新移民問題について

朱 東芹(中国華僑大学華僑華人研究所助教授)

「新移民」という概念は、20世紀80年代半ばにアメリカの華人系研究者により始めて指摘されて、改革開放政策以降、国際移動を開始するようになった中国大陸の人口遷移現象を指す用語として用いられてきた。その後、海外及び中国国内メディアにも広がり、一般的に使われるようになった。1990年代以後、「新移民問題」は国内の出入国管理行政を始めとする関連部門や学界の注目を引き起こし、欧米諸国も高い関心を示すようになった。人口管理の関連部門は実務過程の情況に基づいて、比較的早期から新移民問題の存在及びその重要性を認識し、新移民問題に関する研究調査及び新移民向けのサービス業を専門とする部署の調整を行った。外交部、国務院華僑事務局などの部門ではいずれも1995年から新移民向けの業務支援の重要性を明確に指摘し、そして新移民情況の調査と研究を開始した。全国政治協商会議(参院に相当)台(湾)(香)港澳(門)(華)僑連絡委員会は1995年11月から96年5月までに新移民の特別テーマの調査を行い、そして、97年5月に“新移民に関する特別シンポジウム”を開催し、この問題について深化を追求した。関連部門の新移民問題に対する重視の姿勢は、社会各界の関心をいっそう引き起こし、この問題に対する幅広い研究を刺激することになった。90年代中期以後から新移民問題は華僑歴史研究の新しい課題として浮上する。本文は主に以下の内容を紹介し、その背景説を行う。即ち、1.「新移民」の概念;2.新移民発生の背景;3.新移民の人口規模;4.新移民の分類、出身地構成と遷移傾向;5、新移民の職業;6、新移民の特徴;7、新移民向けの業務にける問題点。

一、「新移民」の概念

いわゆる「新移民」は、一般的には「改革開放後国外へ移住する中国大陸の公民」を指している。しかし、学界にしても関連部門にしても、「新移民」の概念提起に対して依然と異議が存在する。①時間の区切り。「第二次世界大戦以後」あるいは 「新中国成立以後」に設定すべきだとの指摘もあるし、「二十世紀後期」あるいは「1970年代以来」を時間の区切りとするべきだという指摘もある;②地域範囲。「新移民」は大陸だけではなく、香港、マカオ、台湾の移民および東南アジアなどの地域からの華人再移民も含むべきだとの指摘もある;③身分構成。「新移民」は留学の名義で出国し、学業が終了する後、現地に居留する元の留学人員、特に国費留学人員を含むべきではないという指摘がある。というのは、彼らは移民を目的とするのではなく、学習を目的とする出国であって、特に国費留学人員は国の為に尽力する責任と義務を引き受けているため、彼らの移民身分を承認することは彼らが卒業後帰国し、国の為に力を貢献することにとって有利ではないのである;④また、“新移民”という呼び方に対して異議を出した人もいる。新移民と老華僑の矛盾を引き起こすことを避けるため、「新華僑」と呼ぶべきだという意見も出た。

しかし、様々な異議があったにせよ、大多数の人は「新移民」の概念を用いて、「改革開放後国外へ移住する中国大陸公民」を表すことが比較的に現実的だと認識している。なぜなら、①時間の角度からいうと、改革開放は大陸出身者の移民活動の一つの重要な分水嶺であった。1949年から78年まで、私用で出国した者はただ21万人に過ぎなかったが、78年に入って以来、私用で出国する人数はすでに400万人に達し、その中に、永久移住を指向する者がすでに200万人を上回った。このような大規模な移民活動は明らかに改革開放を背景にするのである。従って、「改革開放」で時間を確定する区切りは合理的である。②地域上から見ると、香港、台湾からの移民が含まれるべきではないと主張されている。というのは、香港、台湾地域の移民と大陸移民は同じ中国移民の範疇に属していて、文化と種族上の共通性を有しているが、前者の移民背景、動機とタイプが後者と異なるのである。つまり、前者は後者と異なる特徴を持っているので、前者を「新移民」の範疇に入れるべきではないと主張されるのである。東南アジアなどの地域の再移民については、彼らをもっと中国新移民の範疇に入れるべきではない。彼らは第三国の移民活動に属しているからである。③身分構成。元の留学人員に関しては、彼らを新移民或いは新華僑の範疇に入れるべきかどうかについて、かつては関連部門に異議があった。実際には、留学を移民の手段とすることは発展途上国において普遍的に存在する現象であり、中国に限ったことではない。そして、現実の情況から見ると、留学を始めとし、居留を終点とする留学人員の多くはすでに所在国の居留権を取得して、或いはすでに所在国の国籍に参加した。我が国の国籍法の規定により、彼らは華僑華人の身分を有しているので、卒業後現地に居留した留学人員を新移民と見なすべきである。④「新華僑華人」或いは「新移民」のどちらの呼び方を使用するかについて、大多数の人は「新華僑華人」ではなく、「新移民」の呼び方を取るべきだと主張している。理由は「移民」は法律の概念ではなく、社会学の概念であり、その意味が非常に広範であり、国際共通の概念である。したがって、「移民」という呼び方がより科学的、適切である。

