2005年のベトナムと「中国」:ベトナム現地調査での見聞を通して

五 島 文 雄

はじめに

田中プロジェクト「現代『中国』の社会変容と東アジアの新環境」における筆者の役割分担は「ベトナムと『中国』」であった。プロジェクトリーダーである田中教授は、できれば筆者に「東南アジアと『中国』」あるいは「東南アジア『中国』像」を分担して欲しいとのことであったが、筆者には荷が重過ぎるので対象地域を「ベトナム」に絞らせて頂いた。本稿で使用する『中国』とは、主として「中国=中華人民共和国(大陸部)」と「台湾」を含む概念であり、場合によっては、「華人社会」なども含んでいる。筆者は、役割分担に沿った研究をするに当たり、先行研究としてベトナムと「中国」との二国間関係、あるいはベトナムの対「中国」政策については数多くの業績があることを踏まえ、「中国」と「台湾」の双方を視野に入れることとした。視野を「台湾」にまで拡大することによって新しい「中国」像が見えてくるのではないか、『中国』の社会変容がベトナムにおいてどのような形で現れているのかをよりリアルに示すことができるのではないか、と期待したからである。2005年、筆者は4回(8月、9月、11月、12月)ベトナムへ行く機会を得た。その機会に現地で『中国』と関連の深い土地を訪れ、また、様々な階層・立場の人々から「中国(人)」、「台湾(人)」、「ベトナムの華人社会」についての印象・意見を聞いた。本稿はその見聞を政治・外交面、経済・社会面、軍事・安全保障面の3つの分野に整理して、「研究メモ」としてまとめたものである。それぞれの分野で「中国(人)」と「台湾(人)」に分けて記述している。そして、「おわりに」では、「中国」「台湾」「ベトナム」の三角関係を踏まえて、筆者が今後の「ベトナムと『中国』」を展望する上で留意しておきたい点を提示した。

1.政治・外交面について

「中国」

1)90年代以降、大幅に改善された「ベトナム」と「中国」の関係

2005年現在、中越関係は過去30年の中で最も良好であるといって良い。すでに、ベトナムがベトナム戦争当時のように「中国」に「援助される国」としてのイメージはなくなり、より「独立した国」として両国関係を発展させていることは意義深い。これは、88年以降、ベトナムの党・政府が外交路線を全方位外交に転換させた成果でもある。 79年代末に発生した「カンボジア問題」を巡り13年間に亘り両国が対立していたことを記憶している筆者にとっては、まさに隔世の感がある。両国は目下の最重要課題である経済発展のために、平和な環境を必要としており、今では両国間の懸案事項の軍事的解決を事実上放棄して、対話による解決を重視している。そして、領土問題をはじめとして、かつて軍事衝突の原因となった諸問題を、外交努力を重ねることによって実際に解決しつつある。 両国の党・政府は世界に数少ない共産主義国として、共通する理論的・実践的課題を抱えており、人事交流や共同研究も活発化させている。2006年になって、ベトナム共産党のホームページにはベトナム語・英語に加え、中国語のサイトも作成・公開された。

