2009101日ロイヤリング講義

講師: 細見 孝二 先生

                                文責 角穴 雄祐

道路の管理瑕疵

 

例えば、溝に網が貼ってある所に落ちる事件や、自転車で走っていて、穴ぼこにはまってひっくり返って怪我をしたとかいう事件があります。その程度なら大したことはないんですが、大きな事故になって何人もの死傷者が出るものもあります。

今日説明させていただくのは、地方公務員、あるいは国家公務員の研修会で行ったお話をさせていただこうと思っています。これはどういうことに注意をして考慮して下さいという危険性の講義です。ですから、基本的に裁判例を見ながら、具体的にこういう所に注意をして下さいというお話をしていきます。では、基本的に分かりやすい所からお話をさせていただこうと思います。

レジュメのP.12を見ていただけますでしょうか。これは平成19年の高等裁判所の判決です。原審の方から説明していきます。事故状況なんですけど、P.14の図をご覧になっていただけますでしょうか。これは田原本町という町が管理する道路での事故のお話です。真ん中に道路が一本走ってますね。これは片側一車線にちょうどなっています。そして、下の方に路側帯とありますね。路側帯というのは、特に車道と歩道の区別がないところですね。ここからは車は入ってはいけませんよという線です。で、その道路を図で言うと右から左に向かって64,5歳の女性が歩いて行きました。ちょっと目が見えにくくなっています。夜に右から左へ歩いて言ったんですけれども、ここに水路がありますけれど、その水路の所をさらに左へ。その写真がP.13に載っています。P.13の一番下の写真が、この女性が歩いて行った道であります。ここをずっと歩いていきますと、一番下の写真で自動車がありますね。白いバンのような車があって、その前のところに穴があいている。その状態が一番上の写真です。穴の中の写真が真ん中の写真になっております。ここを歩いているときに後ろから車が来て、左によったところ、この穴の中へ転落して大怪我をしたという事案でございます。そこで、女性は田原本町に文句を言い、「こんな危ない穴をあけておくのはおかしい。落っこちるじゃないか。少なくともガードレールぐらいはつけたらいいじゃないか。」というクレームをつけました。町は交通事故の賠償のような感じで怪我に対して損害賠償を払うという交渉をしましたが、大けがをしているし、こんな危ないものを放っておくのはよろしくないということで示談は決裂し、裁判ということになりました。で、どういうことを言ったかと言いますと、「どう見たって転落の危険性があるじゃないか。道路の管理がなっていない。ガードレールを設置すれば落ちないじゃないか。それぐらいのことはして防ぎなさい。」それから、この向かいは小学校ですね。「田原本小学校なので照明がない。だから暗い。色で判断することもできないじゃないか。街灯をつけたらいいんじゃないですか。」と。非常に危険ですね。どう考えても瑕疵があると、裁判で訴えました。町は「道路は右側を通るものなのに、女性は左側を通っていた。」しかもp.14の図を見ていただいたらわかるように、反対側には歩道があるわけですね。「右に行けば歩道があるのに、そこを通らないのが悪い。そして、路側帯の幅は十分にある。まっすぐに歩いていれば落ちるはずがない。それから、そこに至るまでにガードレールが付いているのがわかるでしょう。」確かに写真を見ればその穴に至るまでにガードレールがついています。「ガードレールがあれば水路があるのはわかる。それがわからないのは不注意だ。」という言い方をしたのです。

皆さんはどうお考えになりますか。まず、この道路は車がよく通りそうな道路ですね。当然、人通りも多そうで、この町に住んでいる人だけではなく、初めての人も通りそうですね。そしてこのような穴が突然あいていれば、落ちる可能性はあると一般的には考えられると思うんです。なぜ田原本町はここまでして抵抗したのか。ちょっとよくわからないですね。裁判を起こされた時に和解交渉をすべきだったのではないのかと僕は思っています。しなかったか理由についてはまた後にします。

