12月13日ロイヤリング議事録

講師:小林徹也先生

文責:酒井康徳

 

・日ごろ労働事件をやっていて感じていることを話そうと思う。

・ロイヤリングの授業で講義するのは今回で5回目。毎回聞いていただいた感想文はそれなりに好意的に評価してくれるのは実際に扱った事件を話すからだと思う。

・労働法を話すといっても学者にはかなわないが、自分には弁護士として直接労働者の声を聞いているという経験がある。実際、自分は労働法の講義を受けたこともないし、司法試験でも労働法を選択していないので、労働法を体系的に勉強したことはない。弁護士になってから労働法を具体的事件の中で扱ってきた。

最近は労働組合の組織率も下がってきたので扱う労働事件も減ってきた。自分が弁護士になったことには組織率は30%ほどだったが、今は18%にまで下がっている。もっとも派遣等の分野では相談が増えているらしい。

・労働事件というとなかなかイメージがわかないのではないかと思う。広くは労働者の人権を侵害されたものをいう。

・たとえば、会社の事業縮小による整理解雇や、男女差別・思想差別による昇給・昇格差別,などを争ったり、業務上の原因で疾病となる労災事件などがある。

・また、不当労働行為の事件では、組合として活動することを理由に不当な扱いを労働委員会で争える。これは独立行政委員会(行政)の判断によるもので、まず地方労働委員会による判断、次に中央労働委員会による判断のほか、裁判所に訴えることができるので事実上の5審制だと批判されている。

・さらに、労働審判制度がある。違法派遣などについて労働局に是正申告するといったことも労働事件と言えるのではないか。

 

・弁護士である自分にとって労働法は目の前の労働者を救うための手段。実際に労働事件で労働法を使っていると、使用者と被使用者の力の差など、教科書に形式的に書いてあることも実感することが多い。

・みなさんは法曹になる人ばかりではないだろうが、働いていく限り労働法とは無縁ではない。

 

・どうしてそもそも労働法という分野があるのかについて話をしようと思う。

・労働法がなければお互いの合意さえあれば雇用内容を自由に決めてよいことになる。たとえば、1日20時間働くことや土日も休まないということ、時給は300円でいいということや男性と女性で時給が違うということも、本人がそれでいいと合意した以上契約を守らなければならないことになる。もし労働者がストライキをして債務不履行になると損害賠償を請求される。また、働く場を占領したら威力業務妨害になってしまう。

・しかしこのようなことが今の社会で了解されているはずがない。

・労働事件は労基法などの法律によって契約自由の原則が変えられているが、どうして他の契約とは違って労働法だけがこのような変容を受けているのか。

・法律の基本的な発想によると、当事者の合意には絶対的な効果が与えられる。たとえば売買契約を守らなければ損害賠償を請求される。約束するというだけで法により保護されることになる。
・ある裁判官の言葉「労働契約は労働者と使用者が自由な意思で結んだものである以上、労働者が勝手に会社を辞められるなら会社も自由に労働者を解雇できるはずだ」 

・一番最初に民法ができたのは1895年のこと。当時は徒弟制度があり、労働者は親方の下で奴隷のように働かされていた。

民法を定めるときに、日本は封建的な制度を廃止して西洋的な近代化を目指していた。そこで使用者による身分的な支配をできるだけ近代化し、使用者と被使用者を契約の当事者として形式的に平等にすることとした。これにより、雇用関係は対等な人同士が契約を結ぶことになるという意味があった。

・だが、このような原則を貫いていたると矛盾が生じることとなった。たとえば、大きな土地を持っている使用者に対し、働くことでしか糧を得ることができない労働者は、厳しい労働条件が提示されても「嫌です」といえない。また、他の労働者と組んでストをしても場合によっては債務不履行になってしまい、工場を一日稼動させないことで生じる莫大な損害を賠償させられてしまう。

・戦前の日本では労働活動は封じられていたため労働者の不満がたまった。そこで政府は国内の不満のはけ口を海外に向けた。たとえば、国内で食いっぱぐれた農民を満州に行かせるなどの方法で不満を解消しようとした。この方法も日本が戦争に負けていきづまることとなる。

・戦後制定された憲法の25条では、全て国民は健康で文化的な最低限度の生活を保障されている。この日本国憲法により、労働契約について形式的な考え方をしていた民法が変容することになる。誤解を恐れずにあえて言えば「自己責任」を否定することになった。たとえば、115時間労働するという契約がなされても認められないことになった。

・憲法は,勤労条件に関する基準を法律で定める旨宣言した(27条1、2項)。これはよく考えるとすごいことだ。たとえば売買契約だと商品の値段を法律で定めるということはおかしく思えるが、労働契約は雇用内容について法律で定めることとしているのだ。

・憲法は、歴史的な事実から,労働関係を契約自由に委ねることの問題点を認識したからこのような規定を定めた。これを受けて労働者保護の法律が制定されている。

 