二、新移民誕生の背景

国内要因:改革開放という大きな背景。ある意味では、「新移民」は改革開放の産物と言える。新中国成立後から改革開放前までには、中国政府は公民の出国に対する制限が比較的に厳しかった。その上、第二次世界大戦後、冷戦の対峙する両極の構造が現れ、中国は主要な資本主義国家を含む多くの国家と外交関係を断絶し、中国公民の出国が事実上で中断状態に陥った。1949年から78年までの間、私事での出国者は僅か21万人であり、中には帰国した華僑の家族の国外への親族訪問が多数であった。1978年に改革開放政策が実行した後、情況は大いに様子が変わった。改革開放は新移民に対する重大な影響が主に二つの方面で表している。一つは政策方面、もう一つは観念。一方で、国家の出入国政策が緩和され、特に1985年11月に『中華人民共和国公民出入境管理法』の発布およびその後の関連細則の制定が出国手続きを簡素化し、中国公民の移住活動が極めて便利になった。他方で、改革開放後人々の思想観念は深刻な変化が起こり、「海外親縁関係」を「洪水野獣」(危険な関係)と見なされなくなり、「海外関係」を有する帰国華僑およびその親戚が海外と繋がる最も積極的な一部分となってきた。閉鎖するのはすでにとても長く、国の門が開き、人々は切に外の世界を理解し、世界に向かって進みたいので、続々と出国のチャンスを探している。このような現実可能と主観要求の共同作用の下で、中国で続々と「出国熱」が現れており、今日のような一定の規模と影響力を持つ「新移民」の集団が形成されてきたのである。

国際要因:一部の国際的な背景および要因も新移民の誕生に大いに役立っている。①一部の国では移民を受け入れる政策を緩和し、特に華人に対する差別的な法令を廃除し、中国公民の入国制限を緩和した。②一部の国では優秀な人材を誘致する必要があることから、中国からの留学生を格別に歓迎するなど、これらがすべて大陸新移民を吸収する推進力となっている。③最も根本的な原因はやはり世界経済発展のアンバランス性である。いいかえれば、世界経済発展のアンバランスが古くから移民活動発生の原動力だといえる。第二次世界大戦後、国際移民活動の主流は低所得経済から高所得経済国家へ移民することである。経済地位の改善を求め、よりよい生活を追求することは古くから移民の最も主要な動因であり、これが大陸新移民の主要な移民動機ともなった。

三、新移民の人数

新移民は一体どのぐらいいるか、現在では確実な統計が未だ出ていない。20世紀90年代中頃以後、わが国の関連部門はかつて一部のデータを公表し、各部門が提供したデータの間に差異があったが、これらの数字はやはり我々が新移民の人数の見積もりに一定の参考となったのである。