2)ベトナムが警戒する「中国」の圧力

嘗てないほどの良好な関係を築いたとはいえ、未解決の問題もある。70年代末に「難民」として北ベトナムから陸路で中国に避難した30万人近い中国系住民の帰還は殆ど実現していない。新聞報道などでは触れられないが、ベトナム人中国研究者によれば、中国政府は今なお彼らの帰還を求め、失った財産の賠償を求めているという。しかし、ベトナム政府はこれを受け入れてはいない。実際に、北ベトナムの中国国境の町やかつて中国系住民が多かった地域(港町ハイフォン、炭鉱の町ホンガイ、国境の町ランソン)を視察してみたが、中国系「難民」たちが戻ってきた様子はない。ハイフォン、ホンガイなどでは、かつての中国系住民集住地区の建物が都市再開発の波の中で取り壊され、中国系住民が住んでいた面影さえなくなっているところもある。ハイフォンでは、かつて20万人いた中国系住民が今では1万人しかいないとの話を聞いた(人口統計では未確認)。 近年の中国の経済発展はベトナムでも良く知られており、党中央もその影響について様々な角度から研究をしている。ベトナム訪問時に面会したベトナム人中国研究者はこの問題について「今朝、党中央の会合で私見を述べてきたところだ」と話してくれた。 この研究者によれば、中国との関係の維持・発展はベトナムにとって「死活的な問題」であり、多面的な動向分析と多様な対処方法が必要であるとのことであった。 実際、筆者は複数のベトナム人研究者から、ベトナムが「中国」の圧力に対して最近どのように対処したのかを紹介してもらった。例えば、ベトナム共産党の政治理論雑誌に在ベトナム中国大使の論文を掲載するようにとの圧力(依頼)があり掲載したこと、2005年3月に中国全人代で採択された「反国家分裂法案」にベトナム政府の支持を公表するようにとの圧力(依頼)があったが、ベトナムはこれに対して、台湾問題は国内問題であるとして政府として「支持」表明はしなかったものの、外務次官が「支持」を表明することにした、などである。

「台湾」

1)21世紀に入って「閣僚級」の会談を再開しはじめたが・・・

台湾に関しては、ベトナム人研究者から政治面で大きな変化があったことや政治的な「圧力」の存在を感じている様子は伺えなかった。 筆者は、2003年に入ってから、台湾が数年ぶりに「閣僚級」の人物を東南アジア諸国に派遣するなどして積極的な経済外交を展開したことを知ってはいるが、それにより政治面で大きな変化があったとは評価していない。

2)ベトナム戦争の戦後処理を巡る問題も残っている

台湾とベトナムの関係を左右するほどの大きな問題ではないが、あるベトナム人研究者から今なお残るベトナム戦争時代の後遺症を教えてもらった。 ベトナム戦争時代の旧サイゴン政権下では、「台湾」はベトナム人留学生の受入れなど西側の一国として同政権を支援してきた。しかし、旧サイゴン政権の崩壊に伴い、新政府が当時の台湾および台湾人の財産を接収したため、この財産の補償問題を巡り、ベトナム政府と台湾の間で今なお合意にむけての交渉が行なわれているとのことである。

2.経済・社会面について

「中国」・「中国人」

1)「中国」は最大の貿易相手国、「中国人」は最多の外国人ベトナム訪問者

中国とベトナムの関係が改善され始めた90年代初め、中越国境の山間を大きな荷物を背負った商売人(多くは密売人)が蟻のように列をなしていた。調査では、同じ現場に行ってみたがもはやそのような光景はみられなくなった。しかし、中越間の「物流」のみならず、「人流」も加速的に増大しつつある。 2004年現在、「中国」はベトナムにとって最大の輸入相手国(シェアは13.9%。次いで台湾11.6%、シンガポール11.3%)であり、三番目の輸出相手国(シェアは米国18.8%、日本13.2%に次ぐ10.3%)である。注目すべきは、他国以上にそのシェアの伸び率が急速に高まっていることである。 「中国」からの直接投資(認可額)は1988年から2004年までの累計では、最大の直接投資国である「台湾」の10分の1にも満たないが、近年では工業団地の建設、家電メーカーの進出などもみられ、今後、急増していくことが予想されている。 また、こうした経済関係の緊密化だけでなく、2005年からは「中国人」の団体旅行客にビザが免除され、観光客も急増している。ベトナムを訪れる外国人の中で、「中国人」の数は日本、米国の倍以上であり公式統計でも80万人近い数字が挙げられている。