・憲法27条は労働者の権利を保障している。しかし使用者の権利は定めていない。極端に言うと、憲法は偏っている。中立ではないということ。憲法は、国家が労働者のほうに肩入れをして初めて労働者の権利を保障できるとした。憲法を頂点とする法解釈としては、労使間は対等ととらえないということ。

・たとえば、働くことになっていた日にストをした。この場合普通は債務不履行になる。また威力業務妨害罪にもなりうる。しかし正当な行為なら民事上、刑事上免責される。また、労働側が会社の前で街宣車から演説をする場合も、個人的な恨みでやったら不法行為になりうるが、それにいたる経過の中で表現の行使としてやったのであれば違法になりにくいということがある。また、商品の値段を下げないことも会社がやれば独禁法違反になりうるが、労働者が賃金を維持する目的で会社に下げさせないのは法により積極的に奨励されている。

・労働組合と会社の対立というと一昔の話に思えるかもしれない。しかしそうではない。たとえば、ある有名なタクシー会社が別の小さなタクシー会社を買い取ったが、買い取った会社の労組が強かった。そこで会社はこの労組をつぶそうと考え、組合員だけを毎朝の朝礼で2時間拘束していた。その間組合員はタクシーに乗れないため賃金が下がってしまった。このように、問題となるのは小さい会社ばかりではない。

・労働契約は人の人生を支配するような契約なので、他の契約とは質的に違う。にもかかわらず、裁判官が上述のようなことを言うというのには驚いた。

・労使間の対立関係は、身近な人が差別されているような場合でない限りなかなか実感がわかないだろう。

・大きな会社でもこのような問題がないということはない。たとえば、国鉄の脱退干渉の事件がある。国鉄がJRに移る前に、国労員だけがJRに採用されないなどのことがあった。また、会社が国労員に対する面談で、「国労を脱退しないとあの職場にとばすぞ」等と言い、脱退届けを書かせている。ほとんどすべてが不当労働行為と認められる。また、JR西日本吹田工場事件では、工場内の踏み切りの渡り方について意見が対立したことで60歳近い従業員が上司の命令で、夏場の炎天下の中、何時間も確認作業をさせられた。

・倉敷紡績事件では、共産党員であることを理由に会社は20年も昇格させず、雑用的な仕事をさせていた。このように思想信条で差別することは犯罪にもなる(労基法による罰則)

・以上に対し、なかなか理解されにくいものもある。たとえば、次のようなセクハラ事件がある。20歳くらいの女の人がある会社に就職が決まり、初日に社長と社員による歓迎の食事会が開かれた。食事会が終わってから、社長に「もう1軒行こう」と言われる。入社を希望していた会社だけに、どうしても誘いを断れずについて行った先でプライベートな話をされる。途中から腰に手をまわされ、キスを要求される。女性はとても嫌だったが辞めてといえず、キスしてしまった。その後、本当に後悔し、社長の誘いを避けていたところ社長の態度が悪くなり、20日ほどで事実上退社に追い込まれる。女性はPTSDのような被害を受け、どうしても納得行かないとして提訴した。

一審ではセクハラの事実が認められなかった。控訴した高裁では、裁判官も代理人も男性ばかり。女性の気持ちが伝わるのかわからなかった。裁判官も当初はセクハラの事実を認めないような態度だったが、最終的にはセクハラがあったという前提で和解勧告がなされた。このような事件だと裁判官によって判断が分かれるところ。労働者の心境を理解するのは難しい。

 

・もう戦前のような無茶な時代に戻ることはないとして、労働法の意義を述べる必要を疑問視する向きがある。しかし、現在労働法の趣旨に反するような世の中の動きがある。

・たとえば、派遣労働は現在だと普通のことに思えるかもしれないが、つい10年余り前は極めて例外的なものだった。労働供給事業は職安法により禁止されてた。これは戦前行われた人貸しのような中間搾取から労働者を守り、使用者と指揮監督者が分離することを防止し、責任を明確化する法律だった。

・毎日のように違法派遣のニュースがある。たとえば、手数料として派遣社員の給料から天引きしていたということがある。経済界はそもそも派遣の自由化をすべきだと主張する。

・ホワイトカラーエグゼンプションというものを聞いたことがあるだろう。これは労働就業時間の枠をはずしてしまうもの。労働者も自由な働き方すればいいという建前に基づく。しかし、現在日本ではたくさんの過労死があるのに、これを認めてしまうと企業が残業代を払うという歯止めさえなくなってしまい、労働者は嫌というほど働かされることになる。今まで以上に過労死が増えるのではないかとされる。

・歴史的な大失敗のもとに労働基本権が保障されることとなったのに、それが元に戻ってしまうことになる。

・日本で、まったく貯蓄がないという世代は23.8%にものぼる。非正規社員の数は1600万人、つまり3人に1人である。非正規社員は、正規社員の60%の給料しかもらっていない。また、年収200万以下の世帯が21%である。月額16万の収入では家族4人の世帯は到底生活できない。

