2009年10月22日ロイヤリング講義

講師: 大川 治  先生

                               文責 角穴 雄祐

刑事弁護の実務

 

今日は、弁護士の仕事の中で、刑事裁判、刑事弁護について話したいと思います。配布物としてはレジュメと参考資料があり、資料の中には実際の裁判に使ったものに一部修正を加えて付けています。資料を見ると作成日は平成13年となっていますが、これは私が初めてロイヤリングを担当したのがこの年だからです。今年で9回目になります。

自己紹介ですけど、私も阪大生でして、弁護士になって14年目です。大阪市内の堂島法律事務所というところで何人かの弁護士と一緒にやっています。阪大には昭和63年に入って、平成に移り変わった時代は大学2年生でした。

今日は刑事弁護の話をしようということで、毎年レジュメは使いまわしているのですが、今年は必要性があると思い、レジュメに0番を付け加えました。刑事弁護が社会にどのようなインパクトを与えているかというのを皆さんに知っていただくためにこの0番というものを付けました。「二つの衝撃!」と書いているんですけど、いろんな衝撃があった中で、この2つは非常にインパクトの強いものです。1つは、最近の裁判ですけれども、足利事件という事件です。この足利事件というのはですね、かれこれ19年ほど前の1990年、栃木県の足利という所で女の子が殺されたんですね。その事件で、1年半ぐらい調査をして、ある人が犯人だということで捕まえて、その人が自白をしたんですね。自分がやったということを認めた。その自白に行くまでにDNA鑑定というものをしたんです。DNA。皆さんお勉強されたかもしれませんけれども、細胞の細胞膜の中にあって、染色体というものに遺伝情報を格納しているのがDNAなんですけれども、このDNAの中で、人によってすごく多様な型をしているものがあって、その型を調べることによって特定の人間をある程度まで絞ることができる。こういう科学があるんですね。そのDNA鑑定が捜査に応用され始めた頃の事件ですね。そしてそのDNA鑑定をした結果、菅家さんのDNAと、その亡くなった女の子の衣服に付いていた体液のDNAの型が一致したということで、この人を追求したわけですね。そして、その結果自白したんですね。自白して、起訴されて、裁判で罪状認否(やったかやってないか)を聞かれ、菅家さんは「私はやりました」と言い、弁護士も「今被告が証言した通りです。」と言って、殺人を行ったことには争いがありませんでした。しかし、DNA鑑定の信用性については争いになりました。一審では、途中から自白を撤回したものの、認められず、有罪となりました。控訴審では非常に有能な弁護士が付きまして、この人は本当は無罪だということを主張していました。最高裁までいって、このDNA鑑定は間違っているという、それらしき証拠が出てきたんですね。それは弁護人が苦労してDNA鑑定をやりなおした。で、そういう証拠もあって、最高裁も、裁判官の下に調査官という人がいるんですが、最高裁の審理の下調べ調査というのはすべてこの調査官がするんですね。そしてその調査官に直接弁護士の佐藤先生が会い、「こういう証拠がある。型が違っている。だから少なくとも再鑑定してください。」と言ったのですが、聞きいれられることなく有罪の判決を受けたんですね。日本は三審制ですから、一審、二審、三審で有罪になってしまうと確定してしまうんですね。それで菅家さんは服役することになりました。このDNA鑑定に関して、最高裁の判例になっているんですね。刑事訴訟法の判例百選を見るとわかるように、この足利事件の最高裁の判旨というのは判例になっているんですね。DNA鑑定が信用できる科学的捜査手法であると認めた最初の判例です。足利事件は。まことに皮肉なんですね。で、その後どうなったか。菅家さんはあきらめず、再審請求をしました。地裁では認められなかったものの、東京高裁がDNA再鑑定を行いました。1990年のDNA鑑定に比べ、今のDNA鑑定ははるかに精度が高くなっているんですね。そして検察側から出てきた鑑定人、弁護側から出てきた鑑定人、2つ鑑定したんですね。そしてその2つとも菅家さんとこの服についていた体液とはDNA型が一致しないという結論を出した。前代未聞です。DNA鑑定というのは科学的証拠の最たるものとされていて、それが一致すれば絶対に有罪だと。逆に言えば、一致しなかったら絶対に犯人じゃないわけですから。無罪の決定的な証拠になるわけです。この事件は私にとって非常に衝撃的でした。僕が弁護士になったのは1996年で、ちょうどこの事件の1審〜2審の頃でした。最高裁決定で敗れた時も佐藤先生と知り合いだったので非常に残念でした。その事件が、今こうして冤罪だということがわかって非常に感動を覚えています。まあまだ裁判の結果は出ていませんけれども、ほぼ100%間違いない。「自分がやった」と自白があった。皆さん思うでしょう。「悪いことをしていないのに自白なんてしない。」自分たちも考えてみてください。誰か疑いをかけられて、やっていないと思っていたら否定するでしょう。だから自白をするということはやったという証拠だと思われているんです。しかし菅家さんは自白をしたけれど、DNA型鑑定の結果、犯人ではなかったんです。日本の場合自白が非常に重要視されて、それがあればほとんど有罪だっていうような、そんな流れだったことがあります。このことについて我々弁護士は問題視し、色んな主張をしてきたんですけれども、なかなか受け入れられない。しかし今回の裁判で、絶対大丈夫だと思っていた科学証拠が、証拠として不完全だった。判例百選にも載っていて、今後どう対応するかが見ものなんですが、それが信用性を失った。しかも自白のあった事件で、冤罪だということがはっきりした。という意味で非常に衝撃的でした。足利事件というのはこれからもどんどん新聞などで報道されていきます。ぜひ注目してみてください。