2)北ベトナムでは庶民にも身近な存在となった「中国」と「中国人」

物価が安く、国境から陸路3時間で首都ハノイに到着できることもあり、ハノイの観光名所(例えば、ホーチミン廟とその周辺)では中国人観光客で土産物屋が活気に溢れている。また、国境へ続く幹線道路沿いの休憩所でも、観光バスから降りてくる中国人相手にベトナム人は商売に余念がない。世界遺産に指定されている風光明媚なハロン湾へは日本や欧米からの観光客も行くが、途中で止まった休憩所の店内には中国語の商品案内しかないこと、売り子が中国語を流暢に話していることに驚かされた(3ヵ月後、この休憩所に英語、フランス語の商品案内も出現したが)。道中、簡易なホテル、宿泊所がたくさん目に入ってきたので一体誰が宿泊するのかとドライバーに尋ねると、中国からの商売人がよく泊まっているとのこと。観光客だけでなく商売人も数多く往来していることを確認した。 他方、ベトナム人も経済成長を背景に海外旅行に行くようになった。近年、北部ではベトナム人の手頃な海外旅行先として中国を選ぶ人も多いようである(ベトナム人の国別海外旅行者数に関する統計は未入手)。上海、北京へは鉄道の利用も可能であり、私の友人も、一昨年、奥さんと一緒に中国へ行き、旅先で大きな陶器の置物を持ち帰っていた。彼は昔から刺繍製品を主力にお土産屋さんを営んでいるが、中国の発展振りを目の当たりにしてベトナムの現状と課題を再認識したという。 このような「物流」「人流」を通じて、ベトナム(特に北部)の一般の人々にも着実に「中国」や「中国人」に対する新たな感情・認識が生まれてきている。人それぞれではあるが、先の友人などは、「中国の方が一歩も二歩も経済改革が進んでおり、ベトナム政府は年率7-8%の経済成長を自慢しているが、それは嘗ての日本や今の中国の成長率に遠く及ばない数字であり、もっと日本や中国に学ぶべきである」という。また、北ベトナムからの元留学生は、南ベトナムで生産される熱帯果物を原料とした乾燥ジャックフルーツ、ココナツキャンディーを中国に売るために会社設立を考えている、と「中国」に大きなビジネスチャンスを見いだしていた。

3)南ベトナムでは庶民に存在感の薄い「中国」・「中国人」

昨年の現地調査の際に、ホーチミン市にある大手日本語学校の校長先生と、ホーチミン市の中国系住民やチョロン(中国人住民が集住する地域)について話した。 この校長先生によれば、「(1986年に開始された)ドイモイ政策が始まってから、台湾や香港、シンガポールからビジネスや観光でたくさんの人々が来ている。『中国人』の存在は今でもあまり目立っていない。チョロンでもあまり中国籍の人はいないのではないか。彼らは、考え方が違うからね」とのことであった。 また、「チョロンの物価はかなり高い。食事代金はベトナム人が住むサイゴン地区の5倍ぐらいではないか。というのは、香港人が香港で1000ドルするような料理をベトナムでは30ドルぐらいで食べられるということで、かなりお金を落としているから」だそうだ。 実際には、ハノイほどの人数ではないにしても「中国人」観光客がハノイから空路ホーチミン市まできているが、ベトナム人の多くが「余り目立たない」と口を揃えていう。ホーチミン市の人々にとって、近年増大している中国人の団体観光旅行客が台湾、香港、シンガポールからの団体旅行客と間違えられている可能性もあるが、「余り関心がない」といった方が正確なのかもしれない。ホーチミン市は上海と姉妹都市であり、2005年には広東省のミッションがホーチミン市を訪問している。また、「中国」は工業団地なども建設している。にもかかわらず、このような事項は公的機関が決めて行なっていることであり、一般庶民とはかけ離れたところでの話といった印象である。一般庶民にとって、台湾人、香港人、シンガポール人などに比べて「中国人」の存在は未だに遠い存在なのかもしれない。