公安部出入境管理局のデータによると、改革開放から1996年までに、国外に移住した中国公民は少なくとも60万人、その中1979から1996年の間に、公安機関が直接に外国での定住を承認したのが36万人、海外留学、親族訪問、就労など臨時出国人員が所在地で合法居留権を取得したのが20万人、ほかのルートを通じて居住国で合法居留権を取得したのも何万人がいる。全国政協台港澳僑連絡委員会の1996年の調査報告によると、改革開放以来、百万人余りは国外に移住したという。外交部領事司の推計では、1996年までに世界各国ですでに居留権を取得した大陸新移民は約100万人以上がいるという。国務院僑辦の意見では、改革開放以来200万人の中国公民は海外に移住したという。したがって、公的機構の意見が一致していないことがわかる。また、学者間の意見もそれぞれ違う。2000年頃までには、七、八十万との指摘もあるし、150万、200万との指摘もあるなど。

国際移民組織が2000年11月に発表した《2000年世界移民報告》によると、近年来、全世界の国際移民は有史以来のピークに達しており、中国で毎年約40万人は国外に移住し、その中、正常なルートの移民が20から30万人、非正常なルートの移民が(いわゆる証明書なしの移民)10万から20万人。地域から見ると、アメリカ、カナダ、オーストラリアでの合法定住民は約10万人、ほかの国家での合法定住の移民およびアメリカと他の国家に分布している非正常なルートの移民の合計は30万人。国際移民組織の《2003年グローバル移民報告》では、グローバル人口の流動性が拡大しつつあると主張されている。1999年から2003年まで約230万人が増加し、この5年間だけで過去20年間の人数を超えたのである。70年代以来の新移民は合計約420万人。

新移民の主要な移出地域および人数は:福建省90万余り、浙江省90万余り、広東省60万余り、上海市20万余り、北京市約20万。東南沿海地域の出身を中心とした老華僑と違い、新移民は全国各地から送り出されており、黒竜江から雲南まで、山東から新疆まで、すべて数万から十数万に至るまでの国際移民がいる。

新移民の主要移入国および人数は:アメリカ約130万、ロシア約50万、日本40万余り、カナダ40万、フランス約30万、オーストラリア16.5万、イギリス、ドイツ、ブラジル、イタリア、スペイン、韓国、シンガポール、フィリピン、南アフリカ、ニュージランドそれぞれ約10万人前後、北欧のデンマーク、スイス、フィンランド、ノルウェーおよび東南アジア各国にもおびただしい数の中国新移民が分布している。

四、新移民のタイプ、出身地構造および動向

国連は、国際人口移動を四つの種類に分けている:永久性国際人口移動、国際労働者移動、国際難民と不法国際移民。中国大陸の新移民は主に家庭団欒、留学などを含む永久性移民および少数の労働者移民と不法移民である。

1、家庭団欒タイプの移民。大多数の移民受け入れ国では家庭団欒タイプの移民に対して異なる程度の制限を設けているが、家庭団欒タイプの移民は依然と永久性人口移動の主流であり、中国新移民の一部分もこのタイプに属する。出身地構造からみると、家庭団欒タイプの移民は主に広東、福建、浙江など伝統的な重点の華僑卿の出身である。伝統的な華僑卿で数多くの海外移民ネットを有しているので、新移民の多くは家族の移民を主としている。広東省関連部門の1997年の調査によると、20世紀80年代初めから96年末までに、広東省の新移民人数は37.8万人(香港、マカオ地区に移住した人数を除く)、家族、親戚移民が主体であり、総人数の約85%を占めた。しかし、江門市の18万人新移民の中に、家庭団欒移民の比例が91%までも至り、浙江省の20万人新移民の中に、94%が家族団欒タイプの移民だった。他の非重点の華僑卿で、親族移民も一定の比例を占めた。たとえば陜西省関連部門の調査では、1978から1998年の間、陜西省の出国人員は約8万人、すでに国外で定住したのが約1.3万人。その中、親族訪問、国際結婚およびそのほかなどが33.2%を占めた。家族団欒タイプの移民の移動方向は主に西側の先進国家で、主に北米のアメリカ、また西欧国家、および伝統の繋がりが強い東南アジア諸国だった。

