プロジェクトスタッフのコメント

三氏の報告へのコメント(西村成雄)

20世紀中国の政治空間の変動を観察した時,その激動する表面波とともに,ふたつの確かなうねりとしての底流をとらえることができる。ひとつの潮流は「革命」であり,もうひとつの潮流は「現代化」であった。いずれも20世紀史の枠組からみて,政治単位としてのNation-State形成の重要な構成要素であった。このふたつの潮流は相互に矛盾しあうダイナミズムをもって20世紀中国Nation-State政治空間を特徴づけてきた。

と同時に,20世紀の世界史は,東アジア政治における日本と中国の二国間関係のみならず,東アジア政治におけるグローバリゼーションのもとでの欧米との複雑な多国間関係を規定する新たな段階へと入っていた。その点でいえば,20世紀は世界システムの新たな段階でもあった。ここに,三氏の報告に通底する歴史認識の基盤がある

今回,20世紀前半期グローバリゼーションのもとでの中国の「現代化」現象を分析した江沛報告,米中関係の20世紀前半段階をアメリカの「中国体験」として再構成した馬暁華報告,日中関係の20世紀前半期を双方の政治的ナショナリズムの衝突としてとらえる視角から「逸脱の50年」をどう位置づけ,20世紀後半期の相互関係の新たな展望を示した紀宝坤報告の議論を以下の点からとらえなおしたい。

つまり,日中関係そのものをどう歴史的にとらえるのかという課題で,これはよく言われるように日本の側からどのように「中国」と向き合うべきかという提言に接続する。いささか単純化して言えば,今日,21世紀の日中関係は新たな段階として,双方の政府間政治外交関係は「悪化」の方向にあり,ジャーナリズムや国民世論レベルにも新たな相互不信の傾向が顕在化しつつある。これは東アジア世界のNation-State間の政治外交関係が,未成熟な段階にあることを意味しているように思われる。中国側の論壇でよく言われているように,長期的にみれば前近代東アジア政治空間は中華帝国型一極体制であったが,近代に入ると,とりわけ20世紀前半期は日本植民地帝国型一極体制下にあり,それが20世紀後半期にはアメリカ(ソビエト)二極体制のもとで,日中二国関係はいわば東アジアにおける「二強」時代を構成するにいたった。この段階こそ,東アジア政治空間が歴史上はじめてNation-Stateシステムとしての成熟した関係を創出すべき戦略的課題に直面しているのであり,さまざまな矛盾をどのように調整しうるのかという政治的能力が問われているといえよう。ましてや,さらにグローバル・イシューとしても環境問題群,感染症問題群,「自然」災害問題群などが続出するなかで,政治的視野狭窄に陥ることは避けるべきであろう。少なくとも,東アジアの,東半球のさまざまな課題との関連のなかに日中関係を位置づけなおす必要性が強調されてしかるべきであり,日本が「中国」とどう向き合うかは,東アジアの共同体構想というより広い視野から,またより広い情報背景のなかに位置づけなおすことが不可欠の課題と考えられる。

本研究プロジェクトの目的・特色、分担事項から見たワークショップ・シンポジウムへの分担者コメント(堤一昭)

前近代のアジア史を専門とする分担者は、本プロジェクトが、現代「中国」の実態のみならず、そのイメージをも検討対象としているところに注目してきた。また、「中国」を中華人民共和国と等値せず、〈多元的多民族社会と華人社会〉という空間的拡がり、〈近現代の軌跡、前近代からの逆照射〉という歴史的射程から捉えること、を特色としているところにも大きな意義を感じてきた。

そもそも、前近代のアジア史研究者にとって「中国」は所与・自明のものではない。本プロジェクトでの分担事項「「中国」の自画像とその歴史的系譜」を考える際には、「中国」とは何なのか?というところから出発しなければならないのである。

「中国」を現在の中華人民共和国の領域に主に重なる地域を支配した政権を中心に見るならば、民国・大清・大明・大元までは、空間的なズレはあるものの遡ることができる。さらにそれ以前へは、「中華王朝」の連続として見る見方からは宋や唐さらには漢へとたどられることになるが、虚心に見れば、現在の中華人民共和国との空間的な領域の違いはきわめて大きい。

13~14世紀の「大元」、モンゴル帝国の時代を境に「中国」の量的質的な変化が起こったのではないかと考えられるのである。言い換えれば、現在から「中国」の画像を考える際の一つの起点はこの時代に置くことができると考えるのである。じっさい、東アジア(本プロジェクトでは東北アジア+東南アジア)における〈多元的多民族社会と華人社会〉という空間的拡がりの起点は、まさにこの時代といえる。

