2010年5月13日ロイヤリング講義

講師:小西敏雄 先生

文責:古川真理

事件を通じて学ぶ法律理論

 

初めに

私は50年前に大阪大学を卒業し、現在は中之島で弁護士をしています。

皆さんは三回生ということで、民事訴訟法を学習し始めたところかと思いますが、本日の講義を通じて難解な民事訴訟法の理論の理解の一助となればと思います。

本日扱う事件は非常に有名な事件なのですが、民事訴訟法の大家である新堂先生の「民事訴訟法」の中でも本日扱う事件の判決が引用されています。最高裁においては、「争点効(当事者が争点として争った事項については一旦その判決が出た後はその判決に従うとする効力)」は認められていないのですが、新堂先生は争点効を認めるべきだと主張されています。

 

1 民事訴訟法において「訴訟物理論」「既判力」「争点効」は重要な理論です。

 「訴訟物」とは、当事者が裁判所で判決を求める事項であり、訴訟の対象となっているものです。訴訟物は原告が裁判所に提出する訴状に記載する請求の趣旨及び原因によって特定されます。本日扱う事件では「家明渡請求権」が訴訟物に該当します。なお、本日扱う事件の場合、所有権確認請求権、明け渡し請求権、登記抹消請求権が問題となり、いずれも訴訟物になりえますが、いずれを訴訟物として提起するかということは当事者が自由に選ぶことができ、第1の訴訟では「明け渡し請求権」が訴訟物となりました。

本日扱う事件では昭和3591日に売買契約がなされ、翌日には登記を完了しています。しかし、Tが家を出なかったため、MがTに対し家明渡訴訟を提起しました。一方、Tの立場に立てば、売買契約に至る経過においてTは、Mから「売買代金270万でアパートを建設することができるから、今後の面倒をみる」と言われたため、土地を売ることを決意しましたが、契約後Mは一切協力をしなくなったので、TはMの行為を詐欺であるとして登記抹消訴訟を起こしました。Mからなされた申込みに対するTの承諾が取り消された時は、売買契約は無効となり、所有権は元の所有者であるTのところに返ってくることになります。さらに、登記がMに移っていた場合には、Tに戻すよう登記抹消請求権も発生することとなるのです。このように各請求権毎に裁判を求め、また裁判がなされるというのが旧訴訟物理論です。通説、判例となっています。

訴訟の経過においては、MがTに対して起こした家明渡訴訟は神戸地裁で認められ、高裁、最高裁においてもMの主張が認められ、Tが主張するMの詐欺は認められないこととなりました。その一方で、TがMに対して起こした登記抹消請求は神戸地裁でこそ認められなかったものの、高裁、最高裁ではTの主張するMの詐欺が認められ、T勝訴となりました。このように同じ事案に関する二つの矛盾した判決がどのように処理されるのかということが非常に大きな問題となりました。

ここで先ほども述べた争点効は既判力と異なり、「当事者が争点として争い、裁判所が審理して下した争点についての理由中の判断の通用力」と説明されています。しかし、最高裁は争点効を認めていません。

 

2 三回最高裁で審理され判決がなされた尼崎事件

 昭和44年6月24日登記抹消事件についてなされた最高裁判決は、それ以前に確定している昭和43年4月23日の最高裁判決と矛盾するものであり、相手方代理人もその点を指摘しました。しかし、最高裁は、訴訟物は請求権ごとに発生するのであり、登記抹消請求権と家明渡請求権を訴訟物とする各訴訟において結論が変わっても訴訟物理論には反しないとしており、現在もこの考え方に基づき争点効を認めていません。新堂教授はこの最高裁判決を痛烈に批判しています。

 

3 自宅を取り戻すための26年間の争い

 Tは騙され、家を追い出された形となっており、なんとかして家を取り戻すべく26年間に渡って争いました。この売買契約に至る過程において、MはTに対しアパートの建設が可能である旨を再三伝えた上で、売買契約を締結するよう求めていました。しかしMは契約締結後には自身はアパート建設の協力をする約束はしていないと主張し始めました。その結果、両者はそれぞれの主張に基づき三つの訴訟を提起しました。一つ目はTからMに対して起こされた登記抹消訴訟です。二つ目はMからTに対して起こされた家明渡訴訟です。三つ目は、MからTに対してなされた登記抹消請求権や家明渡請求権の発生の元ともいうべき、所有権の確認訴訟です。その後、Mは子や孫に登記を移すという措置をとりました。そこでTは4つ目の訴訟としてMの子や孫に対して登記抹消、明渡、確認訴訟を提起しました。