・このように、労使間が対等どころか非対等になっている中で、労働法の基本原理がもっと強調されてもいいのではないかと思う。

・世の中には弱肉強食の発想があるのではないか。これは「自分のことは責任もて。それで失敗してもお前のせい」ということ。弱肉強食の何がいけないのか、自然界では当然ではないのか、という意見に対して、それは違うと理屈でもって説明することは難しい。

・たとえば、アメリカには要塞都市というものがあり、金持ちが一定の広大な地域を塀でかこって居住している。入り口にはガードマンを置いたり、中に学校などがあったりする。その住人にインタビューをしたところ、「自分たちはこの中に住むにふさわしい努力したんだから当然」だという。

・この意見が間違っているとかいうつもりはない。しかし憲法には歴史から学んだ一定の答えが示されている。この問題をどう考えるかが労働法だ。

・十分に働いても満足な収入を得られないワーキングプアの問題が言われている。このような人達は子供に高等教育を受けさせられないため、その子供も高等教育を受けられず、ワーキングプアを再生産するという悪循環が指摘される。

・このことは法の解釈に影響があるのはないかと思う。法の解釈は人がどれだけ主体的合理的に活動できる存在と考えられるかにつながっている。本当に自分の意思でやった契約ならば守らないといけない。たとえば、これまで株取引金融商品取引ではよくわからない老人に投資させて損させたことに対して老人にも投資で金儲けをしたかったという意思があるとして過失相殺させていた(もっとも、最近の判例は消費者保護の傾向)。刑法でも、環境による影響を重視するかしないかで責任の考え方もかわってくる。

・人はそう合理的、主体的に動けるものではないのではないか。

・成功した人間は自己責任を強調する。しかし生まれてくる子供は環境を選べない。自分ももし司法試験を受けさせてくれるような余裕ある家に生まれなければワーキングプアになっていたかもしれない。

 

・想像力とは、自分がその立場に置かれたときどう感じるか考えることができる能力である。

・自分がまったく経験したことのないつらさを感じることは難しい。たとえば、重度の障害を持った子の親がどのような気持ちであるかなど。健康で欲しい物が手に入るという人が、そうでない人を理解することは難しいだろう。

・実際自分も、子供がいないときに子供が被害者になった事件の親の気持ちを理解することは難しかったが、自分が子を持つようになったことで痛ましいほど気持ちがわかるようになった。

・弁護士は、実際の依頼者と話をする中で他人の気持ちを理解する能力が比較的身につくのではないかと思う。

 

・中国残留孤児の国家賠償訴訟の話をする。満州に行った日本の開拓民たちが、戦争終結後に満州に置き去りにされた。ソ連軍が迫って来るのに、関東軍は開拓民らを放ってすぐさま撤収してしまった。満州は冬だとマイナス30度にもなる過酷な環境である。開拓民たちは、子供が助かるように現地の中国人に子供を任せた。戦後帰ってきた残留孤児らが国を相手どって訴訟を提起した。

・裁判では、先行行為に基づく条理上の義務違反を原因として損害賠償を請求した。このような訴状で請求が認められるのか代理人自身疑問に思うような内容だった。しかし、神戸地裁では勝訴した。

・この裁判で目的としたのは、裁判官がいかに孤児の苦しみを理解してくれるかという点だった。マイナス30度の過酷な環境の中で親が逃亡中に死んでいく孤児らのつらさなどを、弁論で直接孤児の人に話してもらうなどの方法で訴えた。

・この裁判が原因となり、先の11月末に孤児のための支援策ができ当初の目的が達成された。

・残留孤児の訴訟は全国で展開され、全国でほぼ同じ法律構成がとられたが裁判官の判断に差がでた。敗訴させた裁判官が、これまで成功してきたエリートであり、孤児の心情が理解できなかったのか、国を敗訴させることで自分のキャリアを危ぶんだのかはわからない。

・みなさんは、法律家が事実を法律にあてはめて結論を出すと考えているかもしれない。しかし誤解を恐れずに言えば、まず結論があって、それにあわせて法律構成は変えられる。法の解釈が変わっていくのもそういうこと。

・想像力を身につけろといっても難しいが、このことを意識することには意味がある。

・法律であっても中立な立場などない。そもそも法律は理屈ではなく、特定の価値観の表明だ。法学はその価値観を人に説得し、実現させる技術だ。

・自然科学では、たった一人の人が言っていることが真理であるときがあるだろう。しかし法学はどんな天才であっても他の人を説得できないのならば意味がない。

・ある労働法学者の言葉「自分は労働者を守るためならいくらでも学説を変える」。自分も、それが労働法だと思う。

・法を学ぶ上で、もちろん法を解釈する技術を身につけないといけないが、法律が何のために使われるものかを考えないといけないと思う。

 

以上