2011年1月6日ロイヤリング講義

講師:弁護士 大川 治先生

文責 渕山 剛行

 

刑事弁護の実際

 

では本日の講義を始めたいと思います。私は5年ほどこのロイヤリングの講義にきているのですが、いつもは10月くらいに担当しています。今年も10月の予定だったんですがちょっと予定があって今日にしてもらいました。10月くらいならもっと学生がいるんですけど、今日はえらい少ないですね。聞くところによるとだんだん学生が減っていくらしいですね。それは話が面白くないということでしょうから、主に実務家の方の責任です。みなさん面白くない話は聞かないでしょうから。私は、せっかく皆さんに来ていただいているので、このロイヤリングは来てよかったと思っていただけるような努力をするのでお付き合いいただければと思います。

 

簡単に自己紹介しますと、私は大川治といいます。1996年、平成8年に弁護士になりまして、大坂の北浜というところにある堂島法律事務所でパートナー弁護士をしております。ここ5年くらいはもっぱら企業法務をやっていまして、刑事事件はあまりやっていません。ただ、もともと弁護士になろうと思ったきっかけが刑事弁護をやりたい思ったことで、最初のころはかなりの件数をこなしました。日本の刑事裁判では起訴された場合99.9%が有罪になってしまうということで、100件やっても1件も無罪になりません。ということは一生弁護士をやったとしても、1件も無罪判決をとれないかもしれないということです。その中で、私は今年で弁護士になって15年目ですが、1件完全無罪をとってまして、もうひとつは、起訴されてる2つの事件のうち1つを完全無罪とりました。15年で2件とったということですね。他には、刑事訴訟法を勉強されている方ならわかるかもしれませんが、違法収集証拠排除決定をいただいたこともあります。なので、それなりに刑事弁護の実績があると自分では思っています。

 

刑事弁護をお話しするうえで刑事司法の3つの衝撃というのをレジュメに載せていますので見てほしいのですが、去年の時点では衝撃は2つしかありませんでした。1つは足利事件です。もうひとつは裁判員裁判についてのことです。今年はある検察官が証拠をねつ造して自分が起訴されてしまうという前代未聞の事件が起きましたのでこれを加えて3つが刑事司法の衝撃ということになります。

検察の事件についてですが、これは厚労省のエリート公務員の村木さんにねらいを定めた事件で、この事件を挙げるために客観的な証拠と検察官の立てた見立てとに齟齬があり、その食い違いに気付いた主任検察官の前田さんという人、ちなみにこの人は私と同期でして、同じ研修所で勉強して同じ飯をどこかで食ってるはずです。私たち48期からでたエリート検察官が犯罪者になってしまったということです。彼がフロッピーディスクの中身を改ざんしてそれが明るみにでました。村木さんはもともとこのことが明るみに出る前から無罪の方向で裁判をやっていたのですが、朝日新聞のスクープでこのことがすっぱ抜かれて非常に問題になりました。また前田検事だけじゃなくて、その上司であった元特捜部長と副部長も逮捕起訴されて、今公判前整理手続中であります。で、こないだ最高検察庁が調査報告書を出していて、これは前代未聞の出来事であってこうこうこういう問題があってこんなことになったという自己反省をしています。まずこの事件で一番衝撃的だったのは、刑事裁判は証拠裁判主義ですよね。刑事訴訟法に規定がありますが、事実の認定は証拠によるという条文があります。ここでいう証拠と言うのは供述証拠と物証があり、これらに基づいて忠実なレフェリーである裁判官が事実の有無を決め、そこに法律を適用します。供述証拠というのは、非常に移り変わりやすく、みなさん昨日の晩何を食べたかを思い出す時、漬物は食べたかは思い出せるとしても何の漬物でなにが入っていたかはあまり記憶していないと思います。記憶してないものを脳みそから呼び出して画像化して味を思い出して言うわけですよ。こんなもんはいい加減なものです。カセットテープみたいに正確には思い出せません。人間がすることですから。なので、供述証拠と言うのはもともと頼りないものなので、その信憑性をきちんと判断しなければならないものです。しかし、この血のついたナイフに指紋がついていただとかは動かぬ証拠になりますよね。またこの文書がこの日に作られただとかは、パソコンを調べればわかりますね。つまり物証というのは嘘をつかないとみんな思っているわけです。裁判所も物証は嘘をつかないとして信用するわけです。ここで確認したいのは、この検察官は供述証拠をいじったということではなく、物証をいじったということです。いちばん皆が信用する根底にあるものを、自分のストーリーに合わないからというだけで改ざんしたということです。こんなことができたらだれでも有罪になってしまいます。そういう事件なのです。今ここで話しながらもかなりの衝撃だと思って話しているのですが、我々弁護士で刑事事件なんかに携わってるものからすると、もちろんこんなことが明るみになったことは衝撃でしたが、「やっぱりな」ですよ。そんなあきらめに近い感覚です。我々は警察とかは証拠の改ざんはやってるんじゃないかと疑っていました。しかし検察官はまさかそこまではしないよなと思っていた、思おうとしてたんですね。でもその最後の信頼がガラガラと崩れてしまいました。弁護士はみなそういう実感をもっています。この事件ではフロッピーの改ざんが注目されていますが、検察官のストーリーに合った供述証拠が生まれてるということも問題です。客観的には違うにも関わらず、村木さんはこの日にこうこうこういうことをしましたという供述調書をとられている部下がいるんですよ。調書というのは本人が書いたものではなく、検察官が書いたもので理路整然としています。検察官はどこの部分が重要かわかっているのでそれに合わせて調書を作ります。もともと調書というのは改ざんとまではいいませんが、本人が言ってるニュアンスとは違うものになってしまうもので、これは誰でも知ってたことです。裁判官も同じようなことを司法修習中にやってますからわかってるんですね。ただみんな知らんふりをしてたわけです。弁護士は供述調書で本人がこんな表現をするわけがないということがいっぱいあって検察官が単に作ったものだと主張してたのですが、なかなか裁判所はこれを信じてくれなかったのです。そんなことから、供述調書でもあんなに手を入れるのだから物証に手を入れることがあってもおかしくはないという考えが現実のものとして明らかになってしまったということでも衝撃であったということです。これをどう立て直していくか。この事件で国民の司法に対する信頼がかなり崩れてしまったわけで、これを立て直すためには攻撃するだけではだめです。弁護士もそうなのですが、検察や警察がこういったことをするかもしれないということを見逃してたのではないかということを皆さんを含め反省しなければなりません。そんなことを突き付けられた事件でありました。これが1つ目の衝撃です。