「台湾」・「台湾人」

1)「台湾」は最大の直接投資国、最多の労働輸出先

ベトナムは1988年に投資法が施行して以来、各国からの投資を奨励している。「台湾」は、1988年から2005年3月21日までの累計で、認可ベースでは件数で1292件(第1位)、金額で74.16億ドル(第3位)、実行ベースでも28.35ドル(第3位)である。「中国」は、それぞれ324件、6.66億ドル、1.75億ドルであるから、「中国」に大差をつけている(実行ベースでは、第1位が日本42.10億ドル、第2位がシンガポール31.83億ドル、第4位が韓国27.12億ドルである)。 「台湾」が件数において最大であるのは、90年代に入ってから「台湾」が「南向政策」(「中国」への経済的依存度が高まることを懸念して投資を東南アジアへ振り向ける政策)を積極的に進めてきた成果でもあるが、後述するような歴史的な経緯もある。また、台湾企業の直接投資については、香港名義やベトナム人名義での投資が極めて多いことを在ハノイ台湾当局者も認めており、公式統計以上の投資があることにも注意しておく必要がある。 ホーチミン市では「台湾」の民間会社がディベロッパーとして道路(グエン・ヴァン・リン通り)を建設し、その両側に高層の分譲マンションなどを建て、販売している。 この「台湾」はドイモイ直後には北ベトナムの港湾都市と首都ハノイを結ぶ国道5号線の拡幅工事に援助を提供しており、台湾企業は北ベトナムへも積極的に進出している。台湾・日本の合弁企業で働く日本人幹部によれば、最近では、台湾企業も日本企業と同様に「中国」への投資リスクを回避するために「ベトナム」をこれまで以上に注目しつつあり、これまでのような中小企業ばかりでなく、大手企業も投資を本格化させようとしているという。 また、ベトナムは貧困対策の一環として海外への出稼ぎ労働を奨励しているが、台湾はその大量受け入れ国となっている(2004年、台湾へ3万67140人、次いでマレーシア1万4560人、ラオス6600人、韓国4770人、日本2750人と続く)。2005年には9万3000人が就労している。(失踪率が9%とフィリピンやタイから労働者に比べて非常に高いので、台湾政府は2005年1月には家事・介護労働者の受入れを一時停止した。)

2)南ベトナムに経済活動の基盤も持っていた「台湾人」

90年代の初め、北ベトナム在住のベトナム人中国研究者は筆者に要旨次のようなことを述べていた。 「ベトナム戦争中、旧サイゴン政権下にあった地域では『華人』が経済の9割近くを握っており、ベトナム人のブルジョアなどというのはほんの数人しか存在しませんでした。ですから、中越関係の悪化を背景に大量の華人が70年代後半に海外へ流出してしまったことは、米の流通機構に打撃を与え、中小企業の生産・経営も困難にして、南ベトナムの経済を破綻させる大きな原因となりました」。 一般に東南アジア諸国では「華人」が大きな経済力と広範なネットワークを築いていることが知られているが、旧サイゴン政権下の南ベトナムはその典型例であったのである。 ベトナム戦争後、この南ベトナムから流出した「華人」は数十万人にのぼり、世界各国に定住するようになったが、中国系住民の多い地域(台湾をはじめ、香港、シンガポールなど)に定住したものも多い。それだけに、「台湾人」は「香港人」、「シンガポール人」と同様に、南ベトナムに経済活動の基盤を有していたのである。南ベトナムの庶民にとって、中国系の人とは「中国人」を連想するものではなく、「台湾人」、「香港人」、「シンガポール人」などを連想する存在であり、今なお、その傾向が強い。