もう一つは裁判員裁判です。今年の5月から始まって、第一の事件、第二の事件があって、日本中で今裁判員裁判が行われています。この裁判員裁判というのは、要は、素人の人たちですね。今までは裁判というのはすべて専門家によって行われていました。法律の専門家だと自負している人たちが運営する裁判で、被告人は普通素人ですね。その専門家だけで行われてきた裁判、ここに普通の人たちが裁判員として加わる。色々な批判はあるものの、今のところは順調な滑り出しをしているなというのが僕の感想です。この裁判員裁判は日本の刑事裁判を大きく変えていく可能性がある。で、その裁判員裁判が始まった時に皆さんは20代で、これからまだまだ将来がある。つまり、裁判員裁判と歩みが同じなんですね。皆さんの目で、裁判員裁判がどう運営されていくのか、それをぜひ見ていただきたい。そして、裁判員裁判の下で足利事件は殺人事件ですから、必ず裁判員裁判にかけられていく。その中で第2、第3の足利事件が起こるやもしれません。これらを伝えるために、0番を追加しました。

それではレジュメに従って、刑事弁護はなぜ必要か?という話を説明していきます。

弁護士をやっていると、なぜあんな悪い人を弁護するのかということをよく言われます。あんな弁護をして良心が痛まないのかと。一方で、無罪が続出しています。鹿児島の志布志事件、これは選挙違反の事件で、おじいちゃんおばあちゃんがたくさん捕まったが全員無罪になりました。もう1つ痛ましい事件はですね、富山県の氷見市という所で起きたんですけれども、強姦罪で捕まって、弁護士が付いていたけれど、この人も自白した。で、有罪となって、服役した。服役した後で、真犯人が見つかった。そして、再審で無罪。これが富山県の氷見市の事件ですね。これもまあ、足利事件ほどではないんですが、起きた時は僕にとって衝撃的でしたね。後は九州の方で北方事件という事件もありまして、いくつか無罪が出ている。だいぶ状況が変わって来ています。私がロイヤリングを始めたのは7〜8年前ですが、そのころ言っていたのは、刑事弁護は非常につらいということです。勝ち目がない。そういう話をしていて、勝ち目がないのにどうして刑事弁護をするのかということを話していました。ところがここ数年無罪が非常に増えてきた。勝ち目がないということもないんです。そういう現状で、刑事弁護はなぜ必要かということです。