そして裁判所はどう言ったかというと、この写真を見ると、路側帯には十分の幅があります。だから左側通行してはいけない、右側を歩かなければいけないということはありません。左側を歩いたというのは、通常の用法ではないということはできません。なぜ通常の用法かと言いますと、通常の用法に従ったものでなければ責任を負うことはないという風になっております。これは昔、神戸の坂道の所にチェーンのガードレールみたいなものがあり、子供がそこに座ってブランコ遊びをしていて、後ろにひっくり返って崖から落ちたという事件があったんですけれども、この時はその管理が、チェーンの使い方が用法に従った使い方をされていないと、落ちるのを防ぐために設置されているのであって、異常な方法だと。だから市は責任を負いませんという判決がありました。それと同じことを言って、用法違反だということで、田原本町は逃げようとしたんですけれども、そうではないと。左側を歩くことは用法違反ではありません。

そして、路側帯を歩いていてたとえ後ろから車が来てぶつからなくても、怖いと思って左側に寄るということある。十分あり得ることです。つまりこれは設置管理者すなわち町としては、想定すべき範囲内にある。にもかかわらず、ガードレールがない。道路の管理に瑕疵があるということで責任を認めました。また、ガードレールがあることで水路の存在がわかるという主張ですが、p.14の地図を見てもらうと、水路は下から上に向かって流れている。それと分岐して左へ流れている。水路があることはたしかに分からなくはないですが、この水路は左に曲がっており、そこまではわかりません。だからガードレールがあるので水路があることが分かるという主張は通りません。それから、ガードレールを設置するのにそんなにお金はかかるのか。命に代えられないほど金がかかるのか。単なるガードレールの設置、あるいは街灯の設置なのでそんなことはありません。そうすると、管理に瑕疵があるということになります。ただ、原審(奈良地裁)の判決では、過失相殺を認めました。落ちた人は成人の女性である以上、慎重に歩くべきではないか。また、気づく可能性がなかったわけではない。注意を怠ったということで責任がありますということで3割5分の減額を命じました。責任の35%は女性にあるということです。

これに対して町は控訴してしまいました。「うちには責任がない。」どう考えても責任があると思うんですがね。責任がないといって控訴しました。控訴するのは勝手ですが、もっとひどい結果となりました。どういうことかと言うと、「ここは田原本町の主要道路である。周りは住宅地である。前には小学校もある。この道路は非常に危険である。女性は普通に歩いていて、異常な行動を取ったわけではない。何が悪いか。」ということで、高裁では過失相殺を認めませんでした。で、結局全額を弁償させられることになる。なんで町はこんなバカなことをしてしまったのかなと、判決を見ると思うんですけれども、気の毒だなと思う点がないでもない。見通しが悪かったのは確かに悪かったのですけれども、公共団体というのは和解による解決がしにくいという問題点があります。和解をするには、議会の承認が要るわけです。つまり、町としては、損害賠償の事件がありました、和解をしたいとなったとき、議会が承認するかどうか、どれほどの反対を受けるか、そういう場合も考えなければならない。そうすると、町としては、「負けちゃったら負けちゃったでいいだろう。議会対策をする必要がない。じゃあ白黒はっきりつける必要もない。で、場合によっては保険もおりる。」ということも背景にあったのではないかと思われます。ですから、こんな間の抜けた対応をしたのではないかと私は推測しています。

ここで、普通に歩いていて何が悪いんだという話をしましたが、それをより明確にしたのが次の大阪高裁の判例です。これはどういうものかと言いますと、ある人が川に転落して死んじゃったという例です。これは大阪府が相手です。ビールや日本酒を飲み、店をはしごして朝に家路につきました。そしてその翌朝6時前に川で意識不明の状態で発見されました。転落するところを目撃した人はいません。では、下の地図を見てください。今井戸川という川が流れていて、この人は左から右に歩いていました。Eという所がありますね。ここをさらに左に行きました。そして川にはまったということです。Jが転落場所で、Hにディスカウントショップがありました。この店はもうありません。

(図を書いて説明)

Cの位置にガードレールがあったんですが、ここに張り出しを作ってしまいました。つまり不法占拠してしまったんですね。ここにあったガードレール,これを切っちゃいました。で、当然切ったら短くなります。で、こちらを人間が歩いてきたと。で、ここにけつまずいて落っこちたという事案です。そしてこの落ちた人が翌日亡くなりましたので、遺族は道路管理に問題があるとして、このディスカウントショップと松原市・大阪府を訴えました。

ディスカウントショップの主張は、「目撃者がいないのだから、ここから落ちたのではなく、橋を渡っている途中で落ちたのではないか」というものでした。大阪府はそうは主張せず、「この人は酔っぱらっており、ガードレールが見えなかったのではないか。普通の感覚ならば見える。」という抗弁をしました。さてどう思いますか。じゃあこの人は酔っぱらいだけれど、目の悪い人だったらどうなるでしょうか。38cmのガードレールがあったらむしろ引っ掛かって落ちるんじゃないでしょうかね。