 

2つ目の衝撃は、昨年や一昨年くらいに大騒ぎになった足利事件です。DNA鑑定がでていまして、亡くなった女の子の服についていた体液から採ったDNAが被告人であった菅家さんのDNA型の一致したというものです。当時から弁護側はこのMCT118型のDNA鑑定は間違っているのではないかということをずっと言い続けてました。現に間違っているとして勾留中の菅家さんの髪の毛を手に入れて弁護側が鑑定したところ、型が違いました。もともとの裁判ではそのことをいっていたんですが、最高裁までいき最高裁調査官と弁護団が面会して再鑑定を要請したにも関わらず、再鑑定は行われず高裁の判断を支持して上告を棄却しました。皮肉なことにこのDNA鑑定は信用できるとした最高裁の判決は判例になり、百選や最高裁調査官解説、教科書にまで載りました。この弁護団は非常に熱心で再審の申し立てをし、東京高裁が再鑑定をやりました。MCT118型鑑定というのは二重らせん構造になっているDNAのある特定の一か所をみるものです。これは人によって違うのでパターンが合致すればその人だと特定できるものだと考えられていました。今のDNA鑑定は特定の個所だけじゃなくていろんなところをみるマルチローカス法というものです。こっちはかなりの精度があるということでやってみると、弁護側、検察側それぞれでやったようですが2つとも同一人物ではない、菅家さんと一致しないという結論が出ました。それでおもしろいのは、検察官と言うのは正義を実現すべき立場であり、無罪の証拠が出てきたら無罪の論告をしなければいけません。そうなのに、鑑定結果を目の前にして何をやったかというと、鑑定するにあたって他人の体液が入った可能性がないかを調べたんですね。つまり捜査官たちの汗が入ったんじゃないかと疑い、当時の捜査官たちのDNAを全部鑑定したらしいという話があまり報道はされてませんがあると聞いています。しかし、やはり誰とも一致せず、釈放することになりました。再審無罪が確定する前に釈放されたというのは日本で初めてのことです。このDNA型だけで勝負されてるというのも怖いですが、一番ショックなのはDNA鑑定が間違っていたということではなく、犯人じゃない人が自白をしたということです。絶対に菅家さんがやったわけではないのに、逮捕されて最初は否認しますが途中で自白に転じています。で、第一回の公判まで自白を維持しているんですよ。途中でやっぱり違うとして否認したんですが、1審の弁護人はあまり信用せずこの弁護活動には問題がありましたが結局有罪になりました。やってないことでも自白してしまうんです。僕が修習生だったときに、ある裁判官がこんなことを言っているのを聞いて非常に驚きました。「やってない人間が自白するはずがない」といったんです。こんな発想で自白の信用性を判断しているのだったら全然この裁判官は信用できないと当時思いました。やってない人間が自白するわけがないんだったら、常に自白があったらやってるということになるじゃないですか。自白の信用性を判断するための要件もなにもいらなくなりますね。そんな発想は根底から間違っているということがこの事件ではっきりしました。取り調べの中で自白してしまうんです。これをもとに自白調書が作られます。これは1つ目の衝撃とつながります。捜査機関側がズルをするかもしれないということと、やってない人間が自白をする可能性があるということを踏まえて有罪か無罪かを判断しなければならないということです。

 

