124日ロイヤリング議事録

講師:近藤信久先生

文責:塚上公裕

1民事調停とは

 まず、民事調停についてですが、皆さんは法律から入った方がとっつきやすいと思いますので、まず法律の話からしようと思います。

 民事調停法は非常に短い法律で、全部で38条しかありません。民事訴訟法と比べてとても少ないです。これで手続きとして大丈夫か、と思われるかもしれませんが、そもそも民事調停手続きとはこういうものなのです。つまり、法律でがちがちに縛らないほうがいいだろう、という側面のある手続きなのです。

 申立方法については、別添の資料を見てください。このように申立の雛形があり、書き方の例もあり、それを参考にしながらかけば良いようになっており、割と簡易に申し立てることができるという特徴があります。 

 このように簡単に申し立てることができるので、弁護士に委任されずに、本人で申立が行われることも多くあります。その場合には弁護士費用がかからなくて済みます。裁判所に納める費用は申立の趣旨の請求額にもよりますが、例えば100万円を相手方に請求するという申立の趣旨なら印紙代は5千円、1000万円なら印紙代は2万5千円です。裁判所に収める費用としてはあとはこれに切手代がかかる程度です。

 次に調停の利用数についてなのですが、平成15年には、751438件も利用されています。平成18年には、簡裁だけで302026件、そのうち大阪では34017件も利用されています。

 利用件数がなぜこんなに増えたかといいますと、一つには平成12年に「特定債務等の調整の促進のための特定調停に関する法律」、いわゆる特定調法がつくられたことがあると思います。これは、借金のトラブルを解決する為の法律です。借金のトラブルによる調停申立が増え、従来の調停制度では、対応できなくなったことから、議員立法により作られたのですが、スピードを上げて処理できるようになりました。また、調停委員が申立者から話を聞き、業者との間に入ってくれ、債務者の返済能力などを伝え、返済計画を検討してくれます。そして調停成立の場合には、判決と同様の効果が得られます。

今では借金についての調停は減ってきています。調停はそのときの時代の流れにあわせて、法律でがちがちにやるのではなく、とりあえずやってみよう、という感じなのです。

 

2法律

民事調停法には1条に「条理」とか「実情」とかあまり法律らしくないとも思われる言葉が使われています。事情に応じて、お互いに譲り合いながら解決しましょう、ということが目的としてかかれています。

 

3歴史

調停の制度は古くからあるといわれています。江戸時代には内済という、名主又は組頭が扱人となって当事者に示談をさせ成立すると内済証文を作り裁判所(奉行)に提出させる制度がありました。これは今のやり方と変わらないもので、第三者が間に入って話し合いをまとめ、それに裁判所が効力を与える、というもののようです。明治には、勧解という、今の起訴前の和解に連なる制度がありました。起訴前の和解とは、即決和解といわれるものですが、当事者同士の示談書だけですと、また揉めて、訴訟になる可能性があるため、裁判所で和解調書を作ってもらって、判決と同様の効力をもたせることです。大正11年には借地借家のトラブルが増えたため、これを解決するために借地借家調停法、13年には小作関係で揉め事が増えたため、それに対応するため、小作調停法がつくられました。15年には、商法の分野に関して、特別の慣習があることや、早さが求められるところから商事調停法がつくられました。昭和に入ってからも、金銭債務臨時調停法、鉱業法の一部改正で鉱害賠償の調停、戦時民事特別法がつくられ、そして26年には民事調停法が制定されました。

 

4アメリカではどうか?

 このような調停の制度が、他の国ではどうなっているのか、私はとても興味をもったので、調べてみました。そのなかの、もと国連職員で、アメリカで調停者として活動なさっていた、レビン小林久子さんの、「アメリカのADR事情 調停ガイドブック」の一部を紹介させていただきます。

 「調停は、中国や日本では昔から広く社会の中に行き渡っていますが、アメリカでも植民地時代、町の長老や教会の神父などによって頻繁に行われていました。しかしアメリカが独立した国として、その憲法や社会制度が整っていくにつれ利用されなくなり、人々から忘れ去られていったのです。その調停がトラブルの解決法として再発見されたのは60年代です。もちろん再発見といってもいつ誰がそれを行ったのかは、はっきりしていません。全米の各地で少しずつ利用が広がってきたのです。しかし現代の調停は、昔の調停と違い、その概念や実施方法は大変理論的です。まず、調停の目的は単に事件の決着をつけることではありません。それは紛争の当事者が顔を合わせて話し合うことによってお互いに理解し合い、その結果、当事者自らがトラブルの和解を見いだすことなのです。」「通常、調停は白黒の判断を下しませんし、調停の和解は、法的拘束力がありません。しかし、当事者が和解の合意書にサインした場合、その合意書は拘束力があります。特に最近のアメリカでは、裁判所に直結した調停が多く行われていますが、そこで合意された内容は必ずその場でタイプされ、当事者と調停人が署名し、その結果拘束力を持つようになっています。現在アメリカのADRの中心は仲裁から調停に移行していますが、それは調停が最も手軽であるという事実のほかに、このような当事者同士の理解を促すという利点が、重要視されるようになったからです。というのも、事件の白黒をつけることが目的の裁判や仲裁は、結果として当事者の関係を悪化させてしまうという欠点があるからです。せっかく裁判に勝っても、長年の得意先やビジネスパートナーを失っては、何のための勝利だかわからなくなります」

