619日ロイヤリング議事録

講師:野村務先生

「報道と人権−報道による人権侵害の防止と救済」

文責:酒井康徳

◆自己紹介

19613月 大阪大学法学部卒業

19614月 関西電力株式会社入社

19734月 司法修習生(司法修習27期)

19754月 弁護士登録

19774月 野村務法律事務所開設

19944月 大阪弁護士会副会長

 

毎日、新聞やテレビで犯罪報道がなされない日はない。特に犯罪報道は、犯人として報道された者やその家族の人格権を侵害し、精神的な苦痛を与えることになる。犯罪報道で犯人とされた者は、世間から嫌がらせを受け、冷遇され、社会復帰も困難になる。実名報道されることで犯罪者扱いされてしまうのだ。また、被疑者の家族関係など、犯罪に直接関係がないことが報道されることで被疑者やその家族に苦痛を与えることがある。

犯罪を犯した以上、このようなことがされても止むを得ないのだろうか。そうではないだろう。日本では、罪刑法定主義の下、適正な手続きに基づかなければ刑罰を科されることはない。しかし、犯罪報道はマスコミによる制裁であり、一種のリンチに他ならない。誤認逮捕だった場合や、そうでなくても不起訴や起訴猶予に留まった場合や裁判の結果無罪だった場合、逮捕当初の犯罪報道により被疑者に対して取り返しのつかない損害が加えられることになる。

報道による人権侵害を防ぐには、一般市民の犯罪については原則匿名で報道すべきとする犯罪匿名主義を採用すべきである。日弁連は1976年に発刊された「人権と報道」の書で犯罪報道は原則として犯罪事実の報道にとどめるべきであり、関連事実を報道する必要があっても氏名を公表することについては、その合理性を肯定することはできないと主張してきた。被疑者は無罪の推定を受けているからである。

これに対して、ほとんどの新聞社は被疑者の氏名を実名で報道する実名報道主義を採り、逮捕された時点で実名報道をし、被疑者をほとんど犯人扱いしている。報道の使命は正確な事実を伝えることであり「誰が」というのはその出発点であること、犯罪の原因や背景をえぐり、その社会性を掘り起こすのに実名は欠かせないこと、誰が逮捕されたか明確でないと焦点がぼやけた記事になり一種の欠陥記事になってしまう、又「逮捕」という警察の権力行使のチェックのためにも実名報道は欠かせないから、ということが理由である。

しかし果たしてそうだろうか。報道する場合に「誰が」が匿名であっても、記者が実名を知り、裏付け取材を行い、犯罪の原因や背景に迫っていればその記事は充分迫真力を持ち、その背景や社会的原因を報道することができるはずである。現に、少年事件や精神障害者の犯罪事件においては、新聞社は匿名報道をしているが、匿名報道であっても十分に事件の内容や背景を報道することができる。実名で報道することが必要なのは政治家や高級官僚といった社会の指導的地位にあるものの犯罪報道である。

報道の自由は表現の自由の一環として憲法で保障されたものであり、他の人権に優越する価値を認められるのは国民の「知る権利」に奉仕しているからである。しかし、最近のマスメディアの報道は興味本位または営利主義に流され、報道の本来の目的を逸脱する傾向が強まり、個人の名誉、プライバシーを不当に侵害する事例が多発している。

たとえば、2001年に東京新宿の歌舞伎町の新居ビルで44人が死亡した火災事故がある。事実を正確に伝える報道の使命と「書かれる側への配慮」をどう両立させるかが問われた。このとき、店を「キャバクラ」等と記載して被害者を匿名にした新聞社と店を飲食店と記載して被害者の実名を出した新聞社があった。この場合、実名で報道すれば被害者がそのときその店にいたということが世間に知れてしまう。そこで働いていた女性が実名報道されることで、その女性の両親や身内が衝撃を受け、迷惑を被ることになる。また、客が実名報道されることで、客の家族も同様の被害を蒙ることになるのだ。

 

このような報道による人権侵害の防止と救済のための機関として、スウェーデンのプレス・オンブズマン、プレス・カウンシルが最も優れている。日弁連は、このような機関を日本でも採用するべきだという主張をしてきた。しかし、わが国では新聞・雑誌などの活字メディアに関してまだこのような制度が全くできてないが、放送に関してはBRCという機関がある。これはNHKと民間放送連盟の各社が構成している自主規制機関である。国家権力による規制ではなく自主規制機関として設立されたものである。

1999年、メディアによる自主規制が進まないならば国がマスメディアを法で規制するという報告書が自民党政調会から出された。そして2001年、「個人情報の保護に関する法律案」が国会に出され、2002年には強い報道規制を定めた「人権擁護法案」が提出された。これらは、マスメディアや日弁連の強い反対により不成立となった。だが、20035月には個人情報保護法は報道機関等を適用除外することにして関連5法案が成立した。そのうち再び人権擁護法案が出てくる可能性がある。政府の側は、個人情報の保護を掲げて、政府権力側に不利な報道を差し控えさせようとしているのだ。個人情報保護が行き過ぎると情報隠しにもつながるおそれがある。