こうした4つの訴訟を提起することができるのは、裁判所が旧訴訟物理論に立つためでありますが、これに対し、三ヶ月教授や新堂教授は新訴訟物理論を唱えています。新訴訟物理論に立てば、一つの訴訟で決着がつくのです。しかし実際にはこの考え方は採用されていません。やはり、新訴訟物理論のように、あまりに争点が広範囲に渡る訴訟となると当事者が混乱してしまい、適切に対応できなくなってしまいます。やはり実体法上の請求権毎に分けて、それぞれについて裁判、判決をするほうが、当事者自身が対応がしやすいということもあって、裁判所は新訴訟物理論を採用していないのではないかと思います。

私が26年にも及ぶこの尼崎事件についての研究をすることができたのは、最後の4つ目の訴訟に携わったからです。このMの子や孫に対する4つ目の訴訟においても、Tは一審の神戸地裁では敗訴してしまいました。しかし、大阪高裁においては、Mが子や孫に移した登記を抹消し、Tへ登記を戻すべきとして逆転勝訴となりました。その後、Mは上告しなかったため、当該大阪高裁での判決が確定しました。

そして、Tは確定判決に基づき、登記抹消手続きを完了しました。また、Tは自らの家を追い出されていたので、Mの子や孫に対して家の明け渡しを求めましたが、ここで注意すべきはMに対しては明渡を請求できないという点です。これはなぜでしょうか。これは上記4つの訴訟の内、2つ目の家明渡訴訟でMが勝訴とする判決が確定しており、既判力が働くからです。

明け渡しの執行に際しては、2回目の執行によってようやくTは家を取り戻すことができました。その後、Tは訴訟費用等を賄うべく家を売却しなければならなくなりましたが、丁度バブル期だったということもあり、昭和35年に土地建物を売った価格である270万よりもはるかに高い価格で家を売却することができました。

さて、本事件の執行に際して、Mが自らは過去の裁判で勝訴していることを理由に一人家に残って退去せずに頑張ったらどうなっていたでしょうか。皆さんもご存じの通り、既判力が働くため、TがMに対して家明渡訴訟を再度提起することはできません。ではTはMに対していかなる訴訟も提起できないのでしょうか。ここで可能と考えられるのはTからMに対する不当利得返還請求です。なぜならTが所有権を有する建物にMが住んでいることから、TはMに対し家を貸しているに等しい状況が発生しているにもかかわらず、MはTに対し、賃料に該当するような金銭を支払っていないからです。実際はMが任意で退去したので円満解決となりました。

 

4 錯誤、詐欺の主張と2つの高裁判決の事実認定

本事件において結論の異なる二つの判決が出た理由は、錯誤、詐欺の認定が異なったことが最大の原因です。民法95条では、法律行為の要素に錯誤が無ければならない旨が定められています。本事件の売買契約においてはTの法律行為には錯誤があるとはいえず、要素の錯誤の主張は難しいと考えられます。しかし、錯誤には「動機の錯誤」というものがあります。これは本事件においては売買契約に至る経過に錯誤があれば、相手方に表示がなされている限りにおいて、錯誤が認められるというものです。本事件においては表示の有無が難しい点ではありましたが、動機の錯誤が認められませんでした。一方、詐欺はMがアパートを建てることができると述べ、Tを騙したとして認められました。

新堂教授は昭和42年と昭和43年の二つの高裁判決の事実認定を比較して、「事件が詐欺の法律要件に当てはまるかどうかの法的判断に差異があった」と述べられていますが、二つの高裁判決の事実認定を比較すると、二つの高裁判決の差異は裁判官の証人の証言の見方、とらえ方、理解力、洞察力の相違によるものであり、昭和43年の高裁判決においては契約成立後の経緯も踏まえた上でMの詐欺を認めています。このように、法曹の実務においては事実をどのように理解し、構成するかということが重要になりますので、種々の人生経験をすることが必要になると思います。

 

5 錯誤の主張が認められるのは、どのような場合か?

