2010624日ロイヤリング講義

講師:野村 務 先生

文責:古川真理

 

報道と人権

報道による人権侵害の防止と救済

 

0.はじめに

 本日は「報道と人権 報道による人権侵害の防止と救済」をテーマに講義を行いたいと思います。

ここで私の略歴を簡単に紹介すると、私は大阪大学法学部を卒業後、企業に入社し、約七年で退社し、四年間司法試験の勉強をして、合格しました。弁護士になってから今年で35年になります。

 

1.報道の自由とマスメディアの使命

今日扱うテーマについて皆さんはこれまであまり興味を持ってこられなかったかもしれませんが、犯罪報道や事件報道がなされない日はありません。犯罪報道で実名が報道された被疑者は本人やその家族に至るまでが大きな影響を受けます。犯罪報道がなされることで、犯罪とは無関係の家族までもが世間から冷たい目で見られ、嫌がらせを受けることもあるのです。「家族が罪を犯した以上このような扱いをなされても仕方ない」と思う方もいるかもしれませんが、私たちはこうした立場には立っていません。なぜなら、日本では罪刑法定主義の下、罪を犯した人には適正な裁判の結果、刑罰が科せられるのに対し、犯罪報道はマスコミによる一種の私刑に該当すると考えられるからです。こうした考え方に基づき、当時共同通信の記者で、現在同志社大学教授の浅野健一さんが「原則匿名報道主義」(一般市民の犯罪に関しては原則として匿名で報道すべき)という考え方を提唱しました。日弁連もこの考え方を支持しています。ここで、資料@−1、@−2を参照してください。日弁連は1987年の第30回人権擁護大会において「人権と報道に関する宣言」を行い、その後の1999年にも「報道の在り方と報道被害の防止・救済に関する決議」を行い、マスメディアに対して、犯罪報道の改善を求めていく姿勢を明らかにしました。

 

2.犯罪報道、事件報道の実態

現在、多くのメディアは犯罪報道を実名で行っており、逮捕と同時に被疑者が犯人であるかのような犯人視報道を行っています。メディアは、犯罪報道において「誰が」という部分は犯罪の背景等を理解する上で不可欠な情報であると主張しています。しかし、私たちは、報道する場合に「誰が」の部分が匿名であったとしても、記者が事件の原因や背景を十分に調べ、裏付け調査を行った上で報道を行えば、事件の迫真に迫ることはできると考えています。

真に実名報道が必要なのは、政治家や高級公務員など社会的に重要な立場に立つ人の犯罪に関する報道であって、一般市民の犯罪においては必ずしも実名を報道すべきでないというのが私たちの考えです。

実名報道が許容されているのは国民の知る権利に奉仕しているからです。しかし、最近のメディアの報道は、興味本位に流され、個人の名誉や人権やプライバシーを不当に侵害する事例が多発しています。

事実を正確に伝えることが報道の使命でありますが、報道がなされる側への配慮がなされてしかるべきです。被害者についても同様に、事件報道において当然のように被害者の実名報道がなされることによって、被害者が不利益を被る場合があります。ここで、資料Aを参照してください。2001年に起きた歌舞伎町火災事故においては、いわゆるキャバクラにおいて被害に遭った被害者の実名を報道することによって、その家族が非常に大きなダメージを受けるということがありました。これまでは、「被害者は実名報道がなされて当然」といった考え方がありましたが、この歌舞伎町火災事故においては新聞社ごとに店の業務形態や実名か匿名化の表記にばらつきがあり、被害者の実名報道の是非が大いに問題になりました。

 

3.スウェーデンにおける自主規制システム

報道における人権救済のシステムが最も進んでいるのはスウェーデンです。スウェーデンは日本に比べ人口が約1000万人と少なく、新聞の発行部数も少ないことからプレスオンブズマンやプレスカウンシルといった制度がうまく機能しているという側面もあるのですが、日本でも日弁連や新聞労連もこうした制度の導入を訴えています。しかし、日本ではこうした制度は、現在ではまだ実現されていません。

スウェーデンにおける制度の流れは資料B−1、B−2に記載してある通りです。報道によって人権が侵害されたと思う人はプレスオンブズマンに申し立てを行うことができます。年間400件程度の申し立てがあります。プレスオンブズマンが内容を審査し、人権侵害疑いありと認めた場合は本格的な調査に入ります。人権侵害の疑いがないと判断された場合は申立てが却下されることとなります。申立てが理由なしとして却下された場合や、侵害なしとして不処分となった場合でもプレスカウンシルに申立てを行うことができます。年間5060件程度がプレスカウンシルで審査されることとなります。このプレスカウンシルは6人の委員会が2グループあり、議長・副議長は最高裁判事で、市民代表委員4人、メディア選出委員6人によって構成され、運営されています。