 

5自己紹介 

少し自己紹介が遅れましたが、私は弁護士をしております。本日、皆さんになぜ民事調停についてお話しているかといいますと、弁護士が裁判官に任官する制度の一環として、6年ほど前に弁護士が週一で非常勤として調停主任をする民事調停官という制度が出来たのでが、それを4年間を務めました。そして、そこでの経験が非常に面白かったため、というのが一番の理由です。弁護士をしている時、自分が納得いかない弁護をすることもあり、自己矛盾におちいることもあったのですが、裁判所はどちらの見方をするわけでもない、むしろしてはいけない、というなかで、4年間務めたのですが、とても面白かったです。紛争の解決ということを純粋に考えるというのもとても面白いと思います。

 

6裁判外紛争処理機関(ADR)

 ここでは判例タイムズの分け方に従って解説していきます。

 まず行政型機関として公害について扱う@公害等調整委員会・都道府県公害審査会、請負や建築について扱うA中央建設工事紛争審査会・都道府県建設工事紛争審査会、消費者トラブルについて調停や斡旋を行うB国民生活センター・都道府県消費生活センター等があります。次に民間型機関としては@民間仲裁機関として、船について扱う日本海運集会所、例えば日本の会社とアメリカの会社の間で商取引ついて揉めたときに仲裁してくれる日本商事仲裁協会、交通事故を扱う交通事故紛争処理センターがあります。国際間のトラブルは、そもそも日本の裁判所で扱ってくれるのか、仮に扱ってくれてもその判決を持っていって、相手方の国において強制執行によって債権回収が図れるのかといった問題があるため、多くの場合仲裁が入れられることになります。交通事故処理センターのいいところは、審査の拘束力が片面的、つまり保険会社を拘束するが、申立人である被害者はここでの判断に従わなくてよく、納得がいかない場合は裁判所に訴えることができる点です。A民間調停・あっせん機関としては製造物責任に関するPLセンター、証券トラブルをあっせんする日本証券業協会、広告における人権侵害といった問題を扱う日本広告審査機構があります。そして弁護士会型機関として大阪弁護士会民事紛争処理センターでは仲裁、示談斡旋の両方を扱っています。最後に司法型機関として民事調停、離婚、遺産分割などを扱う家事調停があります。

次にADRの基本要素をまとめてみました。@インフォーマリゼーションAディリーガリゼイションBディプロフェッショナリゼイションCプライヴァティゼイションD水平化をあげることができます。まず@はこういうときはこうする、といった手続きに縛られないということだと思います。Aは法律以外の規範を使うことも可能ということです。Bは誰が運営するのか、といった問題であり、いろいろな専門家がなることができます。知識のある方が揉め事の中に入ってくれます。たとえば建築にかんする紛争であるならば、一級建築士の方が建築の実情や専門知識に関しては裁判官よりも詳しいのであり、当事者の話をより理解しやすいことがあります。Cは公的な契機が減退して私的な契機が増大していることです。アメリカでは裁判官を退官した人等を集めてADRサービスを提供する会社があります。但し欠点として、揉めた場合最終的には裁判所の吟味を受けることとなります。Dとは法廷では裁判官の着席する場所が一段高くなっていますが、調停の場合には同じテーブルで向かい合うので構造からして話し合いがしやすいようになっており、言いたいことが言いやすいようになっています。

 

7アメリカではどうか

訴訟だと莫大な費用(証拠収集に数十万ドル、数百万ドルとかかることもあるようです)と日数がかかること予想される場合もあり、裁判所の判事がADRを試みるよう勧めることもあるようです。

 

8手続きの流れ

手続の流れをざっとみていきます。まず申し立てると、一週間ぐらいで調停委員を決めてもらえます。建築に関する問題ならばなら建築士さん、といった具合に決まります。その後は一ヶ月ぐらいで期日が始まり、調停成立の可能性がある限りずっと続けられます。

 

9調停委員の地位

調停委員は裁判所に置かれる非常勤の裁判所職員であり、特別職の国家公務員であります。

 

10調停前置主義

 賃料の増額・減額請求などについては法律で調停前置主義が取られており、訴訟提起より先に調停を申し立てることが必要となります。

 