3)「台湾人」はベトナム人女性にとって最多の外国人結婚相手

ホーチミン市在住の日本領事館員と元留学生の話によると、「台湾人」は同市内に3万5000人おり、台湾人の為の学校も存在する。その学校に通う子供の母親は多くがベトナム人であるという。また、10万人のベトナム人女性が台湾へ花嫁として嫁いでいるという。「花嫁問題」は、90年代後半になってからの一大ブームになった現象だが、花嫁の多くがベトナム最大の穀倉地帯で貧困な農家も多いメコンデルタ出身者である。このブームを呼んだ台湾側の経済・社会的背景には、かつての日本がそうであったように農村における嫁不足が深刻であったことがあるが、一般論としての漢字文化圏の文化的共通性のほかに、台湾人の話す言葉が北京語と違いベトナム語に似ていたこともあるとベトナム人研究者は指摘する。

3.軍事・安全保障面について

「中国」

1)気になるカムラン湾の軍港周辺地域についての噂

前述のように、ベトナムにとって「中国」との良好な関係の維持・発展は「死活的な重要問題」である。経済発展のみならず、それ以上のペースで軍備増強を続ける中国が、今後、益々大きな影響力を持つことは間違いない。 ベトナム戦争時代には、アメリカと戦うために社会主義大国であった旧ソ連と中国の支援を受け、その後、中国との関係が悪化すると旧ソ連と全面的同盟関係を結んで中国を抑制してきた。しかし、冷戦後、いわゆる「軍事同盟」を基盤とした安全保障政策はとりにくい。 そのような判断が「全方位外交」を選択、実施している要因でもあるが、ベトナムが1990年代半ばにアセアン地域フォーラム(ARF)に当初から加盟し、アセアン加盟を決意した要因でもある。 このような中で2005年には気がかりな動きがあった。 それは、南ベトナムのカムラン湾にある軍港周辺の土地を、政府が回収している事である。6月にベトナムの首相が初めてブッシュ大統領と会談した直後であったので、「米越秘密軍事協定」が締結されたのではないかとの噂が南ベトナムで流れた。9月に筆者がこの噂を聞いた際には、ホーチミン市で中国の諜報機関的役割を果たしている「中国文化センター」の職員が現地にその確認に行った、という説明まで付いていた。この件について北ベトナムで複数の人物に尋ねると、7月にベトナムの国家主席が訪中した後でもあったからであろうが、そのうちの一人は北ベトナムではアメリカではなく中国との間でカムラン湾の軍港について何らかの「協定」が締結されたのではないかとの噂があることを教えてくれた。いずれの噂も真偽の程は分からないが、ベトナム政府がカムラン湾の軍港周辺の土地を非軍事目的に利用することを決めて土地開発業者にその土地の使用権を売り渡していたにもかかわらず、突然、回収し始めたことだけは確かなようである。

「台湾」

台湾については、殆ど情報がない。

おわりに

ここでは、以上のベトナムにおける見聞を通して、今後、筆者自身が留意していきたい点を述べておきたい。

第一は、米中関係が、今後、ベトナムに影響を与えるようになるのかということである。ベトナムにおけるアメリカと「中国」のプレゼンスは21世紀に入ってから、急速に拡大している。それだけに、ベトナムとしては両国との関係を維持・発展させることを望んでいる。そのため、2005年6月にベトナムのカイ首相がベトナム戦争後初めて訪米し、ブッシュ大統領と会談をした翌7月には、ベトナムのルオン国家主席が中国を訪問するなど、ベトナムは中国への配慮を忘れてはいない。1995年のベトナムとアメリカとの国交正常化以降、ベトナムは両国に対しては外交上、常にこのような配慮をしてきたといってもよい。また、ベトナムは両国との関係を維持・発展できるように、米中関係が良好であることを望んでもいる。とりわけ、軍事・安全保障上の問題については、ベトナムが両国のどちらか一方を「同盟国」として選択せざるを得ない状況に陥ることはベトナム自身にとっても、地域の安定にとっても望ましくはない。上述の政府による軍事基地周辺の土地回収問題は、そのような観点からすると「東アジアの新環境」の到来を示す一事例となるかもしれない、と考えて紹介したものである。しかし、ベトナム自身が一国だけで米中関係に大きな影響力を行使することは困難である。今後、ベトナムが米中両国の国際戦略、とりわけアジア戦略に自国を適合させるだけでなく、主体的に様々な国際会議、地域会議においてアセアン諸国などとも協力しつつどのように平和な国際環境、地域環境を形成して行こうとするのかに注目していきたいと考える。