2、留学移民。西側先進国家の人材誘致政策は発展途上国の人材がこれらの国々へと大量に流出させ、留学を通じて所在国に居留することは多くの発展途上国の人口移動の普遍的な現象である。改革開放後、中国では“留学を支持し、帰国を励まし、往来自由”の留学政策を実行したため、国外親戚ネットも持たない、資金も持たない、良好な教育背景を有する若者にとっては国際移動を実現するルートが見つかったのである。言い換えれば、中国改革開放以来の留学政策がなければ、今日これほど厖大な留学規模を有することもなく、それによって、中国伝統の移民パターンと異なる移民ルートを有することもなかったはず。これらの教育レベルが高い新移民は、それぞれすでに果たした役割および依然と潜んでいる巨大な潜在力のため、関連部門および学術界にも格別に注目の対象とされている。出国ブームは一番早く留学から始まって、留学生が国際移民ではないが、大多数の留学人員は学業を終えた後移民を選んだので、従ってこれが新移民の主体の一つとなったのである。

中国教育部は2003年に正式に公布した留学生の総数が58万だったが、国連教科文組織の推計によると、1978年から98年までに、中国ですでに留学生71.2万人もいるという。この差が現れた原因はたくさんあり、主要な原因としては中国では、本科と大学院へ進学することを目的とする留学生だけを統計の範囲に入れ、語学学校の留学生や、留学生の配偶者などの身分で出国し、後入学した留学生を、統計の範囲に入れないことがわかった。関連部門の統計データによると、2003年までに、ただ16万の留学生のみ帰国した。1998年以前入学の留学生だけには帰国の問題があるので、1998年留学生の71.2万人の基数に基づいて計算すると、回帰率がただ23%、残りの55万人の留学生はすでに国際移民に転身したのである。中国80、90年代の留学生の大多数は大学院生で、教育部の統計資料によると:90%以上の留米学生はすでに博士あるいは修士の学位を獲得した。

家族団欒タイプの移民は伝統の華僑が主な出身地構造であることと違い、留学移民は主に北京、上海などの大都市および高等教育機関、科学研究所が多い県庁都市と中等都市に集中している。一部の統計データにもこの問題が実証されている。たとえば、広東省の留学(国費、私費を含む)移民はただ10%を占めており、浙江省新移民の中で、知識を求めるタイプの移民はただ6%;しかし、上海市公安局出入境管理処の統計によると、1978-98年、上海市対外移民は合計約13万人、これらの新移民の中に知識を求めるタイプの移民は60%以上を占めたことがわかる;陜西省は内陸部に位置しているが、歴史上において外への移民が多くなかった;しかし、県庁の所在地である西安は西北地域の文化中心で、数多くの有名の高等教育機関と科学研究院所が集中しているので、新移民は留学人員を主とし、総数の60%前後を占めたのである。

留学移民の移住先について言うと、中国大陸留学生は世界100カ国と地域に分布しているが、主にやはり西側の先進国家に集中している。たとえばアメリカ、日本、カナダ、オーストラリアと西欧などの国がある。特にアメリカ。統計によると、アメリカへの留学人数は留学生総数の40%を占めており、したがって、アメリカは中国留学生滞在と定住率が最も高い国家である。一般的にいうと、留学移民は良好な教育レベルを有しているので、家族団欒などの身分で出国した教育レベルが低い移民より境遇がよく、経済、社会地位および将来性などの方面において極めて優れている。

北米とヨーロッパの移民を比べてみると、北米における留学移民の割合が新移民の中でちょっと高く、ヨーロッパにおける家族団欒タイプの移民の割合がちょっと高く、留学移民がより低いことがわかる。原因としては、ヨーロッパの留学生は「学生居留」から「仕事居留」に転じることが相対的に困難で、特に適切かつ安定な仕事を見つけるのが極めて難しいので、移民願望のある留学生は留学先を選ぶ時に、わざとヨーロッパを避けてアメリカを選んだわけ。また、ヨーロッパを選んだ留学生は卒業後大多数がヨーロッパを離れ、帰国したり、或いは第三国のアメリカや、カナダなどの国に行ったりするなど発展を求める。これもヨーロッパからの留学生は帰国の割合が高い原因の一つである。