原審では原告が敗訴しています。「目撃者がいないのでGの位置から落ちたかどうかは分からない。橋を渡っている途中で酔っぱらって左に行ってしまったのかもしれない・」という判決でした。

しかし、高裁の判決はそうではありませんでした。「目撃者はおらず、たしかにこの人は酔っぱらっていたが、この人は酒に強く、また、橋を突然左に曲がって落ちたというようなことは、自殺しようとしていたのでない限りありえない。」として、ここから落ちたと認定しました。後は、見えたかどうか。酔っぱらって感覚が悪くなっていたんじゃないかというところが争点となります。たしかに、遠くからでもこのガードレールが見えるのは見えたんです。交通量が多いですから、後ろから車のライトが当たってそのガードレールが見える。しかし、横断歩道っていうのはそんなもんですか。違います。横断歩道っていうのは、目の不自由な人も、健常者の方も、雨に日には傘をさして歩くこともあります。いろんな人が安全に歩けるというのが本来の機能。したがって、人が普通に、安全に歩けるようにしなければならないのが道路の本来の機能。にもかかわらず、まっすぐ歩いていたら川に落ちるような道路は、道路の管理に瑕疵があるということで、国家の責任を認めました。ですから、こういう街中の歩道というのは、いろんな人に対応できるように安全性を、特に異常がないかということを管理しなければならないというような結論になっています。これはこれまでになかった画期的な判決と言われております。ただ、過失相殺というのはこれは認めざるを得ないだろう。まず、酩酊まで至るほど酔っぱらっている。暗くはなっているが、ガードレールは見えている。ということで、4割の責任を大阪府に認めたわけです。

じゃあ例えば田舎の方へ行くと、道路際に田んぼがありますから、用水路があります。それについてはどうなんだという問題があります。用水路については色々な所から質問が寄せられました。あるところではガードレールでしっかり囲われており、「これでは落ちないな」と思ったこともあります。ではもっと田舎に行くとどうなのかというのが(6)の事件です。

これは神奈川県大井町での事件で、農業用の用水路に落ちて死んだという事案です。道路状況を説明いたしますと、高校の脇を通っている道路で、幅2m。そこに用水路があって、そこにはまって死んじゃったという事件。事故現場は田園地帯で、高校がある以外は周りに田んぼや畑しかないような場所でした。街灯はつけると農作物に悪い影響を与えるということでつけられていません。また、ガードレールも設置されていませんでした。この用水路は幅が1.2mで高さは80cmぐらい。水深15cmぐらいで、見たところ、危ないようには見えません。これまでに落ちた人もありません。

落ちた人は高校の先生で、パーティで酒を飲んでおり、帰るように言われて自転車で帰る途中で用水路に転落しました。時間は日没後でしたがそんなに遅い時間ではありませんでした。辺りは明るかったので、道が見えないということはなかったように思われます。

この道は田んぼに行く人か高校生しか通らないような道で、人が3人並んで歩けるような幅の広いまっすぐ道でした。ここに落ちることはまずないでしょう。実際今までに用水路に落ちたという事例は報告されておらず、もし落ちたとしても怪我はするだろうけど死ぬことはないだろうと考えられていました。「これらの事情を考慮すると、この事故はアルコールによって判断力が低下したことによるもので、通常の利用をしていれば事故が起こることはなかった。」と裁判所は判断しています。正常に自転車の運転ができない状態で自転車に乗って、操作を誤って用水路に転落したものだ。そこで通常の利用をしていれば、通常の用法をしていれば用水路に転落することはなかった。異常な行動で落ちた。ですから道路の管理瑕疵ではありませんというのがこの結論なんですね。つまり、用水路があってガードレールがなくても一概に道路管理に瑕疵があるということは言えず、田舎か都会か、道路利用状況などによって判断は変わってくるということです。これが平成13年の判決ですから、先ほどの判決とほぼ同時に出されたものです。何が違うかというと、田舎か、都会か。

回避可能性という言葉が分かりますでしょうか。(8)の最高裁の判決です。これはずいぶん古い判例です。昭和50年。

(図を書いて説明)

