに、ここに謹んで深い哀悼の意を表します。 大阪大学中国文化フォーラムは、有志の教員により2007年に組織化されましたが、設立の中心メンバーとして、またその後も長きにわたり本フォーラムの代表として、私どもを牽引してくださったのが田中先生でした。先生は、現代中国政治の歴史的射程に立ち、「中国」の社会変容に与える政治過程の内実を討究されながら、数多くのご業績・作品を残されました。同時に総合大学である本学の強みを活かしながら、地域研究における領域横断的・文理融合的基盤の構築に邁進され、時代的要請に応えつつ地域研究のあるべき姿を積極的に提示してこられました。その主要な取り組みとして、本フォーラムと中国南開大学歴史学院、台湾国立東華大学歴史学系、韓国ソウル大学校歴史教育科の各大学組織を中心とし、日本・中国大陸・台湾・韓国における国境を越えた学術交流である国際セミナー「現代中国と東アジアの新環境」(会議言語中国語)を十数年間にわたり主宰されたことが挙げられます。その発展的成果物として、中国社会科学文献出版社から共編著『現代中国社会変動與東亜新格局・第一輯』(2012)および『現代中国社会変動與東亜新格局・第二輯』(2020)が、中国語にて発刊されたことは、特筆すべきであると思われます。 こうした堅実な研究活動が評価され、大阪大学の未来戦略を推進していく方策の一つとして、本学ならではの基礎研究の推進や、国家的課題解決に向けた研究にイニシアティブを発揮するための新たな研究分野の創出を目的として2013年に設立された「未来研究イニシアティブ・グループ支援事業」に、田中先生を代表とするプロジェクト「21世紀の課題群と中国」が採択され、文系部局からの唯一の採択事例となり、地域研究の重要性を改めて顕示する動力となりました。この試みは、「21世紀課題群をめぐる文理の対話」を創る「まちかねCAFÉ」として継承され、多様な専門分野の研究者間の気軽な交流空間と相互理解の機会を与え続けています。 大阪大学中国文化フォーラムのもう一つの重要な特徴は、若手研究者を育成することであり、学部・大学院生などが、これまで部局間を超えて、類似した問題関心を持ちつつ真摯に研鑽を積みながらも、相互に刺激し合える交流空間が欠如している現状を打破するための建設的な提案として、中国研究に関わる学生や若手研究者の積極的な参加を促す多様な企画を立案してきました。とりわけ田中先生は、若手研究者の発表・議論を促進する「中国文化コロキアム」の運営や、ホームページを軸としたサイバースペース上に中国の社会変容と東アジアの新環境に関する様々な論点を題材とした「ワークショップ・システム」(多言語によるディスカッションペーパーやブックレットの刊行等)を創出することにより、研究と教育の相互乗り入れの活性化を目指してこられました。 本学ご退職後も、貴重な一次資料を共に読み解きながら、若手研究者の研究指導を熱心に続けられました。こうした生涯にわたる精力的な先生のご研究活動と真摯なお人柄に敬意を表しつつ、謝意を深くしております。 大阪大学中国文化フォーラムでは、この度、先生の多年にわたるご尽力に感謝を申し上げるとともに、田中先生の足跡と遺徳を偲ぶことを目的として、追悼ページを開設致しました。ご寄稿頂きました皆様からの追悼文を、随時掲載して参ります。ここに謹んでお知らせ申し上げます。
长期以来为大阪大学中国文化论坛的创立以及“天花阪会议”的举办和发展做出巨大贡献的田中仁先生(大阪大学名誉教授),因病疗养期间于2023年4月14日逝世,享年69岁。我谨代表本论坛衷心地为田中教授祈求冥福,并在此表示最深切的哀悼。 大阪大学人間科学研究科・教授 |