3、技術移民と投資移民。永久性移民を受け入れるすべての国家において、一つの共通点を持っている。それは移民に対する選択性が高くなってきて、技術移民と投資移民が好んで重視されつつあるという。ほとんどすべての国家において相応の政策が制定され、積極的に技術移民と投資移民を受け入れている。これに対し、中国の新移民の中に一部分の技術移民と投資移民も含んでおり、割合が高くないが、増加の成り行きを呈している。技術と投資移民の主な移住先は依然と西側の先進国家である。この数年間とりわけ際立っているのがカナダである。カナダは技術、独立移民政策を実行しているので、90年代中期以後中国大陸人はカナダへの移民が増えつつある。1999年に大陸からカナダへの移民は2.7万人に達し、香港からの移民を超えてカナダ移民のトップとなった。その中に2万人が独立と自ら雇用タイプの移民であった。現在、大陸はカナダにとって最大の技術移民の送り出し国である。新移民の中の投資移民は主に一部の個人経営者と工商業者であり、その目的は海外進出或いは外商の身分を取得してから帰国し起業することにある。

投資移民全体の教育レベルは技術移民ほどではないが、彼らの起業意識は各タイプ移民のトップである。最も典型的な投資移民は温州移民である。彼らは数千ドルしか持たないのに、敢えて数十万ドル或いは数百万ドルのローンを借りて、ホテルや、スーパーマーケットの開業、不動産の購入などの投資に使うことがよくある。資金の出所は主に温州人の助け合いネットワークに依存し、「幹会」(利子なしの“標会”)の方式で得られる。現在、アメリカと西ヨーロッパですでに70万余りの温州新移民がいり、彼らは大規模の投資移民集団である。

4、労働者移民。労働者移民は永久性移民の範疇には属しない。労働者移動の目的は国籍の変更ではなく、純粋に経済収入の増加とされる。しかし、その中の一部分はこの目的で永久性移民となった人もいる。改革開放以来、我が国も対外に労働者を送り出してきたが、数量が極めて少なかったので、労働者の形を通じて移民を実現したのも極めて少ない一部の人だけだったのである。

5、非正常ルート移民。このタイプの移民は過去不法移民と呼ばれ、西側で無証移民と呼ばれていた。最近国務院僑務辦公室はこのタイプの移民を非正常ルート移民と定義している。このタイプの移民の移動方式は主に三種類がある:①辺境密入国;②観光、ビジネス考察などの合法手続きを用いて出国し、第二国を経由し、第三国へ密入国する;③留学、親族訪問、ビジネスと文化活動など合法の形を通じて移入国で短期居留してから、長期的に不法滞在をする。

中国には不法移民が現れた根本的な原因は経済問題である。直接原因は国外の受け入れ枠が狭く、供給と需要の矛盾が大きく、合法的にビザを取得することが困難であり、多くの人は正常なルートを通じて移民できないので、あえて命をかけて無謀なことをし、不法移民の道へと踏み出したのである。北米と西ヨーロッパなどの国で実行されている不法移民合法化政策と、いわゆる“政治保護”政策は、“不法移民に生存空間と理解可能な期待を提供している”。同時に、移民ネットおよび国際密入国集団の存在は不法移民の目的を実現させることも可能である。とにかく、不法移民は輸出国と輸入国の間の複雑な国境を越えた行為であり、この問題の解決は双方の合作に頼らなければならない。不法移民出現の原因は近い将来に消えるわけがないが、不法移民の存在は長期的な現象であり、国際社会にとってこの問題を解決する責任が極めて困難で長期的である。とにかく、新移民の動向と国際移民の流れは一致している。

非正常ルート移民は新移民の中でも相当大きな比重を占めている。推計によると、現在の数量は約100万人、福建省出身者だけで70万人もいり、主に福清、長楽、連江などの市、県の出身である。彼らの大多数はすでに移住国の合法身分を取得しており、或いは間もなく取得しようとしていて、大多数が農民出身で、比較的に勤勉で、主に西側の先進国に集中している。