この人は青年団の役員パーティでお酒を飲んでいました。日本酒3合で飲酒検問に引っかかるぐらいでした。その状態で助手席に人を乗せて車を運転していました。夜間に下から上へ走っていました。すると対向車が来たので、車を運転する人ならわかるでしょうが、ライトを下に下げます。やり過ごそうとしていると、この車が通る前に設置されていた工事標示板やバリケードは倒されていたので運転手はギリギリで工事現場があることに気づき、急いでブレーキを踏まずに避けようとしました。その時に勢いあまって近くの田んぼに突っ込んでしまい、死んでしまったというものです。お酒を飲んでいたのは悪いですが、運転手に責任はあるでしょうか。第一審・第二審は工事と事故の間に因果関係がない、つまり普通に運転していれば前が見えるでしょう。前が見えたなら右に寄って左に戻ればそれで済むじゃないか。事故を起こしたのは飲酒運転をして、ブレーキも踏まずにまっすぐ突っ込んだだけで、因果関係はありません。因果関係がなければ、道路管理に瑕疵があるかないかを考える必要がない。最高裁は因果関係できるのではなくて、回避可能性というところで見ていきます。工事していますよという看板を立て、あるいはわかるように明るくしとかなきゃならない。これをしていなければ管理の瑕疵に当たる可能性は高い。ただ、この工事をしたときに赤色灯を立てて、危険を告知している。これがたまたま直前に、他の車に衝突されて壊れたので、これを直す間がない。ですから、県には責任がありませんという判決になります。これは奈良県ですね。桜井の方です。

当時(昭和50年)は道路管理の瑕疵が認められませんでした。これは現在でも通るでしょうか?僕は今では通らないと思います。道路工事はよくしています。道路工事をすると、地面を掘削しますね。削って埋め直すんですが、削るとこういうマンホールがむき出しになってしまいます。だから看板を立てて工事中としたり、斜面をなだらかにしたりして気をつけるようにするわけです。そして、運転手に気をつけなさいよと知らせるために明るくする。こうしないと、管理に瑕疵があると、安全な道路じゃないということになります。

以前尼崎であった事件としましては、これが不十分で、オートバイが吹っ飛んだという事件があります。これは普通に運転してひっくり返ったわけですから道路の管理に瑕疵がある。安全に運転できない道路である。ということで、尼崎市が負けました。これと同じようにバリケードを立て、赤色灯をつけて後は放っていいたらいいんだということには今のご時世ではなりません。昭和50年はこれが通ったかもしれませんけども、今の時代ではこれは通らない。一般論としてこの最高裁の判例は、回避可能性がなければ責任はないんだとしています。その点が判例として現在も残っています。ですから、今でも、一般論としての回避可能性がないときは責任がない言う主張がなされて、それが通っています。

これは神戸の事件なんですけれど、夜間、原動機付自転車に乗って走行していたところ、ある車が追い越しました。するとその車の前に猫の死骸があって、車は左に寄りました。バイクも衝突を避けるため、さらに左に寄りました。これは神戸の坂道で、寒いところなので神戸市が融雪剤を道路際に置いてあります。それがなぜか道路に落ちていて、バイクがそれにぶつかって吹っ飛んでしまいました。神戸市は道路際に融雪剤を置いていて、道路が凍結したら住民がそれをばらまくんですね。そのために、道路ではなく路側帯の所に2つ重ねて置いていました。

そして神戸市は「パトロールをしていて、その時には融雪剤は落ちていなかった。また、市バスと提携していて、なにかあれば連絡してもらうことになっていたが、その連絡もなかった。つまり直前に誰かが車道に置いたか、あるいは振動で落ちたのだろうとして、回避可能性がない。だから市に責任はない。」と主張しました。これは先ほどの判例を参考にしていますね。

結論から言うと、市は負けました。融雪剤は2日前から縦に2つ積んで置いてあり、直前に落ちたという証明ができなかったためです。重ねて置いていたら、ずり落ちる可能性もある。いつ落ちるかわからない。いつ落ちたかわからないという証明ができない限りあなたの負けというものです。