 錯誤が認められた判例というのは意外にも少ないのが現状です。

@のケース:売買の対象である馬自体を錯誤していたということから要素の錯誤に該当すると認められています。

Aのケース:売買の目的物には錯誤はないが、買主が国でないのに国が買うものと思って売った点に錯誤があったとして要素の錯誤が認められました。

Bのケース:山林という取引の対象自体には錯誤はないが、山林の価値と密接に関係する道路の存在につき錯誤があったことから、要素の錯誤が認められました。

Cのケース:@の事例と同様に売買の対象である油絵そのものに錯誤があるとして、要素の錯誤が認められました。

Dのケース:この場合は要素の錯誤に当たるでしょうか。この場合は動機の錯誤に該当します。というのは、「自分には税金はかからないから、贈与しよう」というのは動機の部分に錯誤があると考えられ、それを黙示的に表示しているので、動機の錯誤として認められるのです。

Eのケース:債務者が銀行から40万円を借り入れるにつき、他にAも連帯保証人なってくれると言ったので、これを信じて自らも連帯保証人となったところ、Aは実は連帯保証人ではなかったというケースではどうなるのでしょうか。この場合、保証契約の要素に錯誤はありません。「Aが連帯保証人になるから、自らも連帯保証人になる」というのは、動機の部分に錯誤があるのであり、当該事実を表示していなかった場合は、錯誤が認められないこととなります。

 

6 認知症患者における「意思能力」の認定

高齢者の増加により認知症患者の方も増加傾向にありますが、そうした方の病気の進行の程度により、後見人や補助者を選任していれば問題はないのですが、そうでない場合は認知症患者本人がどういった行為まで行うことができるのかが問題となります。

95歳の認知症患者の女性が生活費を得るために預金の払い戻しを求めたところ、銀行から本人に理解力が無いとして預金の払い戻しを拒絶されてしまいました。そこで、女性は弁護士に依頼し訴えを提起したところ、福岡地裁は職権で本人尋問をしました。その際に女性は「本件預金については知らない、委任した弁護士の名前を知らない」と供述したので、訴訟能力が無いとして、訴えは却下となってしましました。

この事案と似たようなことが私の身近でもありました。私の遠い親せきの資産家の老女に悪徳な不動産業者が近づき、巧妙な手口で自らの私腹を肥やしているという事件がありました。その事件においては、やはり高齢ということもあって、老女本人が私に委任をしたという事実を忘れてしまい、困ってしまったことがありました。

話を戻しますと、先の事件では、一審では訴えは却下されてしまいましたが、控訴審において、本人の診断書等が提出され、その結果、訴訟委任能力もあり、有効であるとして銀行に800万円の支払いが命じられました。

結局、地裁と高裁で結論が変わったわけですが、本事案では証拠の点でも差異があります。とういうのも、地裁では診断書が提出されていませんでしたが、高裁では老女は軽度の認知症である旨の診断書が提出されました。その結果「自己の預金の返還を求めることは日常的な単純なもの」として支払いが命じられることとなったのですが、この判決は妥当なものであると思います。

最近扱った事例では以下のようなものがありました。

依頼者の男性は会社の副社長をしていたところ、脳出血で2回倒れ、入院治療中、中程度の認知症となりましたが、勤めていた会社の資金の借り入れのため、社長とともに副社長である依頼者が連帯保証人になる必要が生じました。このとき、依頼者は施設に入所していたため、依頼者の妻が2人目の連帯保証人として夫に代わって署名捺印しました。その後、債務者である会社が倒産してしまい、保証協会が連帯保証人である依頼者に支払いを請求してきました。さて、ここでまず打つべき手はなんでしょうか。ここでは副社長が中程度の認知症であったことがポイントになります。つまり、副社長自身は委任に際して必要とされる高度の判断力が無いということで、弁護士である私に代理人を委任することができないのです。そこで本事案では成年後見制度を利用し、奥さんが後見人となり、私は副社長の後見人である奥さんからの委任という形で代理人となりました。そして、本事案で主張することのできる抗弁は、@本人が保証契約を結んでいない旨の主張、A本人に意思能力がない旨の主張です。そして、この抗弁が認められるか否かによって判決が変わってきますが、本事件では裁判所からの強い求めにより、和解をすることとなりました。

以上