3つ目です。裁判員裁判が始まりましたね。今話したような大きな課題を裁判員にも判断させなければならないのです。裁判員裁判で今のように99.9%有罪になるような裁判は変わっていくだろうと言われています。現に変わっているといえるような判決も出ています。しかし、法律の素人の人たちが裁判員裁判でさっきいったようなことや、被告人に有利な証拠を出さないということ、これはじゅうぶんありえますから、こんなことが起こり得るということを踏まえて裁判をする、そんな制度をどう運営していくのかというのも大きな課題ですね。ということで21世紀の刑事司法では毎年のように衝撃が起きていて、それを踏まえて弁護人はどんな弁護活動をすればよいのか、いろいろ課題は山積みですね。課題が山積みだということをお話ししたうえで、ここから先、レジュメにそっていきます。

 

よく言われるのは、なんであんな悪い奴の弁護するんですかということです。そんな主張をして遺族がかわいそうじゃないかというこということを言われます。あんなメチャクチャな主張をして世間をバカにしてるんじゃないかということです。今知事をやっている人も弁護団のこんな主張は世間をバカにしているといってましたよね。そんな中レジュメにもありますが無罪事件が最近結構でています。なぜ世間はこんなことをいうのでしょうか。僕は普段は会社関係の仕事をしています。つまり民事商事の仕事です。弁護士はロイヤリングの講義でもお分かりのように家事事件、知財事件、労働事件といろんな仕事をします。1人の弁護士がすべての分野をカバーするのは難しいので、だんだん得意分野というものができてきます。で、今日は忘れましたが弁護士バッチというひまわりのようなバッチをつけて仕事をするわけですが、あれは結構目立っていやらしい感じがするので私は普段はつけません。民事訴訟では弁護人とはいわないで代理人といいます。刑事訴訟はどうかというと弁護人と言いますね。弁護士は刑事弁護をするのが当たり前だとおもうかもしれませんが、私も大学生のころは当たり前だと思ってましたが、そんなことはありません。刑事弁護を一切しない弁護士さんもいます。僕も今は2件ほどしかもっていません。中には30件以上持っている先生もいらっしゃるしで様々です。テレビドラマでよくやっていくように、真犯人はこの中にいる!あいつです!ということはまずおきません。逆に下手をすると虚偽告訴罪などになってしまいます。あれはドラマだから起きることで、現実には忙しくてできません。ドラマと現実とはギャップがあります。また弁護士が攻撃されることがよくあります。皆さんからすると古い時代のことと思われるかもしれませんが、オウム真理教事件がありましたね。あの事件の弁護人は、なんであんな人らの弁護をするのかということで顧問契約を解約された弁護士がたくさんいます。和歌山のカレー事件の弁護団も非常にたたかれました。光市の母子殺人事件では弁護団が荒唐無稽な主張をしているとして、橋下弁護士がテレビで懲戒請求を呼びかけたらほんとに懲戒請求が殺到してえらいことになったということもありましたね。こういうのをみて一般の人たちは黒を白というような弁護活動をしているのだから非難されて当然だと言ったりもします。私がタクシーに乗った時も運転手が私を弁護士と知らないもんで、あのオウムの弁護をする奴の気がしれんねーとかいってきたりするわけです。私は「ん〜そうね〜」と適当に言ったりするんですけど、そんなことからも特に刑事弁護をするような弁護士は世間から胡散臭いといようにみられている気がしますね。それに刑事弁護は肉体的にもきついので私はやりたくないという人が出てきてもおかしくはない気は確かにします。しかし、刑事弁護の在り方を批判する人たち、批判するのは表現の自由より当然あっていいと思います。あっていいとは思うんですけど、問題はその批判する方々の視点から、自分が被疑者被告人になるかもしれないということが抜けているということです。自分が被害者側になることばかりを考えてる方が多かったりします。そうではないですよね。交通事故なんて誰でも可能性はありますよね。下手すると自分が事故を起こして逮捕されてしまうこともあります。交通事故は起こそうと思って起こせるわけではないので、ほとんどが過失です。それでも逮捕されてしまうんですね。いつでもありえるし皆さんだってありえます。今なら自転車に乗ってて年寄りの人に当たって怪我をさせると業務上過失致傷になる可能性だってあります。いつでも立場が転換して自分が被疑者被告人になる可能性があるということを念頭に置いて、そのうえで刑事弁護の在り方はおかしいと言えるかということを本当は考えなくてはいけません。大きな事件や有名な事件ばかりに意味があるのではなく、やはり確実に有罪で本人も争ってないような小さい事件でも刑事事件ですから、大きなものから小さなものまでを含めて刑事司法というのはあるので、これらすべて担っていかなくてはならないんですね。そういったすべてを担っていく制度を作っていくために、弁護人はどうして必要なのかを基本に戻って考える必要があると思います。