第二は、「中国」と「台湾」の関係が、今後,ベトナムにどのような影響を与えるようになるのかということである。「台湾」は、1990年代から「南向政策」を実施してきた。しかし、その政策的な効果は上がらず、ますます「中国」への経済依存度を高めている。また、国際舞台での活躍の場も「中国」により制約されている。「台湾」の国立政治大学選挙研究センターが毎年定期的に実施している台湾人のアイデンティティ調査では台湾人意識は年々高まっているが、「統一・独立」に関する民意調査では「統一」が減少傾向にあり、「現状維持」が絶対多数を占めているという。これは「独立」を主張して中国からの直接的な圧力をうけることを避けたいという意識が働いているからである、と言われている。筆者としては「現状」が維持されている政治的・経済的・軍事的要因が何であり、その変化の可能性を考慮しておく必要があるように思われる。同時に、「統一」あるいは「独立」が平和裏のうちに達成できるとすれば、どのような条件がありうるのかも検討しておく必要があろう。ベトナムにとって、「中国」と「台湾」は経済的に極めて重要であるが、経済的・社会的にそれぞれ異なる重要性を持っている。それだけに、ベトナムは両者との関係も良好に維持、発展させたいと望んでいる。2005年現在、両者の重要性の差異は、歴史的経緯、経済発展の度合い、地政学的な位置などによってもたらされているが、経済的重要性については、「中国」との急速な経済関係拡大によって、次第に「台湾」の重要性を相対的に低下させていくものと予想される。その過程で、「中国」の台湾政策を巡る「圧力」がどのようにベトナムに対して加えられるのかに注目していきたい。それは、ラオス、タイ、ミャンマーなどの中国と隣接する諸国に対する「中国」の対応を推測する上でも重要であり、より広く言えば、「東アジア共同体構想」の実現が模索されている中で、「中国」自身が「東アジア」にどのような新環境を形成しようとしているのかを知る上でも重要と考えるからである。

第三は、ベトナムがさらに「台湾」の「南向政策」を効果的に受け入れられる環境を築けるのかということである。先進国の投資先が「中国」へと移転していく状況の中で、ベトナムにとって「台湾」の「南向政策」は歓迎すべき政策である。実際、「台湾」は前述のようにベトナムにとって重要な投資国である。しかし、この「南向政策」をさらに効果的に受容するためには受入れ側であるベトナム自身の投資環境整備が不可欠である。とりわけWTO加盟後、経済のグローバル化の中で台湾企業も国際競争力を維持、向上させていく必要性に迫られており、台湾政府の南向政策に盲従するわけには行かなくなっているからである。投資環境整備という点では、ベトナムの場合、一般に法の整備・執行能力向上や経済・社会インフラの整備が必要とされているが、国内における多数派民族(キン族)と華人・華僑との良好な関係も必要である。この点は、2002年段階で台湾の直接投資が重要な位置にあるカンボジア(第2位)、タイ、マレーシア(第3位)、インドネシア、フィリピン(第5位)にとっても同じことが言えよう。

