717日ロイヤリング議事録

講師:苗村博子先生

「会社は有機体〜再建型の法的倒産手続について」

文責:酒井康徳

 

◆自己紹介

昭和58年に大阪大学法学部を卒業し、2年後に司法試験に合格した。その後アメリカのロースクールに留学した。

今日は、倒産した会社がどうやって立ち直っていくかを話そうと思う。

 

T 手続きの概要

1 倒産とは

 基本は、破産手続きである。会社が事業停止することを前提に、破産の申し立てがあった時点で債務超過または支払停止と認められたときに、破産の開始決定がなされる。

破産開始決定の時点で会社にどれだけの財産があるかを確定し、財産(土地、工場、製品など)を金銭に換価する権能を持つ者が管財人と呼ばれる。こうして換価した財産を債権者に平等に按分する。以上が破産手続きの基本だ。

換価は、たとえば工場の場合だと、機械や器具、在庫といった工場の財産をバラバラにして売り、工場を取り壊して跡地を売ってしまうことがある。また、専門的な技術を持った従業員を解雇してしまうことになる。これはとてももったいないことだ。このようにバラバラにしてしまうよりも、工場をそのまま残し、事業を継続した方が価値がある場合も多い。そこで、企業が全ての債務を返済できない場合でも、事業を継続しながら返済していくことが認められている。この場合、全額は返せないが、破産した場合の清算価値よりも高額を返済することができるし、それが求められる。

 

2 再建的倒産手続き

 再建的倒産手続には民事再生手続と会社更生手続がある。

民事再生手続の場合、問題がなければ経営者がそのまま会社の経営を続け、民事再生手続を進行することになる。経営のことを一番知っているのは経営者だからである。アメリカの法律であるchapter11がこのやり方を採り、柔軟な対応ができていたため、日本でもこの手続きが新設された。Debtor In Possession(債務者が占有したままで)の頭文字をとってDIP型と呼ばれる。経営者が不正をするなどして信頼できなくなったときは管財型となり、管財人による経営に切り替えることになる。

これに対して、会社更生手続は裁判所から選任された更生管財人が手続を進行するが、何をするのにも裁判所の許可が必要であり、時間がかかる手続である。時間がかかるとその分更生会社の財産の価値が毀損されてしまう。日本では弁護士が管財人になるが、経営に関しては素人なので、更生手続き申立をした企業のスポンサー企業から来る事業管財人と連携して経営することも多い。

会社更生手続の場合、抵当権者は抵当権を実行できなくなる。会社更生手続は担保権者まで巻き込むもので、会社を生かすための非常手続だ。そのため、債権者からは「天下の悪法」と思われることもあるが、会社を生かしていくためには必要な制度である。

 

U 再建的な倒産事件における弁護士の役割

1 三田工業株式会社

平成10年、三田工業株式会社が会社更生手続を申請し、当時の私のボス弁とともに、その管財人団に入ることになった。

当時の三田工業にとって、香港工場は特に大切な工場であり、これが立ち直れるかが再建の鍵であった。香港では更生手続の制度はどうなっているのかを調べると、清算型倒産手続はあったが再建的倒産手続がなかった。そこで、管財人は香港を含め外国子会社では何ら法的手続をしないと決断した。三田工業株式会社は銀行から多額の借金があったため、この決断には法的倒産手続をとらないことでいつ抵当権を実行されるかわからないというリスクが伴っていたが、銀行が日本の銀行であること、銀行は抵当権を今実行して小額の債権を回収するより世界規模で回収したほうが得だと判断してくれるであろうこと、三田工業株式会社には信頼できるスポンサー企業がつくことがわかっていたことから、このような決断をしたのである。

 

さて、香港工場は、当時製品の製造に必要な部品を4日分しか持っていなかった。三田工業がいわゆる「看板方式」を採用し、在庫は極力持たず、必要に応じて部品業者に納入してもらうという制度を採っていたからだ。しかし、この体制下では経営に不安が生じると部品業者が製品の納入を控えてしまい、工場で生産ができなくなってしまうことになる。

そこで、私は部品工場回りをし、部品の納入を継続してくれるよう協力を要請した。また、新聞で「三田工業が破産」という記事が流れたため、破産ではなく会社更生であるということを説明するために説明会も行った。

 

また、取引先の銀行団とも攻防をすることになった。

貸金債権が債務不履行(default)になると期限の利益を喪失してしまい、銀行に差し押さえ等を受けてしまうことになる。そこで、『我々は株主を抱えている、債権回収をしないと株主代表訴訟を起こされかねない』と主張する銀行に対し、『こちらも1000人の従業員を抱えているのだ』と激論した。

そのとき、京セラが三田工業の支援にまわってくれたため、三田工業は大丈夫だと銀行に説明し、銀行とスタンドスティル契約(stand still agreement)を結んだ。

しかし、京セラが香港の債務も返してくれると期待していたのだが、そうは行かなかった。というのは、三田香港の生産品を三田工業に売っていたのだが、この際の多額の売掛金の全額を回収することができなくなり、三田香港も債務超過となってしまった(更生債権になったから)からである。そのため、銀行の人には『あんたに騙された!』とまで言われてしまった。その後私は何度も香港へ行き、銀行にとっては最大の回収になるよう、こちらとしては不当な弁済にならないよう、できるだけのことをした。その際には監査法人に具体的な数字を出してもらい、弁済計画案を提出した。そして50ページにわたる契約書を英語で作成し、毎回翻訳し、妥結に至った。