 

4.日本における自主規制システム設立の動き

日本でも上記のスウェーデンのような制度を設けるべきであると日弁連や新聞労連が提言をしているのですが、現在のところ活字メディアにおいては実現されていません。

一方、放送メディアに関しては、資料D−1、D−2にあるように、民放連とNHK19695月に設置した「放送番組向上協議会」と、19975月に設置した放送と人権等委員会機構「BRO」との統合を経て、現在では放送倫理・番組向上機構(BPO)が活動を行っています。放送によって人権が侵害されたと判断した人はBPOに申し入れを行うことができます。

しかし、侵害をされた人が即座にBPOに申し出をすることができないという問題があります。まず問題となる報道をした放送局に申し入れを行ってからでないとBPOに申し入れを行うことはできないのです。BPOは、審理の結果人権侵害が認められる場合は放送を行った放送会社に対し、訂正放送や謝罪を行うべきという判断を下すことができます。

放送に関してはこうした機関を設け、報道に対する姿勢を改善しようとしていますが、メディアの本質はあまり変わっていないというのが我々の認識です。

 

5.近時の報道の自由に対する法規制の動き

報道の自由に対する法規制に向けた大きな動きというのは10数年前からあります。19998月には自民党政調会の検討会が「メディアによる自主規制が進まないなら、立法府の責任において法的根拠のある第三者機関を設置して、報道による人権侵害を防ぐ必要がある」と述べ、20013月には「個人情報の保護に関する法律案」、20023月には「人権擁護法案」が国会に提出されましたがいずれも不成立に終わりました。この背景には、この二つの法律は非常に聞こえのいい名前になっていますが、実際には個人情報の保護や人権擁護の名の下に自由な報道を規制するものであったため、報道各社や日弁連が強く反対運動を行ったことがあります。こうした反対を受けて、20035月にはメディア関係を規制対象から除外する形で個人情報保護関連5法案が成立しました。

しかし、マスメディアは自らが規制対象から除外されているのをいいことに実名報道等をますます過熱させています。こうした現状は知る権利への奉仕の名のもとに、国民の人権やプライバシーを侵害するものです。メディアに与えられた使命は公権力の監視と批判であり、市民の人権擁護にあるのですから、興味本位の実名報道を行うべきではありません。

 勿論、メディアの対応には改善されている部分もあります。約15年前までは被疑者の呼び捨て報道が当然のように行われてきましたが、現在では「○○容疑者」のような形で報道されています。また、被疑者の顔写真や、連行の様子などが写真・映像などで報道されることも以前に比べて少なくなりました。こうした点は評価すべきところでありますが、本質的な実名報道の姿勢というのは変わっていないと私たちは考えています。そこで、私たちは絶えず報道を批判し監視していくことで、メディアに本来の使命である公権力の監視及び市民の人権擁護を達成させることが必要であるのです。

 その一方で、最近では個人情報保護の名の下に、公表されてしかるべき情報までもが公表されないという傾向がマスメディア以外にも広がってきています。最近では特に少年事件における実名報道の可否判断など、警察による情報管理も厳しくなってきています。しかし、実名か匿名かといった報道態様を警察が決定するのは妥当ではなく、メディアはあくまで実名を知り、取材をした上で、取材を行ったメディア自身がその良識に基づき実名報道するか否かを判断すべきであると思います。その際に、実名報道がなされず、匿名のままであっても、十分な取材がなされていれば事件の事実関係や原因、背景を把握することは十分に可能であり、メディアはそうした報道を目指すべきであると思います。こうしたメディアの報道に対する姿勢を監視することは私たち国民・市民の責務であり、私たちはこれからもメディアを監視し、見守っていかなければなりません。

 

6.裁判員制度と取材・報道

 昨年から始まっている裁判員制度は報道の自由との関係で種々の問題があります。その中の一つに、メディアの報道が裁判員制度によって規制されてしまうのではないかという問題があります。