以上の見方から「中国」さらにその自画像を歴史的に見るためには、少なくとも二回の画期とそれにより区分される三つの大時期を強く意識すべきと考える。従来、日本・中国さらに米国ほかを問わず、現在も含めその時代に生きた人々自身も、以下の三つの大時期の「中国」の量的質的な違いを必ずしもはっきりと自覚しては来なかったのではないかと考えるためである。

Ⅰ.「中国」がいわゆるInner Chinaに限られていた時期(13世紀まで)、Ⅱ.それ以前の「中国」がモンゴル帝国の一部となった結果から生じた、より大きな「中国」の時期、大元・大明・大清(ここで人口爆発)の時代、Ⅲ.19世紀清末のWestern Inpactから、中華民国、現在の中華人民共和国にいたる時期、多民族国家でありつつも「国民国家」化、また「漢」化も進行しているかと思われる時期。

プロジェクトそして今回のワークショップ+シンポジウムにおいて扱われるのは、Ⅲの大時期である。この大時期においても刻々と「中国」のイメージ、自画像が変化し、また変化しつつあると予想される。報告者・ディスカッサントの発言・コメントの中の「中国」が具体的に何を指しているのか、その一致・相違を通して、その変化を考えてみたい。

三氏の報告へ具体的に言及していない、前近代からのいささか迂遠なコメントには皆様のご海容を請いたいが、分担者にとっては知的刺激に富む場となることを確信している。

三氏の報告へのコメント(許衛東)

国民経済レベルにせよ、国際経済レベルにせよ、経済活動のスタートラインとしての投資は過去よりも先の利益追求を重視する。それによって達成される経済成長は良好な政治状態を伴う拡大均衡型なら、なおさら理想である。これは日中の経済関係にもあてはまる。

21世紀の経済の主流は高度情報通信産業に代表されるITである。IT経済の成否を判断する経済指標は一にも二にも人材である。この点、全入時代(大学進学率100%)を迎える日本の年間大学入学者数が50万人、一方まだ20%の低水準だが日本の6倍にも相当する300万人を中国の大学が受け入れている。IT経済関連の市場規模では、既に日中の拮抗から中国優位に変わりつつある。このように経済の視点からみれば中国の成長局面は単なる「追いつき」「追い越せ」の重化学工業化の再現に止まらず、グローバリゼーションの主役争いにも踊り出る、いわば覇権復活のドラマ作りの様相を呈している。

日中それぞれの経済循環の浮き沈み、また日中間の経済関係は、これまでのグローバリゼーションとは無関係ではなかった。ニューヨークタイムズのコラムニスト、トーマス・フリードマンは「The World is Flat」という新著の中で、グローバリゼーションを3段階に区分している。第1段階は、コロンブスが新世界を求めた1492年に始まり、1800年までまでの近代国家とナショナリズムを中心とした初期グローバリゼーション、第2段階は、ブリタニカ(シーパワーを梃子とする大英帝国の覇権)とパックスアメリカーナ(超大国)の盛衰をはさんで、2000年までの経済統合や多国籍企業を中心とした拡大期グローバリゼーション、第3段階は、2000年以降の個人を中心とした転換期グローバリゼーションで、様々なネットのパワーで個人と世界の連動性が格段に飛躍する時代である。

イマイル・ウォーラスティンが提示した世界システム論とも共通するが、時代区分の厳密性を別にすれば、日本と中国のそれぞれの世界的地位の変遷をみる尺度として無用ではない。

1820年代の中国のGDP規模は世界の20%を占め、紛れもなく東アジアの覇主たる蓄えでもって世界最大の経済大国であった。同時期の日本は3%程度であった。しかし、その後の中国の凋落ぶりは激しいものであり、1930年代後期の1%未満という最低水準の落ち込みを経て、高成長の模範と評価される現在でもなお4%程度である。一方、日本の経済地位は日清戦争以降ひたすら成長路線を歩み、第二次大戦直後の混乱があったものの、概して高い水準を維持してきつつ、人口減少時代を迎えた現在でも、世界の15%、アジアの55%を占めている。 このような日中の経済地位の交代劇は、なにも日中間の関係の変化だけによってもたらされたものではない。アヘン戦争、日露戦争、太平洋戦争、朝鮮戦争、ベトナム戦争など数々の世紀的「事件」に代表される日本と中国のそれぞれの、東アジアを巻き込んだグローバリゼーションの衝撃と対応の累積的因果関係の現れでもある。かくして日中関係を長期的に捉える場合、グローバリゼーションの波動と関連付けた視点はきわめて有効である。