大きくは憲法に書いてあるからということになりますね。31条以下に条文があります。ただ憲法の要請であると言っても一般の人からすると、そうですかーで終わってしまいます。それだけじゃなくて、刑事訴訟というのは歴史的には弾圧の道具として使われてきたということができます。日本でも弾圧の道具として使われています。江戸時代に井伊直弼が安政の大獄やってますが、あれは形式上は刑事裁判ですね。刑事裁判で政敵を全部退けたわけです。他にもいろんな人たちが切腹させられたりしたじゃないですか。日本でも百何十年前まではそうだんたんですよ。戦前は特高警察というものがあり、頭の中でおもった思想だけでこいつは危険人物だとして有罪にできました。拷問で殺された例もあります。80年くらい前の話ですよ。最近ですよね。アメリカはよく自由の国だと言われます。日本がお手本にしたようにアメリカは刑事訴訟法が非常に進んでいました。しかし2001年のテロ以来、どうなったかというとものすごく捜索するんですよね。全身をスキャンしたり、空港から入国しようとする人に怪しいとトランクをあけさせたり、カキがかかってれば壊してでもやります。アラブ人らしき人ならすぐにいろんな理由をつけて拘束するなど、アメリカでもそのようになってしまいます。文明国であっても、いつでもすぐに後戻りしてしまうんです。そんな時代はいつでも来ます。民主主義ですからそんな人間がトップなれるんです。トップになってしまえば三権分立とはいってもある程度自由にできるようになっています。裁判所はなにかことが起きてからじゃないと動けませんし、立法府と内閣は連動しています。検察庁というのは行政側で裁判所側ではありません。民主党は小沢さんを捜査するのは自民党側がなんかやってるんじゃないかとまことしやかに言ってましたね。そういう疑いがもたれるくらい、捜査権というのは政治的に使おうと思ったら使える、そういうものなんです。そんなときに弁護人という制度がなかったらどうなるか。村木さんの事件で証拠の改ざんを発見したのは弁護士たちです。弁護士たちがいなければ誤りを正すことはできませんでした。それだけじゃなくて、犯罪をした人、糾弾をされている人って普段どう思いますか。こいつは人を殺した人だと疑われるとしますよね。皆さんそんな人と友達になりたいと思いますか。なりたくないでしょ。赤の他人のその人のために支援したいと思いますか。せいぜい味方してくれるのは家族とか親戚とか親しい友人だけですよね。そんな人すらいない人もいますよね。つまりその人にとって世界中が敵な訳ですよ。そんなときに裁判やってどうなりますか。絶対有罪になりますよね。その人のために刑事弁護をする人が必要なんです。たった1人でも。世界中の全員が敵でもその人の味方をする存在というのが用意されてるんです。それが刑事弁護です。かつて僕は無実の人間を無罪にするのが刑事弁護人の仕事だと思っていました。でもそれは間違いだったと気付きました。さっき言ったように、有罪の人間は世界中が敵なんですよ。世界中の全員が敵でも有罪の人間のために味方にならなくちゃいけない。それが刑事弁護なんですね。だから、有罪の人間の弁護をするのが刑事弁護の真髄です。自分はやりましたという人、この人を弁護するのが刑事弁護なんです。弁護の余地のない人間はこの世に存在しない。これは間違いない。これは私の信念です。信念だというだけではなく現実にそうです。死刑しかあり得ないという人もいますがその人にも弁護は必要なんです。その人を弁護する余地は必ずあります。それでおもしろいのは、日本には軍隊はありませんよね。こないだ自衛隊のことを暴力装置といって糾弾された官房長官がいましたけど、まぁまぁ間違いではないですけどね。自衛隊は置いといて、日本で一番身近な実力行使をする機関というと捜査機関がありますね。警察、検察庁。なんでかわかりますか。逮捕ができるからです。逮捕というのは身体の自由を奪えるということで、憲法の中でも一番根源的な権利の制限ですね。身体の自由がなければ、好きな時に好きなことができないんですよ。逮捕勾留ができるというのは非常に大きな権利です。また、こちらが同意してないのに勝手に人のうちに入ってきて勝手にたんすの中を探して、必要なものを持って行けるんですよ。こんなことができるのは警察と検察庁だけです。まさに実力行使です。まぁ他にも海上保安庁とかあるんですけどね。その実力行使に対して刑事弁護人は実力行使で対抗するのか?、ということですね。刑事弁護人はそんなことしません。刑事弁護人の武器は六法、法律の力と人を説得する弁論の力です。非常に非力で軟弱ですが平和的な力です。この軟弱な力でチャレンジできる。時には私が経験したみたいに無罪が勝ち取れる。大勢の人間がいる政府機関に対して六法と弁論とペンの力だけで無罪が勝ち取れるんだからこんな素晴らしいことないですよね。無罪が勝ち取れなかったとしても意義はあるんです。有罪の人間を弁護するのが刑事弁護人だからです。というようなことで刑事弁護には必ずやりがいがあるということになるわけです。

 