裁判員制度を受けて日本民間放送連盟が示したスタンスは資料C−1に記された以下の内容です。

(1)事件報道にあたっては、被疑者。被告人の主張に耳を傾ける。

(2)一方的に社会的制裁を加えるような報道は避ける。

(3)事件の本質や背景を理解する上で欠かせないと判断される情報を報じる際には、当事者の名誉・プライバシーを尊重する。

(4)多様な意見を考慮し、多角的な報道を心掛ける。

(5)予断を排し、その時々の事実をありのまま伝え、情報源秘匿の原則に反しない範囲で、情報の発信元を明らかにする。また、未確認の情報はその旨を明示する。

(6)裁判員については、裁判員法の趣旨を踏まえて、取材・報道にあたる。検討すべき課題が生じた場合は裁判所と十分に協議する。

(7)国民が刑事裁判への理解を深めるために、刑事手続きの原則について報道することに努める。

(8)公正で開かれた裁判であるかどうかの視点を常に意識、取材・報道にあたる。

こうした内容自体は素晴らしいものですが、実際に十分にこうしたスタンスに沿った報道がなされているか否かを我々は今後も検証していかなければなりません。

また、裁判員制度を受けて日本新聞協会が示したスタンスが資料C−2です。

刑事司法の目的のひとつは事案の真相を明らかにすることにあり、この点において事件報道が目指すところと一致する。しかしながら、事件報道の目的・意義はそれにとどまるものではない。事件報道には、犯罪の背景を掘り下げ、社会の不安を解消したり危険情報を社会ですみやかに共有して再発防止策を探ったりすることと併せ、捜査当局や裁判手続きをチェックするという使命がある。被疑事実に関する認否、供述等によって明らかになる事件の経緯や動機、被疑者のプロフィール、識者の分析などは、こうした事件報道の目的を果たすうえで重要な要素を成している。

一方で、被疑者を犯人と決め付けるような報道は、将来の裁判員である国民に過度の予断を与える恐れがあるとの指摘もある。これまでも我々は、被疑者の権利を不当に侵害しない等の観点から、いわゆる犯人視報道をしないように心掛けてきたが、裁判員制度が始まるのを機に、改めて取材・報道の在り方について協議を重ね、以下の事項を確認した。

・捜査段階の供述の報道にあたっては、供述とは、多くの場合、その一部が捜査当局や弁護士等を通じて間接的に伝えられるものであり、情報提供者の立場によって力点の置き方やニュアンスが異なること、時を追って変遷する例があることなどを念頭に、内容のすべてがそのまま真実であるとの印象を読者・視聴者に与えることのないよう記事の書き方等に十分配慮する。

・被疑者の対人関係や成育歴等のプロフィールは、当該事件の本質や背景を理解するうえで必要な範囲内で報じる。前科・前歴については、これまで同様、慎重に取り扱う。

・事件に関する識者のコメントや分析は、被疑者が犯人であるとの印象を読者・視聴者に植え付けることのないよう十分留意する。 」

こちらも内容自体は素晴らしいもので、このような犯罪報道であってほしいと思いますが、この中に記載されているメディアがこれまでに心掛けてきたと述べている部分は、私たちから見れば非常に不十分なものであり、これまでの犯罪報道が到底このような報道指針に沿うよう心掛けてきたとは思えません。こうしたメディアの言う「これまでの心掛け」が今後、より一層徹底されて行くかどうかという点や、実際の報道内容がこうした取材・報道指針に沿ったものであるか否かは、やはり我々が今後十分に注視していかなければなりません。

裁判員制度はアメリカの陪審員制とも異なり、ヨーロッパの参審制とも異なり、日本で始まったばかりの制度であり、現在のところ報道に関する問題が表ざたになったことはありません。しかし、裁判員制度は今後も継続されるものであるので、このままうまく定着するか、あるいは頓挫してしまうのかという点は、メディアの報道にかかっていると言っても過言ではありません。たとえば、メディアが特定の裁判員の評議における具体的発言を報道したような場合には大きな問題になると考えられます。そこで、やはり私たち市民が裁判員制度の行方と、報道の在り方を根気強く注視していく必要があると考えています。

7.質問または意見

Q.大きな事件に際してメディアが結ぶ報道協定の是非についてどのようにお考えですか。

A.私たちとしては報道協定が必ずしも良いものであるとは思っていませんが、被疑者やその家族、被害者やその家族を守るために報道協定がなされることには一定の意味はあると思います。しかし、報道協定の場合は民放連や新聞教会に加盟している会社を拘束しますが、加盟していない団体、組織は拘束されないこととなり、そういった点で問題があると考えています。

Q.アメリカでは報道による人権侵害に対して損害賠償が請求されることが往々にしてありますが、日本における報道による人権侵害に対して損害賠償の請求の重要性をどのようにお考えですか。

A.私たちとしても損害賠償の重要性は感じています。日本において認められる損害賠償の額は今まではかなり低いものでしたが、5年前頃からは報道による人権侵害に対して認められる慰謝料の額は数百万円とかなり大きくなってきており、この点については評価すべきだと思っています。しかし、アメリカのような懲罰的に数千万円、数億円というあまりにも高額の賠償額を認めてしまうと、報道が委縮し報道されるべきことまで報道されなくなってしまう恐れがあるので、報道の自由と個人の人権の尊重とのバランスは考慮しなければならないと思っています。

 

以上