今回、評者の専門領域と異なるものの、中国華北の都市形成を世界経済システムに巻き込まれながら内生的自律成長のダイナミズムの視点から考察した江沛報告、アメリカにおける中国イメージの形成過程を20世紀前半のアメリカ外交・政治・文化の相互作用の視点から再検証した馬暁華報告、近代国家ナショナリズムの醸成と再構築の局面から様々な可能性の幅を持たせつつある日中関係の内実を分析した紀宝坤報告、のどれもグローバリゼーションの歴史性に立った大局的な関係分析を重視し、評者にとっても興味深い。

「政冷経熱」という表現ほど目下の日中関係を表す言葉はほかになかろう。中国の経済成長を促す担い手の一つである外資の動向についてみても、2005年度の上半期の中国受け入れ直接投資規模285米ドルのうち、ともに国内の調整局面に入りつつある米国(対前年同期比-40)、韓国(同-21%)、台湾(同40%)と比較しても、日本(同11%増)の堅実基調は目立つ。また、本年の初めに反日デモが頻発した直後の中国投資関連の中小企業調査(大阪府、500社)の結果をみても、デモで商談や納期の遅れなどの被害を受けた企業は全体の13%、先行懸念を理由に中国投資事業の見なおしを考える企業はほとんどないことから、経済関係拡大の必然性はなお大きい。

しかし、近代国家作りの過程において自己イメージ形成、そして他者からのイメージ改善に依存しつつ、経済の成長性に持続を持たせようとしてきた、という実態と象徴の両面での相互作用は第二次大戦後の日本の経験、改革期以降の中国の実践に共通するものである。 その意味において、日本にとっても、中国にとっても、今後どのような世界的地位を意図し、そのうえどのように戦略的合意を見出しながら、その枠組み作りに国内政治資源の有効な動員をめぐる対話は、イメージ形成に関わる重要な事項ある。せめて「政冷経冷」(縮小均衡)だけは避けたい。今回の三氏の報告から何らかの可及的展望を期待したい。

三氏の報告へのコメント(五島文雄)

東南アジアの国際関係と現代ベトナムの政治経済を専門としている者として若干コメントさせて頂きたい。

中国の経済発展は90年代以降、実に目覚しいものがある。多くの論者は、今後もこの経済成長はしばらく続くであろうと予測している。

すでに中国経済の動向は日本を含む中国の近隣諸国の経済に多大な影響力を持ち始めている。そして、それが、各国に軍事、政治、外交、社会、文化など様々な面にまで影響力を及ぼし始めているといっても過言ではない。

問題は、その影響力の拡大が日本を含む中国の近隣諸国、あるいは世界にとって好ましい方向に向かってくれるのかどうかであろう。中国の経済力、軍事力の増強をはじめ、政治、外交、社会、文化の各分野における影響力の拡大が、近隣諸国、さらには世界の平和と繁栄に寄与するものであると確信できるのであれば、誰も「懸念」などはしない。残念ながら、日本人を含む近隣諸国の人々もそうした懸念を払拭しがたいがゆえに様々な問題・矛盾を抱えながらもアジアの安定と発展のために「米国」の存在を許容し、あるいはそれに期待しているのではないであろうか? 東南アジアの多くの国々は、当面、中国、日本、米国の3国間関係が悪化しないことを望んでいるのではないかと推察している。まして、中国内部の社会的矛盾や政治的矛盾が激化して、それが自国に影響が及ぶことなどは避けたいことであり、中国内部で平和裏に解決して欲しいと願っているのではないであろうか?

このような観点からすると、中国近代の新交通システムがいかに地方の経済構造に影響を及ぼしたのかを実証的に論じた江先生には、現在の中国の発展が交通運輸システムとの関係でどのように説明できるのであろうか? その光と影がどのように存在するのかをお尋ねしたい。

また、馬先生が述べられているように、各国が「自らの歴史や文化および政治的立場を反映させながら、今後どのように共存していくのか」の知恵を出しあう必要性を感じる。とりわけ、馬先生はメディアとイメージの問題を取り上げられたが、各国内における政府とメディアの関係、あるいはメディア自体に今後とも注視していく必要性を痛感した。と同時に、外交には政府(外交担当者)の高度な政治判断と相手国に対する専門知識が必要であるが、国内政治の反映としての外交となるともはや外国の一般人には理解し得ない状況であるから、日頃から両国の外交担当者、研究者はお互いの国の状況を理解するように努めなければならないと感じた。

紀先生については、チャイニーズ・アイデンティティー、あるいはチャイニーズ・ナショナリズムが今後どのような形で変容していくのか、そして、どのような場面で強く現れてくるのか? さらに、それに中国自身がどのように係わっていこうとするのか? その展望をお尋ねしたい。特に、第二次世界大戦後、東南アジア諸国ではチャイニーズを巡る様々な問題があっただけに関心のあるところである。


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