言いたいことばっかいっててもなかなかすすみませんので、今のが刑事弁護のスピリットみたいなものだと思ってください。こっからは刑事弁護の実際と銘打ってますので裁判員裁判じゃない刑事事件というのはどんなものなのか、捜査、公判とはどんなものなのかを残りの時間でやっていきたいと思います。まず弁護士が刑事事件と遭遇するきっかけはどんなものかというと、多いのは知り合い、元依頼者から紹介してもらった人です。居酒屋でほかの客といざこざになって、どっかの歌舞伎役者みたいですが、喧嘩になったと。で相手にけがをさせてしまって血がでたとかなって、警察を呼んだとします。警察が来て、だれがやったんや、お前かとなると警察署へ連れて行きます。そっから刑事事件がスタートします。友達が帰ってこなくなりましたってことから相談を受けて、どの辺でつかまったか、家族は誰かいないかなどの情報収集をする、これが日常的なスタートです。どの警察が逮捕してるかもわからないものなので、手当たりしだい管轄を調べて電話をしてその人がいるか確かめます。それで初めて接見に行くわけです。そのほかのルートとしては私選弁護士紹介制度というものもあります。逮捕されて勾留されるまで、これは48時間で、48時間警察で事情を聴かれたりいろいろあるのですが、この時間は非常に重要な黄金のタイムです。この時間内に警察とうまく話がついて、今後捜査に必要なら必ず出頭しますんでですとか、身元引受人を連れてきたりですとか、示談の成立を示したりできれば勾留されずに逮捕だけで終わるということもあります。48時間、これを実務的にはよんぱちと言ってますが、この間、特に逮捕されてすぐに弁護士を選任することができたらそれなりのことができます。事案によって、殺人事件ならどんな供述をしたらいいかとかいうことくらいしかできませんが、ちょっとしたいざこざ、万引きとかならこの48時間は重要なんで皆さんが捕まったらこの時間を無駄にしないで弁護士に頼むよう努力してくださいね。まぁ冗談ですが、なんでそうなるかというと勾留しなくても捜査というのは継続できますので、警察が出頭が確保できるなら出してもいいかと判断してくれれば出してもらえます。もしものシュミレーションとして皆さんが捕まって、「反省しています。もう二度としませんので帰してください。」なんて言っても、そんな簡単なもんじゃないんだよとか言われて、「明日検察庁に行くからな!」なんていわれたらもう絶望的ですね。検察庁に行ったら何が起きるか。検察官に事実について聞かれて、「これは事実なの?」「はいそうです。どうか穏便に。」なんていっても「じゃあこれから10日間勾留させてもらうからね。」といわれるわけです。そのうち裁判所に連れていかれて、勾留質問という手続きがあって「検察官からあなたを勾留するということでこういう事実がきてるんですけど、殴ったんですか。あなたの意見をきかせてください。」「はい、間違いありません。」「この殴った相手は知ってる人ですか。」「いや居酒屋でよく会う人で、友達の友達が知り合いだと聞いてます。」なんて感じになってこのとき裁判官が何を考えるかというと、やったのは間違いない。このまま出すと知り合いの知り合いを通じて口裏合わせをする危険あり、と考えます。で、「あなた仕事は?」「今司法試験浪人してまして無職です。」となると、逃亡の恐れありと裁判官の頭の中で描かれてしまい、勾留することになってしまいます。そしてもう一度警察のところに連れていかれて留置所というところで10日間過ごさなければならなくなります。この10日間というのは非常に厳しいです。まず素っ裸にされて身体検査されます。お尻の穴まで見られます。ここでまず人間の尊厳がプチっときれちゃいます。そんなとこ非常に親しい人にしか見せたことないですよね。男性ならおっさんに、女性なら女性警察官にチェックされます。そのうえで朝の9時から夜の9時くらいまで取り調べをえんえんと受けます。これが勾留です。耐えられますかみなさん?ちょっとの試験期間中でも逃げだしたくなるでしょう。それでも家ではのんびりしたりで息抜きできるじゃないですか。勾留は息抜きもなんにもありません。そんなとこに10日間もいたらそりゃくじけますよね。自白したくもなりたいですよね。ここが刑事弁護の山場の一つです。自分の依頼者が勾留されて毎日毎日取り調べを受けているとき、そこで弁護人はなにをすべきか。毎日接見に行って状況を聞いて毎日励ましてあげることですね。それをしないと何がまずいと言えば、この期間は捜査機関にとっては自分の手の届くところに被疑者がいるわけです。いつでも取り調べができます。そうこうしているうちに調書ができます。疲れ果ててボーとしているときにダーと読み聞かせられるんですね。ニュアンスは違いますがまぁそんな感じです、ということで署名してしまったらもうアウトです。だいたい自白調書になっています。違うと言ってもなかなか直してくれません。検察官に論争で勝てるはずがないですからね。任意性があって署名捺印のある調書は証拠として認定されてしまいます。法廷であれは違うんです、ニュアンスが微妙に変わってるということを言っても裁判所は信じてくれないです。裁判官としては供述が一貫しているということが信用の1つの要素だと思っています。なぜ捜査段階と今では言ってることが違うのか、捜査段階の方が記憶が新しいはずだ、調書を読んだか、というようなことを聞いてきます。