今日の僕の姿は、普通のサラリーマンと変わりません。最近は弁護士も増えて、黄色いバッジを付けている人がいます。ひまわりの花のように見えるのでひまわりバッジと言うんですけれども、それを付けている人を電車の中や街中でも見るようになりました。今日は付けておらず、授業中に付けるというパフォーマンスをしようと思いましたが付け忘れてきました。私は普段はつけていません。法廷に行く時、警察に行く時などはバッジを付けていくんですけれども、そうでない時はあまり付けていない。付けている先生方もおられるんですけど、今日講義でパフォーマンスのために使おうと思っていたのに忘れるぐらいですから、バッジというのはその程度のものです。なぜしていないかと言うと、今の弁護士の仕事は様々で、裁判所に行ったり警察に行ったりするだけではないんです。弁護士の仕事は、法学部の皆さんが勉強されている民法を扱う民事事件、家事事件、独占禁止法の関係する分野だとか、あるいは知財。色々なことをやっています。その色々のことをやる時は普通のお客さんと会うわけですから、別にバッジを付ける必要がない。そういうことでバッジを付けずに仕事をすることが非常に多いですね。今日も朝から別の仕事をしてきましたが、バッジは付けていません。で、そのたくさんの仕事の中で刑事事件はその一つになってくるんですね。刑事弁護をする時は「弁護」人という名称で活動します。民事事件では民事訴訟法を勉強されている方はご存じだと思いますけど、「代理人」という名称になります。刑事事件の弁護人は、刑事訴訟法上、「弁護」人と呼ばれます。そうすると、弁護士というと、やっぱり刑事事件を担当しなければいけないのではないかというような気がしますが、実際は、大半が他の仕事をしています。私もそうで、7〜8年前は刑事弁護もたくさんやっていたんですけれど、今は2件程度です。もっとも、その2件は無罪を争っている事件なので、それなりにボリュームはありますけれども。多い時には10件程度持っていました。全然刑事弁護をしないという弁護士さんもたくさんおられます。なぜやりたくないか。やれるんだけど、やっておられない。テレビドラマでは弁護士は1つの事件だけを扱っているように描かれています。しかし、実際はそれではやっていけません。1件の刑事事件だけにそんなに集中できない。そして、刑事弁護をやっているとすごく批判されるんですね。

橋下という人がいます。彼は現在大阪府知事で、元々は弁護士です。私の一期下なので弁護士だったころも知っています。TVに出るようになってから羽ばたいて今は府知事になっています。彼は広島の光市の母子殺害事件で、弁護団の弁護士に対し懲戒請求しろとテレビで呼びかけた。まあその件で彼は裁判で負けていますけれど、それはさておき、弁護士が身内から刑事弁護のやり方についてあんな批判を受けています。