11事実の調査

 これは、中身はどうやるのかという問題です。調停においては証拠調べ等の厳密な手続きがとられることはまれです。むしろ、証人尋問等を行うと、最後にまとまらなくなってしまう恐れがあります。また、職権探知であり、委員が自ら調査することができます。

 

12事実の認定

話をきいて仲裁案を出したり、和解のラインを探したりすることが主になります。全くの素人がやるわけではありませんので、事実の調査が厳密なものでなくても、経験則により妥当な結論がでることが多いです。

 

13現地調停

 事件の性質によっては、裁判所外の適当な場所で調停が行われることがあります。当事者の都合や参考人の都合、目的物を見なければ紛争の実態が把握しにくい場合に考慮されます。

 

14仮の措置

 目的物の処分等を禁じたりすることができます。ただし執行力は有せず、あくまで任意の履行を求める処分です。

 

15終了原因

最終的にどのように終わるかといいますと、調停が成立し、お互いに納得して円満に終わる場合があります。この場合には判決と同様の効果を得ることが出来ます。また不成立に終わることもあります。また民事調停法17条には調停にかわる決定、が規定され、解決を図ることがみとめられています。また24条の3等に規定されている、裁定があります。これは仲裁に似た制度です。調停申立の方式違反などの場合には却下によって終了します。

 

16最後に

紛争の渦中にいると通常では考えられないようなことを見ることもあります。なぜ自分は被害者であるのに裁判所から呼び出されて裁判所に来ないといけないのかと憤慨する人もいます。このような場合、まずは話をきいてあげることが必要です。他にも、加害者の代理人弁護士を追いかけまわしたり、といったこともあります。揉め事になると法律がどうなっていると説明するだけでは上手くいかず、どういう話の聞き方をすべきか、といったことも論じられたりします。また、調停を選ぶのか、裁判を選ぶのか、ということも大切になってきます。訴訟で白黒はっきりと勝負決めるのもいいですし、話し合いで決めるという方法もあります。夫婦関係がうまく行かないのときは調停を試みるとかえって余計にもめたりすることも中にはあるとは思いますが、第三者に間にはいってもらうのがいいときもあるとおもいます。

調停委員をしていると、中には当事者からひどいことをいわれることもあります。当事者のためにと思っていっても、それが伝わらないこともままあり、報われないことも多いと思います。しかし、調停とはそもそも何のためにやっているのか、一生懸命考えておられる先生もいらっしゃいます。大阪民事調停協会の会長をやっておられた川口冨男先生の文章を最後に引用させていただきたいと思います。

「調停委員の無私

「調停は、非公開で行われます。また、どんなに大きな、或いは困難な事件を苦労して解決に導いても、その結果が喧伝されることはありません。裁判については裁判官の名前を付して報道されることがありますが、調停に関してはそのようなことは一切ありません。調停委員仲間でさえ、ある調停委員がどんなに功績のある調停をしているのか分かりません。また、その調停委員が前職でどんなに有名な人であったとしても、或いは現にどのような顕職にあるとしても、そうしたことは一切表に出ない仕組みになっています。しかしこの徹底的な無名性が、無私性を呼び、相まって調停に大きな力を与えているのだと私は思っています。調停の最大の長所であるとさえ思っています。」

「第三者が紛争の解決により利益を得る立場にありますと、その働きかけには純粋性がなくなり、同じことを言って説得しても当事者に対する説得力は無くなってしまいます。反対に、第三者が解決について利害を持たないならば、無私で、公平な心をもって臨めますから、より客観的で、広範な配慮が可能で、知恵ある案が出せますし、それは時として、神の声のような重み、説得力を持つことができるのだと思います。」

「調停者としての坂本龍馬の無私

 文学作品で調停を取り扱ったものに思いつかないと書きましたが、歴史的に見ると、調停者と言える人の活躍を見ることはできます。例えば坂本龍馬は、不倶戴天の仇敵という言葉を使っても不十分と思われる程険悪な関係にあった薩摩と長州間を説得調整して薩長連合を作り上げ、明治維新を実現したのですから、偉大な調停者であったといえるでしょう。もしこの薩長連合から明治維新という流れがなかったと仮定しますと、幕末はもっと混乱して内乱状態になり、あるいは日本は清国などのように西洋諸国の餌食になってしまった可能性が高かったとさえいえるのです。」

 「例えば龍馬が大政奉還後の新政府の役人表を作ったときに、関白は三条実美、参議は西郷隆盛、桂小五郎などとしながら、薩長連合の実現や大政奉還の発案、実現についての最大の功労者であり、新政府でも枢要の地位を占めて活躍することを期待された当の龍馬の名前を書かなかったのです。不審に思った西郷に問われて、「わしァ、出ませんぜ」「世界の海援隊でもやりましょうかな」と答えたといいます。「自分は役人になるために幕府を倒したのではない」とも言ったそうです。これは龍馬の「あざやかなはどの無私」(司馬遼太郎)を物語っているといえるでしょう。」

以上