署名しているので読んだと言えば、今は単に言い訳しているだけだということになってしまうのです。これが調書裁判の弊害です。検察官がとった調書は信用できると思ってしまうんです。まぁそうではないかもしれないということがわかったのが今回の事件なんですが、調書を取られる段階は弁護人にとって山場です。不利な調書を取られないようにすることが非常に重要です。ただ日本では弁護人の取り調べの立ち会いは認められていませんので完全なコントロールは難しいです。コントロールが難しい理由はお分かりかと思いますが、自分がどこで何をしてきたということを他人に説明することを考えてみてください。今日の講義のことをべったり90分間家族に説明できますか。全体無理です。それを刑事弁護人が被疑者から聞き出そうとしても何を聞かれたかについて完全に再現なんてできる訳がないです。そもそも取調室で緊張して長時間いろいろ聞かれるわけで、テープレコーダーじゃないんだから再現できるわけありません。そういう壊れたテープレコーダー、歪んだデジカメ、音を正確に再現できないスピーカーから聞くようなもんです。それで供述をコントロールしようというわけですから完璧は無理です。だから日弁連は取り調べの可視化をしてくれといってるわけです。取調べの状況を録画することに何の不都合があるかということです。適正に取り調べをして言った通りに調書にしているんなら不都合はないですよね。また向こうは予算がどうとかいうわけです。でも調書の信用性が否定されて捜査が不利になり、無罪になるという不効率なことするくらいなら何十時間ビデオを回すなんてたいしたことじゃないですよね。それなのに今のところ全面的にやろうとはしてないですね。なんでかはありありとわかりますけどね。見られたらまずいと思ってるんですよ。そんな風に勘繰りたくなります。調書がどんなふうにとられたかの立証活動なんて本当に不毛なんでぜひ取り調べの可視化をしてほしいですね。みなさんもし捕まったらどんなのことを聞かれたかを正確に覚えておいてちゃんと弁護士さんに説明できるようにしましょう。聞かれたことと言うのは捜査側が関心を持っている、関心を持っているということは何らかの知識があって、それは証拠を持っているということにつながる訳ですから、弁護士はそこから捜査機関がどんな証拠を持っているかを分析できます。弁護士はそれをもとに弁護方針を立てるので、非常に接見というのは重要です。ここで怖いのはテレビでもカツ丼でも食うか、というシーンがあるように、実際取り調べ中に休憩が入ります。雑談をするんです。「お前の母さんはいまどうしてるんだ?」だとか「俺のおふくろは…」などと捜査官が話してきます。雑談も1つの手です。コロッと言ったりもしますしね。捕まってる人はそうとはわからないんで、この人は親身になってやってくれてるんじゃないか、この人の言う通りにすれば早く出してくれるんじゃないかと思ってしまうことがあります。毎日会いますしね。弁護人も毎日接見に行っているわけですが、せいぜい1、2時間くらいです。取り調べの方が圧倒的に長いです。そうすると恐ろしいことに捕まっている人は警察の方にシンパシーを覚えてしまうこともあります。この心境はこわいです。捕まっている間は、ホームシックですとかまぁ精神状態はふつうじゃないんです。そこをうまく使っているという感じがします。依頼者が捜査機関側と仲良くなってしまってほんとのことなかなか言ってくれなくなることもあります。警察の方からお前の弁護士はオウムの弁護やっていたやつだとか、ヤクザの弁護ばかりしているやつだとかいわれると、だんだん弁護士のとこが信用できなくなるんですね。もともと弁護士とは他人だったわけですから。そういうことで、依頼者が捜査機関側にとり込まれるリスクもままあるということです。そしてテレビドラマと圧倒的に違うのは、弁護側は圧倒的に情報が少ないということです。弁護士の手元にある情報って何にもないですからね。もしそれが新聞報道になった事件だとすると一応情報はあります。しかし後は本人です。本人の話してくれる内容しか手掛かりはありません。捜査機関側は人を使ってバンバン情報を集めているのに、それと対抗しなくちゃいけないんです。非常に苦しいですね。捜査の段階はどうやってその段階をしのぐかですね。ポイントを獲得するのは難しいので失点をしないことが重要になります。勾留期間は原則は10日ですが延長ができたりで下手すると最大で逮捕もいれて23日間拘束される可能性があります。この期間は、依頼者が本当にやっていれば示談交渉などをして不起訴で終わらせてもらうようにするなど、臨機応変に対応していくというようなことでもあります。で、勾留というのは裁判所の決定でなされるわけですが、もしもこの決定が誤っていたという場合は不服の申し立てができます。準抗告という手続きです。レジュメにも書いていますので、条文や教科書を読んでいただきたいと思います。またやはり勾留というのはできるだけ早く解いてあげなければなりません。捕まった状態で取り調べを受けるというのと、社会のなかにいてうちの事務所で打ち合わせをしながら、呼ばれたら警察のところへ行くというのは全然違います。冷静になって考え直すこともできますし、自分でメモをとったりもできますしね。勾留を早く解くというのも弁護人の大切な役割の一つです。