南開大学歴史学院
南開大学中外文明交叉科学センター
南开大学历史学院
南开大学中外文明交叉科学中心
台湾国立東華大学歴史学系一同 2023
李道緝,陳鴻圖,陳元朋,黃熾霖,潘宗億,劉慧,許育銘,陳進金
臺灣國立東華大學歷史學系全體同仁敬輓 2023
李道緝,陳鴻圖,陳元朋,黃熾霖,潘宗億,劉慧,許育銘,陳進金
香港大学SPACE 福田 州平
京都外国語大学国際貢献学部 竹内 俊隆
広島大学総合科学部 丸田 孝志
浙江大学歴史学院 周 妍
大和紙器株式会社 松本 豊
大阪大学名誉教授 西村 成雄
笔者与田中仁先生,奈良县大和高田市土库村,2010年12月
大阪大学教授田中仁先生于4月仙逝,令很多中国同行感到悲痛。与其他中国同行们相比,我自认为可能是与田中教授有过特别交往的一位,我有更多的机会近身领略田中教授的学问与仁德。在此悲痛伤感之际,无法用更多的语言来彰显仁厚德高的田中仁教授,只能记录一些我们之间交往的片段用以追思。笔者访问田中老师的家乡,2010年12月
这次考察的所见所闻信息量很大,令我印象深刻,颇有感触的细节之处还有很多,篇幅所限仅举一例。当我细读田中老师的母亲给我的《平成22年度土库北自治会役员会报告》,我发现自治会会长阁下(相当于中国的村主任)对全体会员(相当于我们的村民)的报告里竟找不到一处多余的字句和冠冕堂皇的套话,实在是就事论事简单明了到极致。当然首句少不了季节感,也是满满的人间烟火气:“时值立春徒有其名酷寒每日闭锁家中,在此谨祝土库北自治会会员各位……”我认为这里面有很多中国的村民自治值得借鉴的地方。田中老师招待南开伯苓班的同学们,2019年7月22日
我与田中老师最后的密集邮件交流,是从今年的2月18日持续到4月7日。田中老师在2月28日的信中告诉我,他于2021年夏因病情变化做了气管切开手术,一直在适应中。我知道,田中老师不会把真实病请告诉我,这令我心痛。之后,我们之间多次就田中老师新写就的论文进行讨论交流。该论文利用了我提供给他的一位公社书记的工作笔记资料,他希望我对该论文从隐私处理到学术见解毫无顾忌地提出意见(日语原文:“……先生の忌憚のないお考えをお教えください。”而我在其中一次回信中这样写道:“附件是我对大作提出的一些问题和评论。表达都是非常率直的、直白的,是从纯学术性目的出发的,没有遮遮掩掩。因为我很敬仰、相信田中老师高尚的人格。”3月30日,田中老师发给我这篇论文的最终定稿(第18.2版)。之前的几天,田中老师告诉我他曾去阪大图书馆借阅我写的书,我当时很欣慰,心想这说明田中老师的身体还是不错的。4月4日,田中老师来信告诉我该论文将按计划发表,并对我一直以来的帮助表示感谢。我于4月7日晚给田中老师回信,全文如下:“田中老师:来信收到。我最近很少写论文了,因此很敬佩您的研究精神!望多多保重身体!”。6月6日,京都大学石川祯浩教授告诉我田中老师逝世的噩耗,也谈及田中老师的遗作。我给石川教授的回信很沉痛:“我没想到,这是我们之间最后的交流,我也确信,田中先生是在用尽最后的力量,去修改和完善那篇学术论文。”南开大学历史学院资料中心“田中仁教授捐赠书库”
南開大学歴史学院 張 思
2011年8月内モンゴル大学で開催された「現代中国と東アジアの新環境」第五回国際シンポジウムで講演される田中仁先生
内モンゴル大学モンゴル学院 周 太平
大阪大学名誉教授 青野 繁治
熊本大学文学部 渡辺 直土
日本学術振興会特別研究員 団 陽子
南開大学歴史学院 江 沛
台湾駐福岡総領事 陳 銘俊
神戸松蔭女子学院大学非常勤講師 根岸 智代
南開大学日本研究院 鄒 燦