遡って行くと、オウム真理教の事件という事件がありました。皆さんまだ小さかったでしょうね。ある宗教に属している信者が、東京の各地でテロ事件を起こした。多くの人が亡くなりましたので、非常に悲劇的な出来事でしたから、オウム真理教の犯人を弁護するのはすごく難しい。オウム真理教の犯人を弁護したというのを聞いて、企業から、「オウム真理教の弁護をされる先生とは取り引きできません。」と言われたり、剃刀の入った封筒が送られてきたりと、すごく批判されるんです。和歌山の毒カレー事件での弁護団もやはり、すごく批判されました。弁護人がやる行動に世間がその弁護人をすごく責め立てる。責め立てられることによって、やる気を失ってしまう人もいます。さらにやる気を失わせるのは有罪率です。今は少し変わっていますが、かつて日本での有罪率は99.9%でした。99.9%ということは、100件刑事弁護をやって1件も無罪にならないということです。これには争いのないものも含まれているので。争いのあるものだけを考えるともう少し変わるかもしれません。しかし、そうは言っても1%、2%でしょう。100件刑事事件をやって、1件、2件しか無罪にならない。やっぱり刑事弁護の醍醐味は無罪を勝ち取ることにあるんだ、と意気込んでしまうと、この現実の前に萎えてしまうというか、やる気をなくしてしまう。一生懸命がんばっても、無罪にはならない。日本の優秀な警察が調べて、優秀な警察官が起訴する事件は、ほぼ100%有罪になってしまう。民事専門の弁護士さんは、そういう現実に打ちのめされて、刑事弁護から遠ざかっている人が多いです。それでいいのか?というと、ここで「それでいい」と言ってしまうと、刑事弁護はしんどいだけだということになってしまうので、僕はそう言わないですけど、皆さんに考えていただきたい。しかし、誰でも刑事事件の犯人になりうるのです。犯人と言うと違和感があるかもしれませんけど、車を運転する・バイクに乗る・あるいは自転車に乗りますよね。例えば自転車に乗っていて、おばあさんとぶつかって、おばあさんが死んでしまうということはありますよね。交通事故で相手が死んだり大けがをすると、自転車なら業務上過失致死罪、自動車なら自動車運転過失致死傷罪に問われるわけです。誰も人を殺そうとかはねようと思って運転をしている人はいない。誰もいないけれど、過失があると判断されることは考えられる。交通事故というのは誰でも起こりうる話だと思いますし、僕自身も被害にあった経験があるんで、いつでも起こりうる。だから、誰でも犯人になりうるんです。それがついつい頭から落ちてしまう。だから、なんであんな悪い人を弁護するんだという批判をする前に、自分もあの犯人になってしまうかもしれないと考えてください。お酒を飲んで運転して、ぶつかって、子供2人が亡くなった事件があります。あれも、「酒を飲んで車を運転したやつが悪い。」とみんな言いますよね。そんな大変なことになると思って車を運転していたはずがないんですね。自分ももしかしたら、コンパの帰りに車を運転してしまうかもしれない。車は最近罰金が高いからしないかもしれないけれど、自転車に乗ってしまう、あるいは原付に乗ってしまうかもしれないですね。酒を飲んで原付に乗ってしまうと、速度の感覚が狂ってしまい、非常に危ないです。それで人を怪我させてしまったら、捕まるかもしれません。だから、自分も犯人になるかもしれないという可能性を忘れてはいけない。皆さん法学部なので、色々な視点から物事を見ることには慣れているかもしれない。常に他の立場から物事を見る必要があるんですね。その、相手を「悪い」と攻撃する側にだけ立って、裁判に臨んだら昔の制度と変わらないんですね。

どうせ有罪だからと、刑事弁護をしたがらない弁護士の気持ちもわかります。しかし、刑事弁護というのは、無罪を勝ち取るためのものではないのです。裁判では、検察官がこいつ悪いやつだと訴えてきたものを有罪にするものですね。攻めてくる側は、非常に大きな権力を持っているものです。あるいは、ミャンマーのアウン・サン・スー・チーさんのように、政敵の弾圧に刑事裁判が使われていることもあります。このように、ついつい悪い方向にいってしまうんですね。裁判官は中立の立場でちゃんと判断してくれます。しかし、裁判官は三権分立とは言っても国家の一機関。行政権・立法権・司法権のうちの司法権です。司法権の独立ということは言われていますけれど、民間ではない。それに対して、弁護人というのは弁護士しかできません。弁護士は一般人で、弁護士という資格に基づいて弁護をします。検察は、税金によって支えられていて、大きな権力を持っています。弁護人はこれに対して暴力ではなく、六法、つまり言葉の力とペンの力で対抗し、時には、無罪を勝ち取るのです。犯人は一般的にはいい見方をされておらず、人によっては死刑にしてしまえと思っている人もいるかもしれません。ただ、その犯人の味方を出来るのは弁護士だけなんです。そういう意味では非常にやりがいのある仕事だと思っていて、しんどいながらもやっています。