 

捜査段階ではもうひとつ捜索押収というのが行われます。実務用語ではガサ入れってやつです。ガサとは「探す」という言葉の隠語らしいです。ガサは裁判所が発令した捜索差し押さえ令状を持って警察の人がある日突然来ます。どんなふうにくるかというと、だいたい過去の経験から言うと、家に来て逮捕と同時に捜索をするというやりかた、捜索だけを先行させるやりかたがあります。だいたい朝の7時くらいにピンポーンとチャイムが鳴ります。でてみると、警察のものですがと令状が見せられその間にダダダっと入ってきて捜索が始まります。捜索はタンス、机の中は全部出しますし、ソファもひっくり返して徹底的にやります。捜索差し押さえといってもなんでもかんでも差し押さえられる訳じゃなく、令状に書いてあるものしかだめなので本当は弁護士が立ち会えればよいのですが、何の予告もなくいきなり来ますのでそれはなかなか難しいです。僕も経験がありますが事後の対応になってしまって立ち会った経験はありません。アメリカのドラマなんか見ていると捜索差し押さえが始まるとすぐに弁護士に連絡がいってかけつけるというのが結構あって、なんであんなことができるのかという気がしますが、日本では難しいです。ドラマなんで脚色しているのかもしれないですけど。こんなのが捜索差し押さえです。

 

先ほども言いましたように、捜査段階で不起訴で終わればものすごくいいです。起訴するかしないかは検察官に権限があるのですが、彼は来年司法試験の受験を予定しているだとか、非常に反省している、親が監督を誓ってくれているとかこんなことを勘案して起訴猶予としてくれたり、あるいは嫌疑が不十分で不起訴にすることもあります。起訴されてしまいますと、勾留されていれば裁判中はずっと勾留されたままです。保釈請求をして認められない限りは外に出てこれません。保釈というのは、地獄の沙汰も金次第でして、お金を積まないと出してもらえないんです。ホリエモンなんかは億単位の保釈金でしたが、普通の覚せい剤使用の事件ですと今は150〜200万くらいです。後で返ってはきますがそう簡単には用意できないですね。なので起訴されないというのが重要です。弁護士としては、検察官と取引、といいますか交渉をよくします。検察官というのは起訴不起訴の決定に上司である部長の決裁が必要でそれが勾留期間満期の3日前辺りだったりするので、そのくらいの時に示談が成立したことを言いに行ったりして不起訴にしてもらう、ということもやっていきます。

 

残りの時間で公判の話をします。捜査段階の弁護活動が功を奏すると不起訴に終わりますので、そのときはめでたしめでたしなんですが、不幸にも起訴されて公判提起された場合は刑事裁判が始まりますので非常につらいですね。保釈が認められなければ大坂では大阪拘置所に移動になるのでずっと出てこれないままです。面会時間も1日1回15分しかない、そんなシチュエーションです。弁護士がどんな対応をするかというと、まず起訴された直後は起訴状しか手に入りませんので、被疑者のところに行って内容の確認など綿密な打ち合わせをします。で、検察官は証拠として裁判で使うものを事前に見せてくれます。ただこれは検察官が立証に使う証拠なので有罪の証拠しか見せてくれません。それだけ見ても有罪にしかならないから意味ないですよね。弁護側は何をするかというと、他にも重要な証拠が隠れてるんじゃないかということがわかるので、証書のこの部分が抜けてるからおかしい、こういう事件ではこの証拠があるはずだ、として検察官にこんな証拠も開示してくれよといったりします。裁判員裁判の場合は公判前整理手続きというのがあります。ここでは類型証拠開示と主張関連証拠開示というのがありまして、昔の証拠開示命令の判例よりもかなり広い範囲で証拠が開示されるようになりました。公判の雰囲気についてですが、皆さんは裁判の傍聴に行ったことがありますか。お1人ですか。どうでしたか。なるほどこんな人が犯人になるんかということですね。裁判員裁判ですと、絵に描きますとこのようになります。裁判員裁判は傍聴人も多く非常に大掛かりな感じがします。そうじゃない事件、例えば窃盗事件なんていうのは結構シーンとした雰囲気です。先ほども言ったように公判が始まるまでに弁護人は臨機応変に対応していかなければなりませんが、もう認めてできれば早く外に出たいということであればできるだけ早く裁判の日をいれてあげます。第1回の裁判日を決める際は裁判所から連絡がきて候補日の中から選ぶのが普通です。執行猶予がほぼ確実で急いで進めたい場合は1回だけで裁判をやってその次の週くらいに判決になるというのが一番いいです。即日釈放されますから。証拠などをじっくり吟味したいなどゆっくり進めたい場合は、そんなに急ぎません。レジュメにもありますが執行猶予前に悪いことをした人についてです。懲役1年6カ月として本当ならすぐに刑務所に行かなければなりませんが、情状があるので3年間執行を猶予してあげましょうとなった場合は3年間なにもなければ刑務所に行かなくて済むといういい制度ですね。執行猶予と言うのはある意味前の時に裁判所が寛大なことをしてくれたということです。その人がまた悪いことをしたときにどうなるかなんですけど、時系列で前の裁判があって3年間執行猶予期間がありましたと。悪いことをしたのがこのへんだとして、起訴されましたと。あと4カ月したら3年間の執行猶予期間が終わると。このシュチュエーションでどんなことが起こるかということですが、6ヶ月間あれば簡単な事件なら判決までいきます。そうすると、前の執行猶予期間中に悪いことをしてその判決がでます。すると前の執行猶予が取り消されます。つまり、前の1年6カ月分と今回のがプラスされるわけです。これは非常につらいですね。なので猶予期間がまだ2年あるとかならあきらめるんですが、残り6カ月くらいですと弁護士の腕の見せ所となります。延ばすんです。最初起訴されて1ヶ月後くらいに裁判入れませんか、と裁判所が言ってきてもちょっと他の事件等で差し支えましてということを言って先延ばし先延ばしするんです。2ヶ月後くらいにしてもらって、またその次の裁判についても延ばします。要は執行猶予期間を切りに行こうとするんです。でそのへんは裁判所もわかってますから、向こうから事案も事案なんでもっと先にしますかといってきたりします。この辺は裁判所もやさしいですね。なので、こういう事件の場合はゆっくりやっていきます。