参考までに、例えばあなたの車が壊れて車道に置いていたとします。そこにバイクが突っ込んできたとしたら、この車を置いている道路の管理者が責任を問われることになる。だから、道路の管理者は常にパトロールを、放置自動車はないかと確認しなければいけない。こういうことになるのでしょうか。じゃあ放置自動車をどのぐらいの期間放置していたら、国・県あるいは市の責任が問われるかというと、3日放置していたら責任を問われる。12時間では責任を問われない。非常に微妙なところですね。これはどのような管理体制を取っているかによって変わってくるということになるかと思います。

そして、皆さんはよくバイクに乗られるかと思いますので、バイクの事故、(9)の説明をさせてもらいます。これも昭和51年の判決なので非常に古いものなんですが、どういう状況かというと・・・(図を書いて説明)

舗装されていない轍で、雨の影響と内輪差で削れて穴が開いてしまった。バイクが路側帯を時速60kmで走っていてその穴に入ってしまい、コントロール不能になって縁石にぶつかり、トラックに衝突し、亡くなってしまったというものです。この場合、道路の管理に瑕疵があるのでしょうか。幅80cmの路側帯で、オートバイが走っていいのか?という問題が発生します。路側帯というのは本来走ってはいけない所です。ここを、他の車が20km/h程度で走っていても、60km/hでビューンと若い子が走って行っている。まだバイクを買ったばかりで、運転は未熟です。

国の言い分としては、「本来路肩は走るべきではなく、道路自体としては安全なものだった。用法を違反しているのでこれは相手側に過失がある」というものでした。しかし、「路側帯も道路であって、何のために路側帯があるかと言うと、路側帯がなければ自動車は左に転落するのを避けて真ん中に寄ってしまって、安定したスピードが出せない。そのために路側帯がある。また、何かあったら左に寄って、回避するためにある。車が走ることは十分考えられる。しかしながら、この道路を走っていると穴にはまって転倒してしまう。しかも道路ですから事故を起こすと人命に関わる。」として道路の設置・管理に瑕疵が認められました。ただし、「事故は昼間のことであって、水たまりならば見て減速することができる。」として85%運転手が悪いと過失責任を認めました。

また、福井県で試しに水をまいたらそこで80km/hで走っていた車が次々にスリップした。この道路は60km/hが制限速度とされていたものの、みんな80km/hで走っているのだから予見ができる。にもかかわらず、水をまいて凍らせたのはあなたが悪い。管理が悪い。道路管理に瑕疵があるとされました。ということで、必ずしも被害者側が法令を順守していなくても責任を問われることがあります。

例えばみなさん冬スキーに行かれると思います。そうすると雪が深く積もった所に竹のばってんなどで立ち入り禁止と書いていると思います。それを書いていればスキー場は責任を免れるかと言うと、そんなことはありません。スキーの板の滑った跡が何本もついていたとすれば、そこに入っているじゃないかと。たしかにそこから先は自己責任かもしれないが、みんなが入っているじゃないか。相手が法律を守るということを前提ではなく、どういうことをするかということを前提に、安全を確保しなければならない。

p.11の参考判例を見てください。地域によっては道路を走っていると、動物が出てくることがあります。これは北海道での話で、エゾシカが出てきました。そして「車とエゾシカが衝突し、車が壊れた。だから弁償しろ。」という訴えが出てきました。市は「エゾシカが出てくるということは予見することができない。また、エゾシカが出てこないようにするためにフェンスを設置すると莫大なお金がかかってしまう。」と主張しました。しかし、「小樽でも同様にエゾシカが生息しており、この地域で出てこないということは考えにくい。つまり、予見可能性がないとは言えない。」「また、予算については、全ヵ所に設置する必要はなく、この場所にだけ設置すればよい。」と裁判所は判断しました。また、予算に関する主張は通らないことになっています。というのも、「自然のものである川とは違って、道路は国や県や市が作るものであり、作る以上安全に作らねばならず、予算のある・なしは関係ない。」と裁判所が判断しているからです。

排水路があって、網が外れるんですね。で、そこにやってきて、その穴にはまって流されて死んじゃったという事件があるんですけれども、その時も国はこんな所で流されるということは考えにくいとし、今は全部固定式になっているんですが、固定式にするには予算が要るがそんな予算はないと主張しました。しかしこの場合も認められず、ある・なしに関わらず、全部固定式にしなさいということになりました。

時間の関係で説明できないところがありましたが、レジュメを見て考えてみてください。国家賠償法2条についても読んでおいてください。

何か質問ありますか?なければこれで講義を終わります。