では、お手元のレジュメを見てください。刑事事件の多くは逮捕からスタートします。弁護士が関与するのも多くは逮捕からです。これは実際にあった話ですが、「友達が喧嘩して、警察に逮捕されてしまったがどうしたらいいか?」というような相談がありました。それを弁護士が聞き、とりあえずどこの警察に捕まっているかなどを問い合わせて面会をします。資料の最後のページの一番上を見てください。ローマ数字でTと書いてあるところです。司法巡査または司法警察員による逮捕の場合という図です。刑事訴訟法を勉強されている人なら分かると思うんですけど、そうでない人のために説明すると、司法巡査とか司法警察員というのは、一般にお巡りさんと思っている人たちです。この人たちに逮捕されると、警察署という所に連れて行かれます。そしてその後留置所に連れて行かれます。逮捕の効力として身体拘束ができるんです。これは逮捕されてから48時間で、このことを捕まってヨンパチの間と呼びます。まるまる2日間。まるまる2日間の間は、警察が担当します。この48時間の間で弁解をすることができたら釈放してもらえるんですね。なので、この逮捕されて間もない段階っていうのは刑事弁護の非常に重要なポイントなんですね。で、この48時間以内に何ができるかを考えます。色んなことができます。程度の軽いもの、例えば万引き、あるいは喧嘩をしたけれど相手が打撲程度の軽傷だった場合。店に謝りに行って、賠償金を払って・・・そうすれば一旦は釈放してもらえるかもしれません。このようにまず弁護士に相談することが大事です。そして、48時間以内に保釈してもらえなかった場合、検察官の所に連れて行かれるんですね。検察官が釈放してくれなかったら、手続きを経て勾留されます。法学部の人には「こうりゅう」の字を正しく使って欲しいんですが、「拘留」ではなく「勾留」ですよ。勾留されると、何か隠していないかということで、入るときに裸にされます。そして最大20日間、独居あるいは雑居の形で拘置所に閉じ込められます。この状態で、朝から晩まで取り調べをすることが認められているのが現状です。これだけでも不利益なのに、自由も制限されます。好きなものも食べられない。風呂は夏でも週2回。面会は横に警官がいるし、15分しかできない。当然携帯電話はないので連絡はとれません。食事をしたらすぐに事情聴取というのが朝・昼・夜ずっと続いていく中で、捕まっている人は法律の知識がある人だけではないので、警官が自分の味方ではないのかと思ってしまい、自白しやすくなってしまうんですね。私も参考人として事情聴取を受けたことがあるんですが、扉の鍵が閉められた部屋の中でした。それだけでも威圧感があります。僕は弁護士で、弁護士はたいていのことには慣れているんですが、それでも威圧感を感じたので、普通の人なら相当だろうなと思いました。弁護士だから質問の意図とかは理解できたんですけれども、そうでない人だったらあの雰囲気だけでもだいぶのまれるんじゃないかなという感じがしますね。それが現実に捕まった状態でするとなると、なおいっそうです。ということで、捜査段階で、この勾留の20日間の身体拘束中にいろんなことが起きてしまう。それを弁護人がいかにけん制するかが重要なポイントとなってきます。なにしろ自白を取られてしまうと、足利事件のようにラッキーなケースはともかく、自白があるとたいていはやっぱり有罪なんじゃないかという目で見られますね。すなわち、勾留期間中に自白調書というのを取られてしまうと、裁判になった時、自白調書というのは任意性がないと認められない限り、原則証拠能力ありですから。それをもとに有罪判決が出されてしまう確率が非常に高い。ということなんで、この自白のプライマリをなんとかしなくてはいけない。だから足利事件でも申したように、取り調べの過程は密室で行われることなんで、そこでどういうことがあったかわからない。よくわからないから、最近言われているのは取り調べの可視化ですね。それをすることによって、その自白に本当に意味があるかどうかがわかるということです。今の所ビデオカメラ化は一部では運用が始まっていますが、まだまだです。そこで弁護士がどういうことができるかというと、捜査の状況を確認するということが一つですね。

そして、勾留されている時の弁護人の辛いところは、警察署というのは便利なところにあるとは限らず、不便なところにあることも多いということです。この近くだと箕面警察署ですが、大阪市内の弁護士には辛いです。全部で3~4時間かかってしまいます。毎日接見しに行ければいいですが、弁護士は冒頭で言ったように一つの事件にだけ携わっているのではなく、他の仕事もしています。なので、忙しいときにはなかなか行くことができません。弁護士に与えられる情報は何もなく、唯一、被疑者から「警察にどういうことを聞かれたか、どういう証拠を持っていたか」という情報を得るしかないのです。しかし、人の話を聞いて再現するのは難しいです。皆さんも今日私の話を聞いて再現しろと言われたらほとんどできないでしょう。手段が制約された中で何とかやっています。