 

裁判員裁判はそれなりに活発でみなさんも見てて勉強になるんじゃないかと思うんですが、裁判員裁判でない法廷はどうだったかというと、時間になると検察官と弁護人が出てきて被告人も腰縄手錠で出てきます。そして裁判官が出てきます。あなたの名前は?というように人定質問をして、検察官の起訴状朗読、それが終わると裁判官は被告に対して、「あなたには黙秘権というのがあって、ずっと黙っていることもできるし、ある質問については答えないということをしてもいいし、しゃべりたいことだけをしゃべってもいいです。ただあなたがここで発言したことはすべて証拠となって有利にもなるし不利にもなるのでそのことをよく理解したうえでお話ししてくださいね。」という権利告知をします。それについて、被告人が起訴状に対しての意見陳述をします。「すみません、その通りです。」だとか「まったくの無実です。」だとかです。続いて弁護人の意見陳述があります。これは争いのない事実なら「被告人の言う通りです。」と言ったり、「被告人は無罪です。この事実のはいづれも事実ではありません。」ということを言います。そのあと証拠調手続きに行くわけです。検察官がすべての立証責任を負っていますので、冒頭陳述と言うのでこいつがいかにわるいやつかというストーリーをダーとしゃべります。その後証拠請求をしますが、弁護人がすっと立ち上がって、「この事件は…」ということで弁護人の冒頭陳述が始まります。その後はレジュメのようにいろいろな尋問をしていきます。裁判員裁判はそこが非常に活発で、異議が出たりします。争いのない事件ではそのような華麗なテクニックの応酬というのはあまりありません。立証が全部終わると、検察官の論告求刑というのがあり、死刑を求刑します、などというようなことがあります。それに対して弁護人も「この被告人は無実です。この事件は誤解から始まりました…」などとか言って弁論するわけです。そんなことが終わって裁判所が審理をして判決となるわけです。

 

だいたい時間になりましたね。最後にですね、レジュメの最後の方に刑事司法の大改革ということに触れてますのでこれはこれで見といてください。で、刑事弁護にやりがいはあるかということですが、冒頭から申し上げてるように今後も刑事司法についてはいろんな衝撃があると思いますが、やはりやりがいはあると思います。刑事弁護でやって無駄だったと考えたことは一回もありません。つらかった事件はたくさんありますけどね。なのでやりがいはあると思います。皆さんの中で検察官になろうとする方がいらっしゃったら、ここで僕が弁護人としてどう思っているかについて包み隠さずお話ししたので、あの時あんな弁護士があんな話しをしていたということを頭の片隅に置いておいてですね、現に検察官になった時はフェアプレイで臨んでいただきたいと思います。次に法律家以外の人になろうという人は、報道とかを見てこの弁護士はおかしいなどとすぐに思うのではなく、報道の裏でこの弁護士はどう考えて行動してるのかを考えていただいて、他の人にそれを伝えていただけると国民の刑事司法に対する関心が高まると思います。そして弁護士になろうという人は、さっきから言っているようにやりがいはたくさんありますから、刑事弁護なんかやりたくないとなんか思わないでぜひチャレンジしていただきたいです。最後に裁判官になろうという方は、弁護士と言うのは非常に苦労しています。弁護士と言ったってただの民間人ですから。なので頑張ってるよなーという温かいまなざしで裁判に臨んでいただきたいと思います。以上で私の話を終わります。ご静聴どうもありがとうございました。