JR西の福知山線脱線事故でも、患者の氏名を病院に聞いても教えてくれないということがあった。遺族や家族から氏名を教えないで欲しいと言っている人もいるだろうが、個人情報保護のために正確な報道ができなくなってしまう。このように、個人情報の保護と、報道の自由との兼ね合いが非常に大事な問題になっている。

 

来年の4月から裁判員制度ができるが、これには様々な問題がある。日本独自の制度である裁判員制度の導入について、弁護士会の中でも導入を推進してきた者と反対の者とに分かれている。報道の自由との関係では、報道をある程度規制しなければならないということが言われている。

報道の規制をどうするかは問題である。連日マスコミにより報道された有名な事件は、逮捕段階で実名報道されるから、事前に被疑者が犯人に間違いないという心証を持つ裁判員もいるのではないだろうか。また、裁判員は秘密を保持しなければならないが、マスコミが裁判員に強引に取材して報道すると大変なことになる。この制度がうまくいくか、非常に心配している。裁判員制度が導入されてから、犯罪報道がどのようになされるかについて非常に注目している。

 

スウェーデンのプレス・オンブズマンとプレスカウンシルについてもう少し詳しく説明する。

スウェーデンでは、新聞の報道によって人権を侵害されたと思った者は、3ヶ月以内にプレス・オンブズマンに申し立てをすることができる。プレス・オンブズマンは事実を調査し、侵害の申し立てに理由ありと判断すれば、両者を和解させようとする。

和解できない場合や、申し立てに理由なしとして却下した場合、さらにプレス・カウンシルに申し立てをすることができる。この場合申し立てに理由ありと判断されると、プレス・カウンシルは新聞社に対し、裁定文の掲載や、制裁金支払いを命じることになる。

日本でもこのような制度を作る必要があると長年主張されてきたが、新聞、雑誌に関してはなかなか実現することができなかった。

放送に関してはBRO(放送と人権等権利に関する委員会)があるが、ここにも様々な問題点がある。日本の場合、BROに直接申し立てることはできないから、侵害した放送局に直接申し立てをし、話し合いがつかない場合に初めてBROに審査を申し立てることになっている。ここで問題ありと判断した場合、審理を行い双方から意見を聞いて決定を下し、当事者に勧告等をしてその内容を公表する。年間かなりの数の事件が係属している。

 

新聞では、現在でも逮捕段階の実名報道がなされ、犯人視報道がなされているのが現状だ。また、犯罪被害者の実名報道も問題である。10年から15年前までは被害者は単に被害を受けただけだからといって当然のように実名報道をしていた。しかし、事件の内容によっては被害者として報道されることが被害者に対し大きな打撃与えることもある。そのため、徐々に被害者だから実名報道してよいということはないという認識になってきた。

近年、報道のあり方もかなり変わってきている。15年くらい前までは、実名報道に加えて、被疑者を呼び捨てで報道していた。これに対して日弁連等から問題であるという意見が出され、以後氏名の後に「容疑者」をつける容疑者報道になった。また、従来は逮捕段階で顔写真を大きく掲載していたが、普通の事件についてはあまり掲載されなくなった。手錠をかけられて腰縄で連行されている写真も昔はあったが、減ってきている。

このような面で、人権に対する配慮が少しずつなされるようになってきたといえる。みなさんが高校生くらいの頃からだろう。

しかし、メディアの本質はあまり変わってないように思う。今でも、逮捕されたら実名で報道されるのが原則になっている。逮捕された人の家族の状況なども報道される。このような報道を私たちは絶えず批判し、意見を言っていくことが必要だ。メディアの使命は公権力の監視と批判、そして市民の人権擁護にある。メディアがこの使命を果たしていけるように、私たちがメディアを監視する必要があるのだ。

 

最近では、個人情報保護を理由にして、自分たちに都合の悪い情報を明らかにしないということがマス・メディア以外の機関でも出てきている。これは危険なことではないかと思う。個人情報保護の見地に立ちながらも、事実は事実として、公表すべきところは公表するべきだと思う。

最近は警察による情報操作、情報管理が厳しくなってきている。少年事件では取材陣に対しても少年の氏名を明らかにしないようになっている。警察の判断で氏名が公表されるかされないかを決めるのは問題である。やはり犯罪事件はメディアの取材によって真実が明らかにされていくべきである。特に重要なのは国家公務員が関与した犯罪の場合である。この場合に氏名が公表されないことになれば、メディアの使命たる権力の監視と批判が図られないことになってしまう。

 

先に触れた裁判員制度との関係でも、報道を規制すべきだとする意見がある。しかし、このような規制は一定限度は必要かもしれないが、できるだけするべきではないと思う。この規制により、メディアの使命を果たすことができなくなるからだ。

 

みなさんには、マスメディアの報道にこのような問題があることを知って、メディアを批判の目で見て、これからのメディアのあり方を考えてもらえればと思う。

 

以上