勾留の不服申し立ての裁判を私もやったことがありますが、勾留の取り消し・あるいは短縮がされたのは約50件中3、4件でした。これはいい方で、中には100件中1件ということもあります。この辺の捜査段階では弁護士と言うのは非常につらいです。

ガサ入れという言葉を聞いたことがあるでしょうか。私がガサ入れとは何かということを聞いたら、「探すという言葉を反対にした言葉だ。」という風に言われました。これは掃除をする程度ではなく、全てひっくり返して、様々なものを押収されてしまいます。これは非常に不利なんですね。例えばパソコンを持っていかれてしまったりする。ガサ入れというのは通常朝7時ぐらいに、前もって通知することなくされるので、弁護士がこれをコントロールすることは難しい。たまたま、「今捜索・押収手続きを受けている」との連絡を受け、近くにいたら対処できますが、通常はできないので多くの場合は事後的に争うことになります。

この捜査段階で、勾留されている場合、検察官は起訴をするか釈放をするかを決めなければなりません。ここで起訴されてしまうと、刑事訴訟に移行されてしまいますから、刑事被告人になるわけですね。検察官に起訴するかしないかの裁量権があるんですね。されなかったら釈放してもらえます。釈放されるのとされないのとでは雲泥の差ですんで、ここで弁護士ががんばるんですね。起訴されて、そのまま刑事裁判をするとなった場合、捕まったままなんですね。資料の2ページ目を見てください。これを見てもらうと、勾留された後、起訴するとなると捕まったままなんです。そこで何ができるかというと、保釈請求です。そのままにしておくと捕まったままなので、早く保釈請求をしないといけません。保釈には保釈金というお金が必要で、逃げる可能性があったり、争ったりしていると金額は高くなります。のりピーは150万〜200万程度でした。ホリエモンはたしか何千万だったと思います。

残り20分で最後まで行きます。テレビで弁護人と検察官だけがいる様子を見たことがあると思いますが、あんな感じです。これを公判と言います。資料の3枚目に実際の起訴状を載せています。これは覚せい剤の使用なのでシンプルです。

公判では、検察官に立証責任があるので、検察官が使おうと思う証拠のみが閲覧と謄写(コピー)することができます。捜査段階で情報が少ないですから、起訴されて初めて分かる事実も多いです。検察官が使う証拠と言うと、基本的には有罪にするためのものです。無罪方向の証拠もあるんですが、今までは見せてもらえませんでした。そのため、情報開示手続きなどを公判が始まってからする必要がありました。今は、裁判員裁判が始まったので、公判前手続きがなされるようになり、改善されました。証拠を見て初めて、被疑者が自分にだけ否認していたということがわかったということもあり、弁護士と被疑者のコミュニケーションは難しいものです。他にも、今、最高裁で争っている殺人事件があるんですけれども、この事件は起訴されて証拠が出てくるまでどんな証拠を持っているか全くわからなくて、色々悩んでいたんですけれど、開示されて、すごい証拠があるということが分かって、ショックであるとともに、これに対して戦わなければならないと気持ちを奮い立たされました。

次のページに行って、公判期日にいきます。公判期日というのは、裁判所で裁判をする日のことです。電話がかかってきて、「弁護人はどこが空いていますか?」と聞かれて答えるのですが、前科があって釈放されるときなどはこちらから早く進めようとすることもあります。一方、早くしたくない時もあります。執行猶予を受けているときなどがそうです。裁判所側もわかっていて、伸ばしてくれることが多いです。

公判の中で、証拠記録が膨大で圧倒される事件というのがあります。銀行の頭取が捕まった事件で、証拠がロッカーまるまる2台分になったことがあります。刑事事件では様々な証拠を集めるのでこのようなことも起こり得るのです。