第四は、「中国」、ベトナムがどのような華人・華僑政策をとっていくのかということである。ベトナムにおける「中国(人)」、「台湾(人)」像、換言すれば『中国』、『中国人』像は、地域によっても、人によっても異なる。しかし、党・政府に政策提言する立場にあるベトナム人中国研究者は、そのような事実を前提にしながらも『中国』『中国人』として包括的に把握しようとしている。このように把握していることは、同氏がベトナムへの直接投資の7割が何らかの形で「中国系」の人々が関与したものである、と指摘していたことからも伺える。彼は、本稿でいう『中国』を「中国的要素」と呼んでいたが、まさに、この変化とそのベトナムへの影響を分析するのが同氏の仕事である。彼によれば、『中国』、とりわけ「中国」の「圧力」がいずれの分野においても益々強まることは覚悟しなければならず、止めようのないものである。そして、そのような環境の中でいかにベトナムの「独立」を保ち続けるのかが大きな課題である、という。また同氏によれば、軍事的には一時的に「米国」に頼ることはできても、「遠くにありすぎる国である」から長期的には頼りにならない。したがって、ベトナムは「遠友近攻」政策などは採用できない(「中国」と対立していた80年代には旧ソ連を同盟国としてこのような政策を採用していた)。ベトナムの2大穀倉地帯を流れる「紅河」と「メコン河」の源流は「中国」にあることも忘れてはいけない。この現実は、食の問題だけでなく、エネルギー問題、環境問題などにも関連するので、外交政策上「中国」が一番重要な国であり、同時に、気を遣わなければならない国なのだ、という。このような話の中で、筆者の脳裏に浮かぶのは「中国」の華人・華僑政策が、現在、どのようなものなのかということである。70年代末に、いわゆる「華僑迫害問題」を理由として「中国」がベトナムを批判していたからである。現在では、ベトナムも華人・華僑の経済的重要性を十分に認識して、華人・華僑政策を改善しているが、具体的にどのような政策を採用しているのかも研究課題である。

第五は、ベトナムの「華人」のアイデンティティがどのように変化していくのかということである。華人・華僑政策という「中国」とベトナムの国家政策レベルの話とは別に、ベトナムの「華人」レベルにおいて今後、どのようなアイデンティティが形成されていくのかという問題にも留意していきたい。近年、ハノイの書店でもホーチミン市の書店でも、中国語の本の売り場面積が拡大している。日本語学校の校長先生はホーチミン市では日本語学習に人気があり、中国語の学校が増えたとの印象はないと述べていたが、着実に中国語がベトナムに浸透していることは現地調査からも伺える。そのこと自体は、世界各国で見られる現象であり、ベトナムの華人が『中国』との関係を深化させればさせるほど『中国人』としてのアイデンティティをより強めることも自然の流れであろう。しかし、日本と比較するとベトナムでは華人の経済力は格段に大きいと思われるだけに、それが持つ意味合いも大きくなるであろう。現段階では、それがベトナム社会にどのような影響を及ぼすのかは『中国』自体の社会変容とも関連するだけに予断を許さないが、注目しておくべき事項であると考える。

最後に、本プロジェクトの目的でもあった「現代『中国』の社会変容と東アジアの新環境」のなかで、日本が『中国』に対してどのように向き合うべきか、その有効と思われるな処方箋を簡略に提示してみたい。ここでは、最初に日本の『中国』政策全般について、次にその一環としての日本の対ベトナム政策について述べることにしたい。まず、日本の『中国』政策については、ベトナムとの関連でもすでに触れてきたように、米中関係のあり方、「中国」・「台湾」関係が、アジア地域の平和と安定を損なわないように最大限の努力をするべきであろう。そのためには、日本の安全保障の観点から、まずは日本の国益に配慮しつつ、アメリカのアジア戦略に対して可能な限り協調することが肝要である。そのような姿勢を基本とした上で、『中国』、とりわけ「中国」とも二国間のみならず多国間のチャネルをも通して新しい良好な関係を切り開く最大限の努力を傾注する必要がある。次に、日本の対ベトナム政策については、以上の全般的な『中国』政策を踏まえた上で、基本的にはベトナムが推進している「改革開放」「政治的民主化」を主たる内容とするドイモイ路線を支援することにより、同国自体の安定に寄与することが望まれる。また、必要と判断した場合には、ベトナムが「中国」あるいは「アメリカ」からの過度の「圧力」を受けないように、あるいはその「圧力」を緩和できるような役割も演じることが重要である、と考える。

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