 

その後、三田工業はアメーバー経営という京セラ独特の考え方と、従来から有していた技術を融合して、環境によいコピー機プリンターを作ることに成功した。

三田工業は20013月から順調に売り上げを伸ばしてきている。京セラとのシナジー効果であるといえるだろう。その後、三田は無事に再建し、債務の返済も済ませたため、もはや名称に「更生会社」はついていない。

 

この再建をした際には、粉飾決算が問題になった。

三田はそれまで粉飾決算をしていた。このことは社長も会計士も知っていたが、会計士は「問題なし」とする意見書を提出していた。そのため、配当もなされていた。これは違法配当にあたり刑事罰の対象となる。このことは会社更生を始める当初からわかっていたため、大阪地検特捜部に告訴し、社長、会計士が起訴、執行猶予付き有罪になった。

倒産手続きのもう一つの側面として、それまで行われていた誤った経営(モラルハザード)を叩きなおすというところがある。そのために損害賠償請求や場合によっては刑事告訴をすることになる。

 

2 マイカル

平成13年、マイカルが負債総額2兆円を抱えて法的倒産手続きに入ろうとした。

その1年前の平成12年、民事再生法が制定された。この民事再生は元々は中小企業向けと言われたが、そごうが民事再生手続で立ち直ったため、当時は、大会社にも使えると考えられ江いた。もっとも、マイカルは多くの土地・建物を持ち、担保権者も多数にわたっていたから、民事再生で解決することは難しかった。そのため、マイカルは当初会社更生を計画していた。

しかし、直前になって民事再生を申請した。これは、会社の中で会社更生申立の承認の為の取締役会の最中、代表取締役解任の動議が起こり、会社更生申立を主張していた代表者が解任されてしまったことによる。そごうと同じようにマイカルも上手くいくという観点だったのだろうが、その結果、1週間で店舗に商品が入らなくなった。専用の部品を納入していた三田工業の場合とは違い、卵などは他の商業施設でも売ることができるし、小規模な納入業者が多かったため、商品を納入してくれないという事態が生じたのだと思われる。スーパーに商品がなければどうしようもない。そのため、マイカルは二次破綻かと言われかけていたところ、イオンがマイカルを支援することを表明した。イオンにとってマイカルはかつてのライバルだが、これを取り込めば自社の急速な店舗拡大になると判断し、会社更生で手続きを進めることを条件に支援することになった。そのため、再生中の会社が会社更生に手続きを変更するということになり、この間でマイカルは何百億もの損失を出してしまった。そして、客に商品のない店舗を見せるということにもなってしまった。

 

私は会社更生手続の管財人代理の一人になった。

マイカルは社債を大量に発行し、機関投資家行が買わないリスクの高い社債を一般の人に売っていた。そこで、こうした社債権者にどう理解してもらうかが問題になった。また、不採算店舗を閉めなければならなかっため、店舗内の専門店(テナント)にどう対処するかが問題になった。

私はテナント部隊のトップになり、自分より年上の従業員に対して困難な陣頭指揮をとることとなった。不採算店舗を閉めるとき、テナントに立ち退いてもらう必要があったが、時に交渉は難航し、テナントの関係者に取り囲まれたこともあった。彼らも自分達の生活がかかっているから必死なのである。

たとえ更生になった会社でも、家主を立ち退かせる権利はない。そこで、家主に対してはひたすら説明して納得してもらうしかない。この交渉の結果、480店舗を閉めて立ち退き料を1.8億円、つまり一店舗あたり数百万円程度に収めた。この場合の相場が一店舗あたり数千万円だったことを考えると、破格での交渉だった。それでも、できるだけ多くをテナント主に立ち退き料を払えるようにしたいという思いから、社債権者へできるだけ多く返済するべきだという社債権者担当の管財人代理とも激論をした。

 

この事件を通じて、倒産事件を専門にする弁護士の特徴として、即決即断でき、体力的にタフであるということがあるのかと感じた。戦時と平時でいえば、戦時の弁護士であると言えるだろう。

 

V 再建的倒産手続の変遷

三田工業の事件の頃、会社更生はあまり活用されていなかった。

その頃、山一證券、拓殖銀行、千代田生命、と倒産が相次ぎ、またアジア発の経済危機であるアジア危機で為替市場が大混乱した。

そこで、会社更生を使って不良債権をどんどん処理していかなければならない状況になった。1998年のことである。

2000年に民事再生法が制定され、よりライトな手続を利用することができるようになった。もっとも、民事再生では、そごうのようにうまくいくものもあるがマイカルのようにうまくいかないケースもあった。

そこで、会社更生もよりライトな手続に変わっていく必要が認識され、この45年間で会社を立て直させる仕組みが整ってきた。

近年では、会社更生、民事再生では経営者のモラルハザードを防止できているか、弁済額の最大化が諮られているかに対するチェックが厳しくなっている。倒産手続の透明性を確保できるかどうかを考えながら、倒産弁護士をやっていきたいと思っている。

倒産弁護士をやっていて、会社は生きているということを感じる。倒産したことで、初めは呆然としていた従業員にも、弁護士やスポンサー企業が会社を立て直そうと努力しているうちに、活力を出してもらえるようになる。そして、会社は再建を経ることで、スポンサー企業とのシナジー効果も得ることができる。

そのようなところから、私自身エネルギーをもらっているように感じている。

 

以上