雑誌『中国婦女』にあらわれる「女性労働」観に関する一考察

嵩 下 雅 子

2001年の中国失業率は3.6%iといわれる。しかし、この数値は都市部の登録者のみの数値であり、必ずしも現状を反映してはいない。経済開放やWTO加盟に伴い、国有企業の改革が進められるなか、「下崗者」iiは急増した。新大卒者の増加、農村部の過剰労働力による都市部に流入するなど、現代中国における就職問題は深刻化している。

1978年12月中国共産党第11期中央委員会第三回全体会議において、鄧小平派がその政治的優位を確立すると、「一部分先富起来」(富める者から富め)をスローガンに政策は社会主義市場経済化という目標のもとに整序され、中国社会構造そのものの急激な変化が展開するにいたった。

各方面において「競争」が生じ、労働に関しても「分配制」から自己就職選択というシステムへの移行がすすんだ。このような背景のもとで「回家論」iiiの出現や「下崗」させられた女性の再就職問題など、中国の女性労働問題は、世界の女性労働問題と共通する問題と課題を有するほかに、中国独自の問題をも抱えていることは言うまでもない。

本論では、中華婦女聯合会の機関誌『中国婦女』と機関紙『中国女性報』のサイト記事を中心に、中華婦女聯合会の活動や「下崗者」の聞き取りを交えて、建国から現在に至る中国の女性就職問題の所在や彼女たちの人生選択に焦点をあてたものである。

建国以後、男女平等が国策となり、1950年の離婚申請ブームなどに示されるように、女性たちは、はじめて人間としての権利を認められ、男性との平等的地位を保証された。しかし、この理想的な男女平等を実現するには、まず女性たちの経済的自立を確立する必要があった。土地改革で、農耕地を手に入れた女性は農業に従事し始め、女性は中国の歴史上本格的に、家庭外労働に参加することとなる。


大躍進や文化大革命では熱狂的な社会の集団化・共産化が行われ、女性たちは農業から工業、サービス業にも参加し始め、「鉄姑娘」に代表されるように女性は、男勝りの働き振りを要求され、家庭内労働との二重負担だけでなく、「男のできることは、女にもできる」とその生理・心理的健康をも犠牲とするような就職観が生まれ始める。

改革開放路線が確立すると、「婦女回家」論があらわれはじめた。1988年には、余剰労働力の削減により、国有企業の生産効率を上げる企業内の改善政策の元で、女性は家庭への回帰が求められた。

しかし、「婦女回家」論に対し各方面から反対意見が出された。女性が経済的独立を失うことで、女性の社会的地位や男女平等が崩れることがその根拠である。これは、マルクス主義の婦女解放論の「男女平等はその経済的基盤にある」という考えが、広く認識されており、「婦女回家」論はそれに逆流する考えであると位置づけられ、反対論が高い数値を占める結果となったと考えられる。

改革解放が進み、国有企業は多額の負債、非国有企業との競争やWTO加盟への適応を求められ、1995年下崗が開始された。労働者は、政府が与えた安定した職、高い待遇・福祉と国有企業の社員のプライドを一度に奪い上げられた。その多くは自然災害、文革、下郷、回城の経験者であり学歴が低く、再就職を試みるものの利潤を追求する新しい企業体制に適応できず、特に女性下崗者の再就職は、年齢制限、男性より低い学歴、技術・技能の未熟のため、困難に満ちていた。

そのような中でも、女性たちの「経済自立による男女平等」思想は変化しておらず、夫に養われている劣等感から、専業主婦に甘んじることに恐怖心を抱いていた。また、社会でも女性労働力は非効率な労働力であるといった観念を持っており、女性の採用を拒む状態であった。

女性の就職は、それまでの国家政府の優遇政策や特殊保護ivに守られた状態から、市場経済メカニズムに応じた、男性労働力との無条件競争へと投げ出されたのである。そのため、女性たちは客観的に自分を見つめられる心理状況や自分自身を社会環境に適合させていく必要性があった。特殊な技術や技能の向上が再就職の必然条件とされ、職業訓練を受けはじめ、自分の特技や趣味をアピールし、再就職を実現させていった。

2003年になると、主動下崗やすすんで早期退職する者の出現から見て取れるように、下崗に関する認識は変化し、悲観的な社会からの敗退や淘汰から、リフレッシュ期間や新しいことに挑戦するための準備期間へと変わり、その就職観も国家の優遇政策に依存ぜず、自らの能力や技術を伸ばし、就職を勝ち取る方向へ変化した。

しかし、企業内での女性の昇進・昇給の困難さ、セクハラ行為等の女性に対する軽視や出産育児休暇問題が表面化し、若く高学歴な労働者に“青春飯”vである不安や、解雇への恐怖感を抱いきはじめ、時代に淘汰されないように、常に新しい知識や機能を身につける『充電族』が出現した。同時に、女性にかかる二重労働の負荷も増し、社会では『充電』しなければ、昇進も昇給も難しく、家庭では家事だけに留まらず、子どもの教育問題、高年齢化による介護問題もある。

要するに、社会では男性にも勝ちうる知識と技能を持ち、家では良き妻、良き母親そして良き娘(嫁)であることが現代中国での良き女性像となっている。

1980年代女性学の確立、1995年第四回国連世界女性会議(北京会議)で、ジェンダー論viが確立されると、これまで社会主義婦女解放論に頼り、政府の意思に沿った政策しか打ち出せなかった状態は改善され、各方面からのアプローチが可能となり、女性が女性として生きることが認知され、専業主婦を女性の一つの生き方として考える人が現れ始めたvii。若く高学歴の女性の一部では、専業主婦になりたいと考える者も現れ、就労目的も経済上の自立から自己生活の充実と変わっている。

「婦女回家」論への反対や女性下崗労働者への就職支援、また近年現れた『充電族』や専業主婦願望といった現状は、ただ単に女性の経済的自立を保ち、男女平等社会を実現することだけでなく、女性が数多くの人生選択肢を獲得するためには、妊娠・出産・育児といった一連の再生産労働に対する再評価の必要性をも示唆しているように思う。

注記

  1. 『中国年鑑』2004、p.324。2002年の登録失業率は4.0%である。
  2. 一時帰休者とも呼ばれる。下崗は給与の一部や福利制度を供給しつつ、自宅に待機させる一時帰休制度である。しかし、収入源が絶たれるため、事実上の解雇である。経済用語ではレイオフを使用しているが、本論では「下崗」をそのまま使用する。また、「下崗」したものを「下崗者」「下崗労働者」と称する。
  3. 「段階性就職」「弾性就職」を軸とした女性の労働力配置の見直しで現れた一論で、女性は専業主婦となるべきだと考える。
  4. 「女職工労働保護規定」(1988年9月1日施行)や「中華人民共和国婦女権益保障法」(1992年10月1日施行)には、女性の採用が適さない職種以外での、女性採用の拒否や結婚・妊娠・出産・育児を理由とする解雇の禁止が規定されている。このような保護が無くなった訳ではないが、国家による職業の「分配制」はなくなった。
  5. 「若さ」を売りに就職すること。特にサービス業に多く見られる。
  6. ジェンダーとは社会的性格差を意味する。このまでの婦女解放論やフェミニズム論では、女性を中心に考えられてきたが、これに男性からの視点を加えることで、女性の解放だけでなく、男性のも解放をすることにより、両性の社会的生格差を縮めようとする考えである。男女平等を国策とする中国にとっては、フェミニズム理論より受け入れやすい理論であった。
  7. 黄海存「家を出て行く日本女性 家に帰る中国女性」『人民中国』2002.1、p.32。
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