公判というのは、裁判官が被告に名前や本籍、住所などを聞く人定質問がされてから始まります。そして検察官によって訴状が読まれ、裁判官が被告人には黙秘権があること、話したことは証拠となることなどを被告人に教えたあと、訴状に誤りはないかどうか聞かれます。これを罪状認定と呼びます。事実を争わない裁判で、被告人が「間違いありません」と言えば、そこで緊張が解けます。一方、争う裁判で、被告人が認めなかった場合は、被告人が意見を言って、次に弁護人が意見を言います。それが終わった後、証拠調べの手続に入って、検察官が冒頭陳述を行います。これは「なんでこの人が犯人なのか」ということを冒頭に述べるんですね。で、その後、ケースによっては弁護人が冒頭陳述を行うこともあります。裁判員裁判では、検察官が冒頭陳述を行った後、必ず弁護士が冒頭陳述を行います。で、その後は検察官に立証責任があるますので、どんどん立証を進めていきます。証拠請求(書証)をしたり、証人に尋問をしたりしていきます。テレビドラマなどでよくあるのは証人尋問をしているシーンです。弁護人が召喚した証人なら、弁護人が尋問して、検察官が反対尋問を行います。実際に裁判所で傍聴されるとわかるのですが、証人尋問というのは非常に眠たいものです。それほど日本では活発な証人尋問というのはなされていません。ドラマのように華麗な尋問テクニックを披露することもありません。しかし、裁判員裁判が始まって、この状況が変わりつつあります。今までは尋問で勝負という場面はなかったんですけれども、裁判員裁判だと、法廷でした証言をその場で判断してということになるので、検察官もそうですし、我々弁護人も証人尋問の技術を磨かなくてはならない。これまでの弁護人はどうしていたかというと、メモを見たり、書面を読み上げていた。そうすると、聞いている側はどんなことが書面に書かれているかという所にばかり気がいってしまって、尋問の姿が目に入らない、耳に入らなかったんですけれど、これはずいぶん変わっていくでしょう。チャンスがあったらこういうとこに是非参加していただきたいですね。

刑事司法の大改革という所は各自で読んでおいてください。

「おわりに」というところで、刑事弁護にはやりがいがあるかということを書いてあるんですけど、刑事弁護をやってきて、1件も無罪を取れない人もいる中で私は2件無罪を取れました。これはラッキーなのですが、それができたのはしんどいけど、くじけずに頑張ってきたというのがやっぱり意味があったんじゃないかなと思います。今日ここでロイヤリングを受けている中には、ロースクールに行って法曹を目指そうという方もいるかもしれない。弁護士を目指す人は、今日僕の話したことを頭の隅に置いといていただいて、刑事弁護も1件か2件はやってみようと思ってみてほしい。検察官になる人は、弁護士も大変苦労しているんだということを理解してフェアにやってください。裁判官になる人は、弁護士も大変だということも理解して弁護士に有利な判決を書いていただきたいですね(冗談ですけど)。そしてこれから一般企業に就職をしていく人は、法学部で学んだ事を活用して、社会で仕事をしていこうという人たちは、ロイヤリングで勉強したこと、あるいはここで聞いたこと頭の片隅に置いて、常に新聞とかテレビ報道とかこういうのを見ながら、自分が一員である市民社会で、刑事裁判、あるいは刑事司法がどうなっていくのかを見ていっていただきたいなと。で、もし何か間違った方向に進んでいる気がしたら、自分が裁判員になったら、自分がその裁判で裁判員制度を変えていくんだという精神で臨んでいただきたいし、裁判員に選ばれなかった人たちは、選ばれなかったで、居酒屋で議論したり、選挙権を行使してこの裁判員制度をうまく回していけるようにして下さい。

最後に、人間色々な考え方とか信念というものがあります。その信念を持っているのはいいと思うんですけれども、一つの方向から物を見てしまうと、見間違いをしてしまう可能性がありますから。例えばこの教壇を皆さんの方から見ると長方形ですが、別の角度から見るとまた違ったように見える。で、こっちから見るともっと違ったように見える。同じものを見るのでも、角度によって見え方は全然違う。皆さんにはいろんな角度から物事を見れる人になってほしいなということで、このロイヤリングを終わります。