流れから見ると:20世紀90年代中期以前、アメリカは非正常ルート移民の最大の目的地であった。90年代中期以後、非正常ルート移民の目的地はヨーロッパと大洋州など新しい経済成長地域を中心とするグローバル態勢が現れた。現在の情勢から見ると、沿海と辺境省は依然と非正常ルート移民の主要流出地であり、その中、福建沿海地域と東北辺境地域は非正常ルート移民の多発区である。非正常ルート移民の流れから見ると、一部地域の移民の流れは相対的に安定性を有しており、つまり、おおよそ一つ比較的に固定な目的地があるという。たとえば、福建人は一般的にアメリカへと移民し、江蘇と上海人は日本へ行き、山東と遼寧人は韓国へ、内モンゴルと東北人はロシアへ、新疆人は中アジア国家へ行くなど。非正常ルート移民の大量の流入は一連の社会問題を齎してきて、西側先進国の不安をも引き起こした。国際でこんな言い方が流行っている:アメリカは連江を恐れ、イギリスは長楽を恐れ、日本は福清を恐れ、台湾は平潭を恐れ、世界は福建を恐れるという。

五、新移民の職業

新移民の職業には重大な変化が起こった。老華僑の「三把刀」を中心とする伝統業界を突破する動向が現れ、居住国の各業界へと浸透し始め、そして多元化方向へと発展している。しかし、北米とヨーロッパ二つの地域における新移民の職業はそれぞれ各自の特徴を持っている。北米では、留学生と技術移民を主体とする新移民は教育レベルが高い、適応能力が強い特徴を持っていて、経済、文化、科学技術などの領域における貢献が極めて大きい。その中、アメリカの新移民は科学技術、経済、金融領域での成果が際立っている。

ヨーロッパでは、中華飲食業界は華僑華人が経営する伝統業界であり、ヨーロッパ華僑経済の中堅産業でもある。これはイギリス、オランダ、ドイツ、フランスにおいて特に際立っている。西ヨーロッパと北ヨーロッパと違い、南ヨーロッパ地域の特にフランス、イタリアおよびスペインでは、数多くの新移民は皮革産業とアパレル産業も経営している。このほかに、一部分の新移民は大陸の経済発展が彼らに有利なチャンスを提供してくれることに依存し、中国商品価格の優位を利用し、商品の卸売り、小売と輸入貿易、スーパーマーケット、不動産及び金融産業を営んでいる。

六、新移民の特徴

新移民の教育レベルと生活境遇では比較的に大きな差異があるが、一つの集団として、彼らは少なからず共通点を有している;①教育レベルが比較的に高い。高学歴の元の留学人員を除き、新移民全体の平均教育レベルが老華僑より高い;②若者は相当の割合を占めている。彼らの多くは新中国成立後に生まれ、思想が開放し、視野が広く、新環境に適応する能力が比較的強く、創造性と開拓精神に富んでおり、移住先で迅速に立脚して発展できる;③大多数の人は祖(籍)国に深い感情を持っており、祖国と極めて密接に繋がり、強烈な民族意識を有し、中国の前途と運命にとても関心を持ち、祖(籍)国の尊厳と利益を擁護することに熱意が溢れている。彼らは中国との繋がりが密接であり、中外経済、文化と科学技術など多方面の交流と合作を促すには積極的な役割を果たしている;④積極的に移住先の社会に溶け込み、所在地の政治、経済と文化生活に参加し、同時に積極的に自身の凝集力を強め、自身の合法権益を守る。たくさんの新移民社団の成立がこの意識の一つの反映である。

華僑人社会の新興の力量として、新移民の役割が日々際立ってきている。彼らは祖国の統一と中国が世界に与える良好なイメージなどの方面で、独特な役割を果たしており、中外友好往来の架け橋でもある。彼らは伝統な華僑華人社会にも一定の影響を与え、華僑華人社会に新鮮な血液を注ぎ込んだ。彼らは香港、台湾などの新移民と一緒に、海外華人集団の中の最も活力が溢れた一部分を構成し、華僑華人社会地位の上昇及び全面発展を促している。

説明:本稿は国内学者の関連研究成果に基づいて整理して作成し、言及した観点およびデータがすべて関連学者の研究によるものであった。

参考文献
1、 張秀明《国際移民体系中的中国大陸移民――也談新移民問題》、《華僑華人歴史研究》2001年第一期;
2、 郭玉聡《経済全球化浪潮下的中国新移民》、《当代亜太》2004年第9期;
3、 趙紅英《試論中国大陸新移民的特征――北美与欧洲的比較》、《八桂僑刊》2001年第3期;
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